今日は日記ではなく、先日行った場所について書きたい。
縁あって函南町の「パサディナハイツ」を見学できたのだ。
あの「メタボリズム」の提唱・推進者であった建築家、菊竹清訓の作った集合住宅。
日本経済が元気いっぱいだった時代に、これからの生活空間として気合を入れて挑戦した建物。いささか理論先行かつ理想主義が過ぎたのか、今では珍建築として語られることもある*1。
ともあれ、昭和の名建築として、一度見たら忘れられない集合住宅だ。
なお、解説はこのブログが詳しい。
場所は函南の山里、かつての新興住宅地であるパサディナ三島にある。
静岡県内では珍しくない、山の斜面を削って作った、昭和の新興住宅地である。おそらくはその”はしり”ではないか。新陳代謝が途絶えてゴーストタウン化している住宅地も多いなか、それなりに上手く運営できているように見える。少し歩いてみたが、老人の姿が目立つけれど、庭木にお金をかけている風の家もちらほら、それに廃屋も少なかった。
「パサディナハイツ」も、同様に斜面に作られている。
横浜周辺や多摩の丘陵地にあるような、階段状に作られたマンションが最も近い見た目だろう。伊豆の東海岸ならば、やはり斜面を活用した老人介護施設がいくつかある。
ただし、パサディナハイツの場合は少し違う。マンションというには少し開放的だ。
一般的な階段状の集合住宅ならば、プライベートな空間はしっかりと区切られている。階段の踏み板にあたる部分は全てバルコニーであり、下の階の屋根でもある。完全にプライベートな庭になっている。箱型のマンションのベランダやバルコニーと変わらない。だから、共用通路と玄関は側面か斜面側、あるいは2つの部屋の間を切り欠いて用意される。
パサディナハイツは、この庭部分に通路と階段がある。
そして前庭を通って玄関に至るように設計されている。
アメリカの一戸建てのように、庭部分は丸見え、開放的である。左右の視線は遮られているけれど、庭や玄関まわりは「見せる」前提になっている。新興住宅街がブロック塀ではなく生け垣などを指定しているように、このパサディナハイツでは庭を通した交流が望まれていたのだろう。
斜面側にもドアはあるが、あくまで勝手口として設計されていたようだ。
つまり、集合住宅ではあるが、生け垣や庭を介した近所づきあいが求められていたということだ。最も見晴らしが良いテラスの先端が共有通路になっているのは、なかなか贅沢な設計だと思う。
各戸に必ず吹き抜けがあり、出窓や色ガラスの装飾があり、手すりや案内板は統一デザインがされていて、コミュニティースペースもある。1975年竣工当時は、どれだけモダンだったのだろう。
とはいえ昭和の集合住宅、今の目で見ると、全体はこぢんまりとしている。
窓が大きいから、家の中が通路からしっかり見えてしまいそう。
そのせいか多くの部屋が、おしゃれに窓際を飾っていた。
部屋のかたちも何種類かあって、それぞれ凝っている。空き部屋に入れてもらったのだが、当時としては最新鋭のキッチンや給湯設備だったようだ。
そういう建物だから、今も住んでいる人達の多くは”個性的”というか”こだわりがある”ような気がする。庭の飾り付け、放置された家具などから、そのへんのアパートやマンションとは違う雰囲気が伝わってくる。
とはいえ、建物の傷みは激しい。
小綺麗に住んでいる部屋の隣が廃屋同然になっていたり、錆や補修跡が目立つ場所があったりと、さすがに昭和の建物である。当時としては最新の、それなりに高い”ハイツ”だったとしても、ここに引っ越すのは覚悟がいるかもしれない。高齢者なら、階段だらけの構造も大変だろう。
空き部屋も目立ち、平日の昼間ということもあって全体はとても静かだった。
もう少し都会だったら、あるいは交通の便がよかったら、人気の物件になっていたのではないか。若い人たちがアトリエや小さなお店を開いたり、工夫をして個性的な暮らしをするのには絶好の場所だ。昨今の、ゆるい繋がりを好むライフスタイルには合っているかもしれない。
でも悲しいかな函南は田舎だ。この辺りの状況は、香川県の「坂出人工土地」が近いかもしれない。
「理想の住居=新しい集合住宅」を目指し、そして尖りすぎて更新も滞り、エッセンスのみが後の時代に引き継がれた、そんな最先端の建物。理想主義の成果物。
今回は縁があって建物内部も案内してもらえたけれども、基本的には許可無く出入りはできない。私有地であるのはもちろん、一般的なマンションやアパートよりもプライベートに入り込む構造だから、ちょっと興味があるからと無断で侵入するのは避けたいところ。実際、見学者の札を下げて案内していただいているのに、人の家の庭先を通るような気まずさがあった。
そんなパサディナハイツ。
良い体験ができた。1975年の最先端は、今でも新鮮でした。
*1:熱海や伊東の「昭和の観光ホテル」のような、昭和レトロの文脈で語られることも多い。