おそろしく早くに仕事を始めたので、早退みたいな時刻には自由の身になった。
今日は気分がくさくさしていて、どこに行っても何を食べても存分には楽しめない気がする。そういう類のストレスを抱える日には、普段は楽しい物事をしても上手くいかない。
仕方がないから、公園を歩くことにした。
ちょうど帰路から少し寄り道すれば舞台芸術公園がある。
やたらと広い敷地に稽古場や舞台の劇場があって、散策もできる。森や茶畑の中を歩くのは、なかなか新鮮な体験だ。
実際、こういう遊具も何もない、ただ歩くだけの場所を黙って歩いていると、少しだけ気持ちが落ち着いていく。足が疲れて、肩の力が抜ける。
この散策のおかげで完全回復をする事は無いにせよ、夕食はきちんと食べることができそうな心身の状態になった。
ところで、この舞台芸術公園には新しい展示(?)ができていた。
以前はただの休憩室だった場所が、ミニミュージアム「てあとろん」となっている。
舞台劇・劇場の歴史や現存する施設、そして今も現役の劇場などをパネル展示で見せてくれる。パネル、というかレーザープリンターで出力した資料をぺたぺたと壁に貼ってあって、順番に読んでいく形だ。
やわらかい名前と雰囲気の展示だが、この「てあとろん」は不親切さが目立つ内容だった。
文字サイズも小さいし、内容も「演劇に興味がある人ならば常識、興味が無い人にはさっぱりわからない」という難易度(?)になっている。偉い先生が監修しているのだろうが、もう少し一見さんに寄り添うべきだろう。
例えば"もっとも美しいギリシア式の劇場"の説明文は「…いつの世でもよく起こることではあるが、建築形態としての劇場空間が完成されたときには、そこで上演されている演劇自体は形骸化する傾向があるのではないだろうか」と終わる。文化の成熟や建物の様式を説明した後に、突然の「私見」である。
この「てあとろん」は、公園を訪れる人達が劇場を知るきっかけになればと企画されたそうだが、実際の内容は「演劇は誰にとっても素晴らしい」という大前提の元で書かれている。それでいて写真や資料は小さいのだから、なんだかとても傲慢に見えてしまった。伝えるためのスタート地点が違う。
通路の後半には、この「てあとろん」の企画が始まった最初のメールからデザインの試作、劇団員が手掛けた実作業の風景なども展示されている。ここでも内輪受け、あるいは発起人の権威みたいなものが当然のように内容から滲み出ていて、細かいところで引っかかってしまう。
あくまで劇団員の手による文化祭的な展示・企画とはいえ、内容まで学内限定の文化祭的な閉鎖感があるのは、やはり残念だ。
今は小さな博物館や美術館の企画展でも外から見た時の配慮を徹底して意識している。だからこそ公立の(静岡では最大級の)施設における不親切さ、もっというと傲慢さを感じる展示は、面食らってしまったのだった。
休憩室に併設されたような小さな無料展示でここまで言うのは言い過ぎなのかもしれないが、でも「もったいない」と思えてしまう。
「演劇の街・静岡」とはいうが、大多数の市民にはそうは捉えていないだろう。自分の場合は「瀬戸内国際芸術祭」を基準にしているから評価が辛くなりがちなのだが、静岡県・静岡市のそれは、どうにも上手くいっていないように思えるのだ。少なくとも演劇にそれほど興味がない自分にとっては、舞台芸術公園も「演劇の街・静岡」というキャッチコピーも、ピンとこない。
ともあれ、ただ歩くだけならば良い公園だ。
今日も夕方には数人の散策者がいた。いくつか富士山を望める場所もあるし、トイレや駐車場も充実している。交通の便は良くないけれど、歩くだけなら間違いなくおすすめの場所である。