僕の家にはミトンがない。

理由はさっぱりわからないのだが、我が家にはミトンが無い。
台所で熱いものを持つ際には、畳んだ付近を使うことが専ら。
鍋つかみも1枚あるけれど、出番があるのはオーブンを使った時だけ。

そもそも、オーブン料理の時こそ、ミトンが必要なのに。
母が元気だった頃からミトンの無い暮らしをしていたのだ。それでなんとかなっていたので、あらためて理由を問うたことはない。

特に高いものでもないから、いつか買おうと思っていた。
実家に戻ってしばらくした後に、スマホやパソコンのToDoリストに「オーブン・ミトン」と入力した。市内のニトリに立ち寄った時は、位置情報と連動して通知が来るようにも設定してある*1

しかしながら、今に至るも、まだ買っていない。
母が世を去った後は僕が台所仕事の主担当となった。日々、小さな不便を感じながらも、無ければ無いでなんとかなってしまっていた。

今日は倉庫の片付けをしていた。
その片付け作業の際に、かつて一人暮らしをしていた時にミトンを使っていたことを思い出した。

こうなるとミトンの"発掘"に夢中になってしまう。
本来は防災用品の整理をするつもりで倉庫に篭っていたのに、目標は「ミトン探し」に切り替わった。

でも、こういう思いつきが成就することは少ない。
台所用品の段ボールを開けても、布巾や鍋の収納ボックスを開けても、ミトンは見つからない。
ティーコゼーは2枚、鍋敷きにも鍋つかみにも使える便利なシリコンの板は1枚、コースターは4枚が発見された。いかにもミトンが見つかりそうな場所を漁っても、ミトンだけが見つからないのだ。

一人暮らしをしていた時には、確かにミトンを持っていた。
ただ、思い返すと、普段は使っていなかった。単機能の道具を増やすのが好きではないので、布巾を重ねて熱いものを掴んでいたような気がする*2


だから、台所で頻用していた品が入っていた箱ではなく、もっと他の、全く無関係な場所に詰め込んである可能性は高い。あまり使わない工作道具やキャンプ用品と共にあるかもしれない。あるいは、実家に戻ってきた直後に、よくわからない場所にしまい込んでしまった可能性も高い。わざわざ捨てるようなことは無いはずだが、自分の発想とは別の場所にあるような気がしている。

 

 

とにかく、そんなわけで今日も我が家の台所にはミトンが無い。
最近は、電子レンジと耐熱ガラスの容器を多用するので、やはりミトンが欲しい。鍋つかみや、畳んだ布巾でなんとかなってしまっているが、それは美しくない。

だけど、今更あらためて買う気もしない。
それだけのために買物に行くのもつまらない。若い頃ならば、適当に街をぶらついて、輸入雑貨店を巡って思いつきで買っていたかもしれない。しかし令和時代の街にはそういう店はほとんど無い。自分も、雑貨屋巡りをほとんどしなくなってしまった。

 

とにかく、これからしばらくも、引き続きミトン無し生活を続けるだろう。
夜中に思いついて自作でもしない限り、「ミトンがあったらなあ」と思いながら、明日も熱い器を布巾で掴むのだ*3

 

お題「気分転換」

*1:便利な時代になったものだ。しかしテクノロジーの発展が幸福の必要十分条件ではないことが、この事例からもわかる。

*2:本当に熱い時は、溶接やガラス炉でも使える耐火素材の手袋を活用していた。あれは安心感がすごい。

*3:全く関係ないが、武蔵小金井駅の近くにあったケーキと焼き菓子のお店「オーブン・ミトン」は素敵なお店だった。もう何年も行っていない。武蔵小金井といえば「オーブン・ミトン」、吉祥寺といえば「A.K Labo」が、中央線におけるお気に入りスイーツ店だった。

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