一年を振り返っても

 

今年も今日で終わり。
ということで一年を振り返ってみたが、公私ともに大変だったという感想しかない。
当然ながら、一言二言で語れる総括なんて無理だ。

でも、数年後に2022年を振り返って思い出すことは、いくつかある。
例えば、母が亡くなったことは一生忘れないはずだ。
春の終わり頃に母が入院して、そのまま病院や介護施設を渡り歩き、秋に亡くなった。
その後の諸手続きや家の片付け。そして父と二人の生活を現在進行系で整えていること。
特にこの年末は、初めての"母のいない年の瀬"を実感することになった。
今日も、お節料理を詰めたり、お雑煮の下ごしらえをしていて、父と二人だけで台所に立っていることの感慨がすごかった。単純な悲しみや寂しさとは違う、大きな変化に対する言葉にしづらい想い。

動物園や水族館へは、それなりの数を巡れたと思う。
母の大病や親戚関係のやりとりで遠方に行く機会が多くて、そのついでに動物園や市民公園に立ち寄るパターンが多い。長くは滞在できなくとも、想像以上に楽しめた施設ばかりだった。観光旅行ではパスしてしまう小規模な動物園や水族館、それに博物館に行けたことも収穫だった。

そろそろ遠方への旅もしたいなあ、と思っていたときに(新型コロナ流行の隙をついて)かつての居住地である四国・香川県に行けたことも感慨深い。
かつて住んでいた土地に宿泊し、何度も行った街や島を巡り、かつての職場に顔を出す。ずっと家族のことにかかりきりだったこともあって、なんだかとても開放された気分だった。

飛行機や新幹線を使う旅はできなかったけれど、隣県やその近隣くらいまでの一人旅(日帰りが多い)を散発的に行っていた。観光らしい事はほとんどせず、混雑を避け、趣味と関連した場所にだけ行き、用事を済ませたら帰る。

それ以外は、父や母を乗せて出かけることが多かった。
最近、県内の遠方に行くたびに、ここは両親と来たのだった、母にとっては最後の風景だったと思い出す。父と再び来ることも、父が一人(あるいは老人仲間と)来ることもないのだと考えると、彼にとっても最後になるのかと考えてしまう。

 

総じて、私生活は低く重く暗かった印象がある。
県立美術館で僕の企画展が開催されたら、おそらく「暗黒期」あるいは「低迷期」と説明されるだろう。趣味の諸々も捗らなかったし、何にせよ思うように進まないことばかりだった印象がある。さらに言うと、自分でその境遇に納得している節がある。「そういうものだ」と腹の底から納得しているような。

 

 

 

しかし、世相はもっと酷いので困ったものである。
戦争に物価高に資源不足に国葬、それに自然災害。
どれも強く印象に残っているし、現在進行系のものばかりではあるが、身近なところでは静岡市清水区の水害がある。生まれた土地でもあるし、知人も親戚もいる。ちょうど母が亡くなった直後で家の片付けが必要なタイミングだったこともあり、貯めていた災害物資の大半を清水区に運んだのだった。

それにしてもCOVID-19は酷いものだ。
どんな感染症でも数年で収束なんてしないとわかっていても、こうも不便が続くとは。幸いなことに我が家からは一人も感染者が出ていないけれど、周囲では当たり前に発病していて、命を落とした人も多い。そんな状況で「もう頑張らなくてもいいよね」みたいな空気で年末を迎えて、これから先はどうなるのだろうか。

と、書いているときりがない。
小さな楽しかったことと、大きくて避けられない悪い流れ。たぶん来年も、その2つが交互に(あるいは同時進行で)やって来るのだろう。

一年を振り返っても、ごちゃごちゃっとした感想と記憶しか出てこないけれど、そんな日々の連続であっても、今日が一応の区切りの日になりそうだ。

ともあれ、どうにか生き延びることができた。
来年もなんとか、生きていきたい。

 

 

今年、このブログを読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
誰のために書いている文章でもなく、書いたら書きっぱなし、推敲すらしない雑文ですが、それでも悪い習慣とは思えないまま10年以上続いています。たぶん誰の糧にもならない文章ではありますが、でも好奇心を向けてくれたことだけでも嬉しい。

来年も、どうかよろしくお願いします。
できるだけ笑って優しく過ごせる日々であることを、静岡県中部から祈っています。

 

お題「ささやかな幸せ」

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

 

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