大晦日にドーナッツ

もう年越し蕎麦を食べて、今から紅白歌合戦を見ながら年を越す体制となっている我が家。兄の家族も来ていて、久しぶりに一族が集まったかたちだ。

昨日までは年末年始の実感も無かったが、今日はそれなりに「年の瀬」気分になってきた。とにもかくにも一応は”納まる”のが日本の年末年始である。埃を払い、水拭きをしただけでも清新な気分になれる、そんな国に住んでいる。

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さて、1年を振り返ろうと思ったけれども、よくも悪くも大きな出来事が無くて困ってしまう。
面白い出会いもあった。
家族は大病をした。父なんて転んで腰の骨を折った。
親戚や親の知り合いが数ヶ月に1人ずつ亡くなって、家の片付けやら葬儀の手伝いやらに奔走した。
大好きなお店が、いつの間にか閉まっていた。
次に旅行に行ったら寄ってみたい名店が、消えてしまった。
東京オリンピックパラリンピックも心から楽しめなかった。あと数ヶ月延期していたら…と今でも思っている。
静岡に戻ってくる時に「落ち着いたら、遊びに行きます」と伝えた人達に、まだ会えていない。

長く書くと、どんどん低調になりそうな一年。
もちろん楽しいことも不思議なことも多かったはずだが、全体的な印象は彩度も明度も低くなってしまう。個人的には”つつがなく”過ごした年ではあるのだが、それでも。

そんな2021年も、とりあえず終わり。
幸か不幸か、2022年が始まりそうだ。
とにかくがんばる、というほど単純な世界では無さそうだけれど、まあなんとかなるでしょう。

 

このブログを読んでくれた皆さんは、どんな一年だったでしょうか。
顔も声も知らない人達に、一方的に伝える文章は、まだまだ続く予定です。mixiが招待制だった時代から、ほとんど休みなく続けているけれど、何の役にも立たないDiary。特に2020年は、役立ち度が低かったと思います。

ともあれ、ありがとうございました。
今後ともよろしく。

 

全然関係ないけれど、今年最後のおやつはスターバックス・コーヒーのドーナッツ。貰い物。普通においしかった。

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忘却のタルトタタン

この2021年を振り返ろうと思ったけれど、まだ全く区切りの気分になっていない。
移動が制限され、無駄遣いを極力減らし、人と会わなかっただけなのに、「今年はこういう年でした」と総括するための取っ掛かりが見つからない。

特に移動距離が少なかったこと、そして都会へ行く機会が皆無だったことが大きい気がしている。

年間の移動距離は昨年の6割程度(Google調べ)。県外への旅行や飛行機移動が無くなったことが大きいが、日常でも近距離移動ばかりだった。

都会に行くことも無かった。仕事はもちろん、都会=美術館or博物館or種々のイベントであり、見聞を広める機会となっていた。なにぶん田舎暮らしなので、行くたびに何かを得ることができてしまうのだ。その機会が消えたのは大きい。


とにかく、困ったことである。

 

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そういえば今日は、早朝から所用で県西部に行ってきたのだが、誰とも会わず、コンビニすら寄らなかったせいか、既に今の時点で印象が薄れつつある。

午後には藤枝市の「ボクゥボクゥ」で、最高においしく見た目もかわいらしいタルトタタンを食べた*1。でもスマホを忘れ、カメラも持っていなかったので、たぶん来週にはタルトタタンの印象も薄れていくだろう。

これはもう「ボクゥボクゥ」やタルトタタンの問題ではない。100%、僕の脳が悪いのだ。僕の情報処理システム全体のトラブルと言っても過言ではない。

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もちろん影響は残る。
僕の人格形成にバタフライ・エフェクト以上の何かを残すだろう。小さな出費は、今後の買い物に関する判断を変えるし、次に藤枝市タルトタタンを食べたくなった時には店を選ぶ判断基準になる。

一年間のぼんやりとした日々も同じ。
「ぼんやり過ごした」という印象も、そして実際はどたばたと過ごした日々についても、何も残さず消えていくわけではない。

だとしても寂しいことだ。
いや、学校生活ではないのだからアルバムに貼れるイベントが連続して欲しいわけではない。それでもやはり、「2021年は、○○を得ました!でも残念なこともありました。総じてカラフルな年でした!」と言いたいではないか。

 

 

おそらく明日は、午後から忙しい。
兄家族と大晦日を過ごすのが、我が家の習いである。だから日記もそっけなくなるはず。

本来なら、そろそろ年末年始特有の落ち着いた、そしてしゃきっと引き締まった気分になっていくはず。でも今年は本当にそんな感じがしない。
ぜんぶウイルスが悪い。とりあえず、そう思っておく。

 

全く関係ないけれど、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」がとびきり面白い。
著者は「火星の人(映画:アルテミス)」のアンディ・ウィアー。先が読めない展開なのにするする頭に情景が浮かぶ読みやすさ。今年の最後に、今年最高の小説に出会えたかもしれない。

お題「我が家の本棚」

*1:見た目の良いタルトタタンはそれだけで希少である。

藤枝市の「ル・ポティロン」

藤枝市のケーキとカフェのお店、ル・ポティロンへ行ってきた。
年末の慌ただしい時間の合間の、コーヒー休憩。もちろんケーキも食べた。

JR藤枝駅から歩いてすぐの距離、県立武道館の裏手にあるケーキ屋さん。奥にテーブル席がいくつかあって、紅茶やコーヒーも注文できる。毎日ではないけれどパンも焼いていて、なかなかおいしい。
ショコラショーやパフェなど、ショーケースに無い品も充実していて、ケーキカフェとしても良い店だと思う。シャーベットやアイスクリームの類も種類が多く、冷菓を活用したデザートメニューも豊富だ。

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今日はブレンドコーヒー、そしてショコラ・ポンを選んでみた。
ショコラ・ポンは濃厚なチョコレートケーキ、他店でいうところのショコラテリーヌやガトーショコラを、さらに濃く、みっしりと重くしたような品。この店のスペシャリテかもしれない。

少し酸味のあるコーヒーを飲みながら、ちびちびとショコラ・ポンを食べていく。
街はざわざわと落ち着かないけれど、店の中は別世界。
良い時間を過ごすことができた。

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メニューブックにも様々な甘いものが載っているが、壁にもスペシャルメニューが並んでいる。季節替わりの品などが食べたい場合、スイーツ盛り合わせを豪勢に楽しみたい場合は、壁や柱をチェックすればいい。

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10年前には「ケーキ激戦区」なんて呼ばれていた藤枝市。その時代を思わせる、きちんとした良いお店。ケーキにもお店にも、時間とコストをしっかりかけている感じが好印象。でもお高い雰囲気は皆無で、リラックスできる。
臨時休業や特別営業時間が少なく、ふと思い立って行けば必ず開いているのも良いところ。中高年のお客さんが多い気がするけれども、年齢を問わずおすすめできる店でもあります。

 

 

白目の火傷と旅情ラーメン

クミンの種を炒めていたら、左目に飛び込んできた。
眼鏡を外して料理をしていた時の出来事。
そもそも普段は眼鏡をしているのが当たり前で、ちょうど別の作業で油汚れが付いてしまって外したばかりだったのだ。その珍しい状況で、白目に火傷を負ってしまった。

といっても大した火傷ではない。
なんだか違和感があるし、鏡で確認すると、クミンが当たった部分の色合いが変わっている。ツヤ消しのオフホワイトになった部分が2箇所、ごく小さな斑点のように見える。おそらくはタンパク質が変質したのだろう。わかりやすい変化だ。

 

 

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全く関係ないが、昼食はラーメンを食べた。
色々あってイレギュラーな外食となった。特に積極的な理由もなく入った「京都の名店」を謳う店。ごく普通の、現代的なラーメンだった。脂が少し浮いていて、味が濃い。僕はマニアではないので「なんだか、サービスエリアで食べたラーメンみたいだな」と思っただけ。
といっても悪い気分ではなくて、逆に懐かしくなってしまった。

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そう、この感覚は久しく味わっていなかったのだ。
かつて、旅行や出張、転居で長時間の運転が当たり前の時期があった。長距離移動が続けば、どうしても高速道路のサービスエリアを利用することになる。最近のサービスエリアは、立派なフードコートに、どこかの有名店が入っていることも多い。というか、食券で「ラーメン」を注文するような食堂っぽい店のほうが少ないかもしれない。だからサービスエリアといえばフードコートに立ち寄ることになる*1
可能ならばその土地の名物を食べたいけれど、特に無い場合、手っ取り早いのがラーメンなどの麺類。そしてフードコートには、必ずといっていいほど「元祖○○ SA店」といった看板が立っている。たいていは太い筆書きの説明と、腕組みをした店主の写真が添えられた「名店」。普段ならまず立ち寄らないタイプの店ではあるが、なにしろ旅の途中だから、多少でも非日常を味わいたい。
でも、次善の策として少しの期待とともに選んだこだわりのラーメンは、まず間違いなく平凡なのだ。
もちろん、街の中華屋さん、あるいは自宅で作るラーメンとは全く違う。でも、地鶏の鶏ガラや蔵元取り寄せの醤油を謳う割には、普通の味。あくまでサービスエリアの水準に留まっている。

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今日の昼食で出会ったラーメンが、まさにその”普通”だった。
幹線道路沿い、いかにもラーメンマニアっぽいバイク乗りも集まっていた店なのに、これといった特徴がない。強いて言えば、脂と、濃い味付け。

でも、遠出がなかなかできない昨今、こうして気軽に「旅っぽさ」が得られたのだから大満足である。旅情というにはいささかしょんぼりとした体験ではあるが、それもまた旅の趣。

 

 

そんな火曜日。
では寝ます。おやすみなさい。

 

 

お題「わたしの癒やし」

*1:コンビニや売店で手軽に済ませることも多かったが、車から降りて過ごす時間を作るために、意識してフードコートなど”外食”を選んでいた。

バケツではなく箱だった #LOTTERIA

こんにちは。今日は、昼には少し遅い時間にロッテリアに行ったんですよ。
静岡県中部にあるロッテリアは1店だけ。ちなみに東部や西部にもあるけれど、純粋な1店舗・1建屋の路面店はこの静岡県中部にある静岡県だけです。
そんな貴重な、静岡県中部民にとっては「最後のロッテリア」ではありますが、90年代のファミレスから人間を消したような、大雑把で寂しい雰囲気が気に入っています。

とにかくそんなロッテリア
昼食を食べ損ねて、何か口に入れておきたい。でもあんまり重いものは要らない。
コーヒーは無性に飲みたい。甘いものは要らない。少なくともロッテリアの甘いものは食べたくない。そんな中途半端な気分でした。

さてどうしようか、フライドポテトにしようかな…と考えていた時に勧められたのが、バケツ入りのセットメニュー。今ならクーポン使用で500円とのこと。

バケツというのはつまり紙コップの巨大なもの。
カフェオレボウルより少し大きいサイズの紙製バケツに、フライドポテトとチキンが縦に詰め込まれているようです。

普段ならば選ばないボリューム。でも今日はこれがぴったりの選択に思えました。
なかなか行く機会がないロッテリアで、限定販売の珍しいものを偶然選ぶ。昔勤めていた会社の社長も、偶然の縁(えにし)は大切にせよと言っていました。 

 

というわけでコーヒーと、このバケツ入りのサイドメニュー大盛りバージョンを注文しました。

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店内は空いていて、でもドライブスルーは長蛇の列。何か子供向けのオマケ付きメニューを求めている人が頑張っているようです。
たぶんそのドライブスルー側の混雑のせいで随分と待たされました。そして届いた(というかカウンターで受け取った)バケツ入りのポテトとチキンはこんな感じ。

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箱にざらっと入っていました。
大きな箱の、下の方に放り込まれている感じ。


こういう食べ物は、アメリカ映画で見たことがあります。
張り込み中の刑事(妻とは離婚調停中)が不味そうに食べているタイプの食品。誰もこんな品を喜んで口にしません。いわゆる「しけた食べ物」です。

僕も海外旅行中に、よく似た雑なファストフードを買った記憶があります。
その時は外国っぽさで嬉しくなりましたが、静岡市は流通通りのロッテリアで渡されると、とてもとても残念な気持ちになります。

だってバケツじゃないですから。
こんな、箱の下半分に放り込まれた揚げた芋と油っぽい成形鶏肉を僕は食べたかったわけではないのです。

まだ熱くて、できたてなのはわかりますが、でも僕が欲しかったものとは違います。
こんなものは、断じて「バケツポテから」ではないのです。

店員さんは、何か「箱で提供させていただいていますご協力ありがとうございます」みたいなことを言っていました。もしかしたら理由も伝えようとしていたかもしれません。でも冬休みアルバイト2日目の高校生(推定)ならではの、早口&小声で、理由はわかりませんでした。たぶんバケツが不足しているのでしょう。

大抵のものは文句を言いながらも食べ尽くしてしまう僕ですが、これはなんとなく残してしまいました。
冷静に考えれば量が多いですし、延々と食べ続けるにはコーヒーが足りない。
しかも、近くに座った2人組が、長い口喧嘩を始めてしまったのでした。

そんなわけで、短くて摘みにくいフライドポテト(箱の底に残る、しみったれた揚げた芋)は残して、ロッテリアを後にしました。

 

 

 

バケツに入ってきたら、きちんとおいしく食べ終えただろうか。
今もそのことを考えています。
たぶん「多いなあ。こんなには要らないなあ」と思いながらも、きちんと食べ終えたでしょう。コーヒーを1杯、おかわりしたかもしれません。
そして「こんなに沢山のジャンクフードを食べることはなかった」と反省して、でもバケツ入りの食べ物を堪能した記憶と共に帰路についたはずです。

たかが容器。でも紙箱とバケツでは大きな違いです。
「人間だけが神を持つ。今を超える力、可能性という内なる神を」とカーディアス・ビスト氏は言いました。
今日の僕にとっての神は、バケツでした。
そして、神が去ってしまった世界でも、我々は未来へ進みます。ただそれは悲しいことなのです。

 

以上が今日の日記です。
おつかれさまでした。そして、おやすみなさい。
皆さんのロッテリア・ライフに、薄っぺらな紙箱ではなくて、正しいバケツが届きますように。

 

 

 

寒波・風花・干大根・オムライス・図書館・靴下・映画館

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かざはな

今日はとびきり寒かった。昼間にベランダの温度計が6℃を超えないなんて今年初めてではないだろうか。
自転車に乗っていても頭が痛くなってきた。この気温だと、自転車でのんびり走るのは楽しみよりも辛さが大きくなる。

夕方からは風花が舞いはじめた。
風花(かざはな)という表現を静岡県外で使って感心されたことが何度もある。文学的表現、しかも古風なそれと思われているようだ*1
でも一応は国語辞典に載っている標準語。遠くの土地で降った雪が強風で巻き上げられて、晴れている地域に舞うことを指す。雪が降らない地域ならではの表現だとは思う。

 

 

大根

大根を大量に貰ったので、切って干している。
半乾きになってから煮物にするとおいしいのだ。嵩も減るし、日持ちもする。
切り方によって乾燥速度が違ってくるので、長く冷蔵or冷凍保存するものは乾燥度が高くなる短冊切り、すぐに使うものは厚めの銀杏切りにする。

この短冊切りの大根、そのまま食べてもおいしい。
甘くてさっぱりして、歯ごたえがあって、いくらでも食べられる。
大根臭さが気になる人は駄目かもしれないけれど、低カロリーおやつとしての可能性を感じる。

酸味を足してみたらどうだろう…とレモンを絞ってさらに乾燥させてみたが、酸っぱすぎて駄目だった。塩味の調味液を作ったら漬物になってしまうし、何か良い手が無いものだろうか。レモンではなくてスダチやライムで軽く味付けするか、青紫蘇のふりかけが合いそうな予感はしている。

冬の間、大根は大量におすそ分けがあるから、今後の課題として試作を続けようともう。

しかし、切って干す手間はかかるが、食べるとあっという間である。
なぜか紅茶にも合う。中国茶がいちばんおいしいと思う。

 

 

オムライス

久しぶりにオムライスを作ってみた。
家族分を用意するのは面倒だが、一人の昼食にはぴったり。
一人暮らしをしていた時には、ケチャップで自分の名前を描いたり、居住地(四国)と描いて寂しい気持ちになったものだ。今日は寂しくないように、日付(12.26)にしてみた。数字は意外と難しくて、歪みが可読性を大きく損ねる。

先ほど知人から聞いたのだが、このオムライスのケチャップは、食べるときにスプーンで伸ばすのが一般的なのだという。
知らなかった。この種のソース類は濃淡を楽しみたいので、僕は今後も塗り拡げたりはしない。外で食べることも無いから、一般的な作法と違っても全く問題ない。

 

 

図書館

読んでみたいけれど自分で買うには高価*2な本を、市立図書館にリクエストしてきた。
手続きの最中、4回も同じ説明を受けた。

「希望には添えないことがある」
「購入決定から購入、そして連絡までは長い時間がかかる(こともある)」

特に後者、時間がかかることはしつこい位に伝えてくる。
まるで「規約に同意しました」のチェックボックスをONにしないと次の操作ができないアプリのようだ。
おそらく、何かしらのトラブルがあったのだろう。
以前はこんなにしつこい説明は無かった。
図書館員も大変な仕事である。心から同情してしまう。
申込書にもきちんと書いてあることを、4回も言葉で伝えるなんてことは、尊厳ある人間の仕事ではない。

 

 

やはり寒い

隣の家の小学生が「今夜は寒くなる。靴下を履いたほうがいいよ」とアドバイスしてくれた。
僕は朝から、いちばん厚い靴下を履いている。それでも寒い。

ところで、映画館で最も客が少ないのは日曜日の夜なのだそうだ。
こんなに寒いと、静岡県民は家から出ることもないだろう。普段以上に客が来ない。
だから今夜は、来てくれただけでポップコーンをサービスすると、街の映画館がアナウンスしていた。
魅力的な提案だが、ポップコーン目当てに外出する気にはならない。少なくとも静岡県民の大半は、この寒さでレイトショーは無理だと思う。

 

お題「ささやかな幸せ」

*1:狐の嫁入り”や"雨に叢雲"みたいなものか?

*2:そして自分が必要な部分は数ページしかない

代用肉カレー

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昨晩は(思いがけず)遠方の知人から鶏の丸焼きが届いた。
びっくりしながらも家族でおいしく食べたのだが、老人と中年だけのクリスマスディナーなので、肉も骨も余る。肉は朝にチキン・サンドイッチにして、やはりおいしくいただいた。

骨はスープにすると良い、と添付文書に書かれていたので、シャトルシェフ*1で7時間ほど煮てみた。
骨に付いた肉もするりと取れ、骨の大半は柔らかになった。そして綺麗に澄んだ、濃いチキンスープができた。

ポトフ用に半分ほど保管した。
そして、残りはカレーに使ってみた。

乾物庫の片付けをしていたら、まとまった量の「大豆タンパク肉」が見つかったのだ。
この代用肉は、炒めものにしてみたらあまりおいしくなかったため放置されていたもの。そのまま食べると、ぼんやりした大豆らしい味わいがあって好きなのだが、肉として使うとまずい。おそらく親がTVで「植物由来の肉はヘルシー」みたいな情報を得た日に買ってきたのだと思う。老人の多くはTVへ絶大な信頼を寄せていて、両親もその傾向が年々強まっている。

この代用肉も、カレーにしたらおいしいのではないかと考えた。
というか代用肉を消費するためにカレーを作るといったほうが正確である。
牛や豚の肉よりは欠けているであろう旨味・脂味・そして肉の風味を、鶏由来のスープで補うという目論見だ。

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結果として、とてもおいしいカレーが簡単にできた。
タマネギは雑に炒めただけ、ニンジンやジャガイモは普通に切って、隠し味の類も使わない。それでもしっかりと、肉っぽい旨みのあるカレーができてしまった。

ちょっと多いかな、という量を放り込んだ乾燥代用肉は、スープを吸ってさらに増えた。食感は「何かの肉。しかしどんな動物なのかは不明」な感じ。乾物状態で齧ったときには大豆風味が口いっぱいに広がったが、カレーになったらわからない。
動物の脂をそれほど好まない母などは、普段の肉よりも口に合うと言っていた。

せっかくなので、次は「おいしいチキンスープ」の無い状態で、代用肉カレーを作ってみたいと考えている。それなりに良いものが作れるのではないか。
考えてみれば、レンズ豆などは肉を使わずとも良いカレーになるのだ。

 

 

というように、カレーの事しか書くことがない土曜日だった。
平和、健康、そして孤独。トラブルといえば、リングフィットアドベンチャーNintendo SWITCH)のデータを誤って消してしまったくらい。でもそれだって特に不都合は無いのだ。

では寝ます。おやすみなさい。
上に少し書いた通り、明日はチキンスープでポトフを作るつもり。
野菜が足りなかったら、大根を煮ます。

 

お題「簡単レシピ」

 

*1:真空断熱調理鍋

クリスマスイブだから

静岡市の南部へ用事があって、ついでに登呂遺跡周辺を散策してきた。
登呂遺跡の敷地内にある芹沢銈介美術館*1に行ってみようと足を伸ばしたところ、先週くらいから1月前半までは休館という。メンテナンスや展示入れ替えのため、少し長めの休館をすると書かれていた。

久しぶりの芹沢銈介美術館が空振りになってしまったのは残念でならない。
でも、他の美術館や博物館でもいい。とにかくミュージアム・ショップがある施設に行く必要があって、芹沢銈介の収蔵品は今日でなくてもかまわない。できれば年内に美術館や博物館に行っておきたい事情*2があったのだ。

というわけで他の美術館や博物館を検索してみたのだが、公営・私営を問わず、12月20日頃から来月の中頃までを休館とする施設が多かった。
静岡県立美術館は半年のリニューアル工事中だから仕方がないけれど、市営の博物館や、小さな美術館まで軒並み休館中。毎年恒例の年末休業にしては長すぎるし早すぎる。新型コロナ対応というか、来館者の少ない今にやるべきことを済ませておきたい事情があるのかもしれない。

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とにかく芹沢銈介美術館は無理だったので、登呂遺跡の散策だけをしてきた。
ついでに、隣にある安倍川餅の店に行ってみたら、ここも臨時休業。

さらに住宅街にある小さな雑貨店も休業中。
隣の市にある、考古学関係の資料館もお休み。
石碑と説明看板しか無い山城の跡もロープが張られていて入れない。
古民家カフェは厨房機器のトラブルで臨時休業。コーヒーの焙煎屋は何のアナウンスもなくシャッターが降りていた。
とにかく、行く先々の店や施設が今日はお休みだった。

理由はわからない。
僕が県外で暮らしている間に、クリスマス休暇が定着したのかもしれない。
クリスマスイブの15時過ぎには仕事なんて片付けて、神の子の誕生を祝う準備をするのが敬虔な静岡県民なのかもしれない。よくわからないが、とにかく当てが外れた事だけは確かである。

 

 

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クリスマスイブにはカフェやケーキ屋には行かないことにしている。
基本的に喫茶は受け付けないし、開いていてもばたばたしている。クリスマス限定メニューがあったとしても、わざわざ行く価値を認めない。

だからといって、あらゆる行き先が空振りに終わったクリスマス・イブに、例えばマクドナルドのコーヒーで済ませるのもつまらない。マクドナルドのコーヒーは値段を考えれば驚くべきおいしさだが、でも”済ませる”のは駄目だ。

 

 

というわけで、おとなしく帰宅して、コーヒーを淹れて飲んだ。
シュトーレンを一切れ、昨日買ったパネトーネも食べた。

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これで僕のクリスマスはおしまい!と思っていたら遠方の知人から鶏のローストが届いた。しかも1羽分。作り置きの筑前煮やキャベツの千切りとは合わない気がするから、急いでアボカドサラダなどを作って、祝いの膳とする。
そんなわけで、思いがけず華やかな夕食となった。

先ほど、風呂上がりにシュトーレンを2切れ食べた。これで本当に、今年のクリスマスはおしまい。
靴下も用意したし、今夜は早寝するつもりだ。
おやすみなさい、良い夜を。

 

 

*1:けいすけのケイは金偏に圭

*2:詳細は長くなるので書かない。

静岡のインドのランチのカレー

静岡市葵区、千代田のカレー屋「インド」にて昼食。
老舗というか昔からある店、でも自分にとっては行く機会がなかなか無くて気になる店。それがインド。

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インドとはいうが、カレーにインド風味は皆無である。
カレースタンドというか喫茶店というか、要はエスニック要素皆無な日本のカレー。
おしゃれな要素が皆無の、でも地元の人達からは愛されているであろう専門店である。
平日の昼は12:00頃に混雑して、12:45には楽に座れるようになる。

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メニューあるいはシステムは「CoCo壱番屋」に似ている。ただし、老爺1人で作っているから、いくぶんシンプルである*1


まず、基本のカレーが数種類*2を選んでから、多種多様なオプションの具材を選択、さらに辛さやご飯の量も調整できる。

驚くべきことに「ナン」もある。でも注文している人には遭遇できなかった。
さらにカレーにスパゲティ150gを添えるランチセットもあるようだが、完全に「がっつり食べたい人向けランチ」の扱いで、僕にはいささか多い。

 

 

今日は初めてということで、ランチタイム限定のランチ・カレーにしてみた。
ランチ・カレーの場合は、カレーに小さなサラダが添えられ、オプションの選択肢が狭まってしまう。でも安い。

ちなみにオプションを3種類以上選ぶと怒られるらしい。実際に、細々と注文をつけていた人が注意されていた。
愛想はなく怖い感じの老店主だが、基本的には親切である。ただ、店員の女性にだけぞんざいなのは気になってしまった。あの年齢の男性なら珍しくはないけれど、それでも狭い店で特定の相手だけに厳しい口調が飛び交うのは嫌なものだ。

ともあれランチのカレーはこんな構成にしてみた。

  • カレー(辛さレベル2)+ハンバーグ
  • ごはん:-100g
  • オプション:肉だんご

なんだか小学校高学年が喜びそうな組み合わせである。
辛さは「大辛」と表現されていて、しっかり辛いけれども、周りのお客さんは5段階や7段階を普通に注文していたので、レベルを増やしても激辛に挑戦という程でもないのかもしれない。線形に辛さが増えていったらレベル9では大変なことになるから。

僕はなんとなく(物珍しくて)肉だんごを選んでみたが、周囲のお客さん達は全員がタマゴ系のオプションを選択していたのも気になる。スクランブルエッグや目玉焼き、生卵の乗ったカレーがどんどん運ばれていた。
さらに、当たり前のように「やさい」が選択されていた件も興味深い。具が見えないさらっとしたカレーだったから、「やさい」によって具入りのカレーが完成するのだろう。

 

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果たしてこのカレー、なかなか満足できるものだった。
チャツネというより福神漬け的な、もっというとウスターソースのような酸味が感じられるカレーは、懐かしい味わい。辛さも程よくて、安心できる味。でも家では作れないと思う。
そういえば大学生になって初めて都会で食べたカレーがこんな感じだった。学食ではなく、おしゃれな店でもこだわりの店でもない普通の店に飛び込んだときに出会った味。街の人達の日常食というか。なかなか田舎では出会えない味だった。

ごはんの量も、減らして正解だった。
ハンバーグも普通に1食分のサイズだったから、たぶん通常サイズだったら食べすぎだったはずだ。100g減らしてもお腹いっぱいだった。

ランチカレーではなく、普通のメニューで色々とオプションを増やしても*31000円程度、ランチなら700円で満ち足りた気分になれる。今どき珍しいお店かもしれない。僕が運動部の高校生だったら、足繁く通っただろう。

気楽で手軽、膨大な組み合わせから自分なりのメニューを組み立てることができる日常の外食…と連想するのは、四国は香川県における讃岐うどん店。かの地における地元民の平熱な具合が、「インド」の客にとても近かった。

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そんな「インド」のカレー。
店を知ってから20年近く経つはず。特に何かあったわけではないが、今回立ち寄れて良かった。個人的に色々と気になるので、また外食の機会があったら行ってみようと思う。

 

 

書き終えて思ったが、これ完全に「孤独のグルメ」である。
しかし仕方がないだろう。僕の昼食は90%以上が孤独である。

 

お題「ささやかな幸せ」

 

*1:とはいえ揚げ物は注文を聞いてから用意するなど、老爺+女性1人で切り盛りできているのは驚くべきことだ。

*2:チキンとポークとハンバーグ、そして特別何も入っていないベースのカレー

*3:もちろんオプションは3種類を超えてはいけない。

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