昨年も寝正月と書いた気がするが、今年は輪をかけて寝正月だった。
朝にほんのひとくち日本酒を飲んで、ちょっと糖分多めの食事(お節料理)をとっただけで、がくんと眠くなってしまう。
どうせやることもないからと、安心して寝てしまった。
そんなわけで午前中は、二度寝の合間に読書をするだけの時間を過ごした。
午後も大して変わらない。
読書と散歩と昼寝、それに夕食の準備を少し。
数枚だけ届いた年賀状に返事を書いて、なんとなく散らかっていた机を整理するなど、普段の休日よりも地味な過ごし方をしている。
そして夕方からは、能登半島地震のニュースをずっと見ていた。
人間の作った暦に自然災害は忖度しない。当たり前のことだ。
でも、つい考えてしまう。どうして元旦に、こんな酷い地震が来るのだ。役所も病院も、あらゆる会社組織も人間が最も少ない日だというのに。
遠く離れた地で情報だけが入ってくるこの感覚を、数年毎の大災害で味わっている。歯がゆいが、自分にできることは情報収集をして、支援の手段を探し、黙っていることだ。余計な物語を考えるのは避けて過ごす。
少なくとも理性を尊ぶ身として「幸先が悪い」とは絶対に考えない。あくまで自然災害なのだから、幸先や運勢なんていう概念は不要だろう。
ともあれ始まってしまった2024年。
きっと感染症は続くし、気候は過酷で、経済は不穏なままだろう。
自分の人生がどうなるかはわからないうえに「一年の計」なんて考えもしていないが、なんとか楽しく生きていきたい。なるほど、人が老いると大それた事を言わなくなるのは、こういう心境なのかとふと思ったのだった。