前にも書いたかもしれないが、我が家は近所の一部の人達からは、「気の毒」とされているようだ。
昨年の秋に母が亡くなり、独身中年の僕と、老人の父との二人暮らし。
母が活動的な人だったこともあるのだろう。男2人の生活は苦労と心配事の連続だと思われているようだ。
実のところ、それほどでもない。
苦労だってあるけれど、父も僕も家事はきちんと行うほうだ。蓄えだってあるし、今のところ日常生活は破綻していない。むしろ、いきなり増えた「おすそわけ」に戸惑っているくらいだ。
我が家の境遇を「気の毒」とする人達が想像する「かわいそう要素」は、つまるところ主婦の不在である。古い人達の家族観が未だに残っている土地なのだ。
それもひとつの親切ではあるけれど、我が家には適合しない。母が元気な時から、料理も掃除も選択も、家族全員が同じレベルで出来ていた。
唯一、家計の管理については母の"専任"分野だったが、十分な整理をしてから世を去ってくれた*1。
だから「おすそわけ」として、お通夜で顔を合わせただけの人から野菜や煮豆が届けられると、こちらとしても困ってしまうのだった。
親切であるからこそ大きくなるタイプの困惑である。
そんな状況のなか、今日はリサ・ラーソンの枕カバーが届けられた。
枕カバーとナスを持ってきた父の友人は「ユニクロで買いすぎちゃって」と言う。
枕カバーを買いすぎる事なんてあるのかと驚いたが、実際はサイズを間違えたようだ*2。
その枕カバーは、リサ・ラーソン柄である。
つまり、リサ・ラーソンの猫が、たくさんプリントされたカバーなのだ。ちょうかわいい。
つるりとして涼しげで、夏にぴったりの枕カバーではある。
いや、猫も北欧インテリアも好きで、リサ・ラーソンは展覧会にだって行っている。だけど自身の寝具に使うかどうかは別の話である。
父は服以外の生活雑貨には無頓着なので、渡せば使うかもしれない。
でも無頓着な人に回すのが良い事とは思えない。
というわけで、今夜から自分の枕はリサ・ラーソンの猫柄となった。
シンプルな無地の夏用枕カバーを洗濯している時の交代要員として、活用することにした。
それにしても、冬の大根や白菜、春のタケノコ、初夏のズッキーニやキュウリ、たぶん夏にはゴーヤー。「買いすぎた」「作りすぎた」「自分の家では使わない」そういった品々が本当にたくさん届く。
最初はお返しに悩んでいたが、返礼の連鎖が面倒なので、最近はあまり厳密に返礼をしなくなった。
野菜にしろ枕カバーにしろ、あるいは中高年の生活習慣病に効く薬草茶にしろ、贈り物は例外なくありがたい。
だけど、ちょっとだけ困っているのも確かなのだ。