今日は休暇日。
予定では友人夫妻とその甥姪と会い、本来ならば動物園に行くはずだった。
しかし今日は雨。友人夫妻にも用事ができたので、僕と友人の甥姪だけが清水区の「エスパルスドリームプラザ」へ行くことになった。
友人の親戚という、ほぼ他人の若者たち。1年に2回くらいは会っているので知らない仲ではないが、それでも不思議な組み合わせである。
エスパルスドリームプラザでは、ショッピングモールで買物をしたり、コーヒーを飲むなどした。高校生と中学生の引率もまた、僕としては珍しい状況。
なお、僕はうっかりアジア雑貨店でインド綿のマルチクロスを購入してしまった。僕は人生で何度も、インドのマルチクロスを買っているのだ。様々な使い道がありそうな気がして、結局は風呂敷にしか使っていない。
友人の甥姪たちは「大人なんだから、布くらい好きなだけ買えばいいじゃん」と言っていた。優しい子供たちなのだ。
そして3人で映画を見たのだった。
「ガンダムSEED FREEDOM」というアニメ映画だ。
ガンダム・シリーズは子供の頃から好きで映画もほとんどを見ているが、「ガンダムSEED」のシリーズには興味がなくて、映画の公開も忘れていた。
TVアニメの「ガンダムSEED」は総集編のようなものを昔に見ただけで、たくさんあるガンダムの中では興味が薄いほうだ。
でも今日は友人の甥姪のリクエストで観ることになった。というか、彼らにとってエスパルスドリームプラザへ来た理由は、この「ガンダムSEED FREEDOM」なのだった。
こういう偶然の連続は大切にすることに決めている。昔ならともかく、独り身が歳をとると、自分の判断だけでは世界が狭くなってしまうので。
その「ガンダムSEED FREEDOM」は、なかなか良くできた映画だった。
全体的に薄っぺらいし、SF的な仕掛けは雑だ。「そんな良い仕掛けがあったのなら、アニメ版の悪者は何の苦労もしなかったのでは?」と思ってしまう。
物語のトリックも、かなり早い時期に予想ができてしまう。
いちおう大掛かりな戦争を描いているのだが、中学生が精一杯考えたようなシリアスさ加減が(ことさら今の時代には)引っかかってしまう。
いかにも平成の、大味なロボットアニメなのだ。絵柄だって古い。
でも、そういう軽薄さ、もっというとクセや臭みみたいなものが、おそらく「ガンダムSEED」の持ち味なのだろう。今回の劇場版では、20年の時を経て、きちんとした予算と技術をかけて、クセも臭みも濃縮されていた。つまり、ファンならば大喜びなはずだ。
僕の好みではないにせよ、そういった勘所を抑えた”らしさ”の追求は見事だと感じられた。総じて、素晴らしい「お祭り映画」に仕上がっていたと思う。
友人の甥姪達は、TVアニメ版を「小さい頃に動画配信とレンタルで見た」と言っていた*1。
彼ら彼女らがどういう感想を持ったのか、詳しくは聞いていない。ただ、どっかんばっこんと派手な戦闘画面は楽しかったそうだ*2。
それと、主人公達のカップルが心を通じ合わせた時に、露骨に画面がキラキラするのも「わかりやすくてすてき」だったそうだ。
同感である。
少女漫画ならば薔薇や百合が背後に咲き誇るシーンで、この映画ではキラキラの謎エフェクトが発生するのだった。思い返すも、あれは良い演出だった。
「機動戦士ガンダム」という幼い頃から慣れ親しみ、ファンと言ってもいい対象のなかで興味がほとんど無かった「ガンダムSEED」のシリーズ。その映画を、なぜか友人の親戚の子供たちと鑑賞する。
全くよくわからない状況ではあったが、その不思議なめぐり合わせも含めて楽しむことができた。SNSで赤の他人と交流するのもおもしろいけれど、現実世界でも予測不能な出来事は起こるものなのだ。