忘却のタルトタタン

この2021年を振り返ろうと思ったけれど、まだ全く区切りの気分になっていない。
移動が制限され、無駄遣いを極力減らし、人と会わなかっただけなのに、「今年はこういう年でした」と総括するための取っ掛かりが見つからない。

特に移動距離が少なかったこと、そして都会へ行く機会が皆無だったことが大きい気がしている。

年間の移動距離は昨年の6割程度(Google調べ)。県外への旅行や飛行機移動が無くなったことが大きいが、日常でも近距離移動ばかりだった。

都会に行くことも無かった。仕事はもちろん、都会=美術館or博物館or種々のイベントであり、見聞を広める機会となっていた。なにぶん田舎暮らしなので、行くたびに何かを得ることができてしまうのだ。その機会が消えたのは大きい。


とにかく、困ったことである。

 

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そういえば今日は、早朝から所用で県西部に行ってきたのだが、誰とも会わず、コンビニすら寄らなかったせいか、既に今の時点で印象が薄れつつある。

午後には藤枝市の「ボクゥボクゥ」で、最高においしく見た目もかわいらしいタルトタタンを食べた*1。でもスマホを忘れ、カメラも持っていなかったので、たぶん来週にはタルトタタンの印象も薄れていくだろう。

これはもう「ボクゥボクゥ」やタルトタタンの問題ではない。100%、僕の脳が悪いのだ。僕の情報処理システム全体のトラブルと言っても過言ではない。

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もちろん影響は残る。
僕の人格形成にバタフライ・エフェクト以上の何かを残すだろう。小さな出費は、今後の買い物に関する判断を変えるし、次に藤枝市タルトタタンを食べたくなった時には店を選ぶ判断基準になる。

一年間のぼんやりとした日々も同じ。
「ぼんやり過ごした」という印象も、そして実際はどたばたと過ごした日々についても、何も残さず消えていくわけではない。

だとしても寂しいことだ。
いや、学校生活ではないのだからアルバムに貼れるイベントが連続して欲しいわけではない。それでもやはり、「2021年は、○○を得ました!でも残念なこともありました。総じてカラフルな年でした!」と言いたいではないか。

 

 

おそらく明日は、午後から忙しい。
兄家族と大晦日を過ごすのが、我が家の習いである。だから日記もそっけなくなるはず。

本来なら、そろそろ年末年始特有の落ち着いた、そしてしゃきっと引き締まった気分になっていくはず。でも今年は本当にそんな感じがしない。
ぜんぶウイルスが悪い。とりあえず、そう思っておく。

 

全く関係ないけれど、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」がとびきり面白い。
著者は「火星の人(映画:アルテミス)」のアンディ・ウィアー。先が読めない展開なのにするする頭に情景が浮かぶ読みやすさ。今年の最後に、今年最高の小説に出会えたかもしれない。

お題「我が家の本棚」

*1:見た目の良いタルトタタンはそれだけで希少である。

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