日が出る前に家を出て、清水区に行く。まずはお仕事。
昼過ぎには片をつけて、残りの時間で家の用事を済ませていく。
その前にまずは昼食。
せっかくだからと新清水駅横の「ミトラ」でビリヤニ・ランチを食べてきた。
この辺りは先月の洪水で被害が大きかった地域。
店には「まだ片付け中ですがランチはできます」といった断り書きがあった。
ビリヤニはとてもおいしい。
カレーなどを徹底的に混ぜながら食べるのがおいしいのだと教わった。
確かに、ビリヤニだけを食べると、少し塩辛くて油も強い。カレーやライタを混ぜたほうが味が穏やかになる。これはなかなか不思議な感覚だった。日本の料理では、混ぜると味は濃く、強くなるものばかりだ。カレーならばなおさらのこと。
ともあれ、チャイやグラブジャムンまで堪能して、大満足の昼ごはんだった。
葬儀の関係でお世話になった親戚の家までは、少し歩く。
水道が復旧してからニュースで取り上げられることは減ったが、まだ巴川沿いには水害の跡が残っている。道路には赤茶色の乾いた泥が舞っているし、廃屋のようになった家もある。幹線道路を渡るための地下道は軒並み通行止め。
土嚢や濡れた畳が積まれたままの家もいくつかあった。
親戚の家を訪問した後は、銀行と区役所へ。
母は清水区(昔は清水市だった)の生まれで、仕事でも色々と縁があったのだ。
銀行手続きは、すぐに終わった。というか、今日できることは報告だけで、提出書類などは家で仕上げなければいけない。そのために必要な書類を、区役所で手に入れる必要がある。
というわけで清水区役所へ。
ここでは、いくつかの金融機関から求められている「生まれてから今の所在地へ移るまでの、全ての戸籍謄本」を発行してもらう。
申請自体は簡単だった。事情を口頭で伝え、今の住居の戸籍謄本を見せたら、調べてくれるという。
ただし、待ち時間は長い。
デジタル化されていないのかもしれない。どこかの書庫に収められているのか、あるいはマイクロフィルムにでも転写されているのか。とにかく1時間近くを区役所の中で待った。
でも清水区役所で待つのは、それほど苦ではない。
かつて清水市役所だったからか、建物がとても立派だ。昭和のお金をかけたコンクリート建築の趣がある。タイルもモルタル装飾も凝っているし、大きな壁画もある。
以前住んでいた、香川県の高松市役所を思い出した。そういえば、高松市も港町で、昔はずいぶんと景気が良かった。街の様子も、清水区と高松市は似たところがある。
今日は食べなかったが、区役所内の食堂では刺身定食や寿司もあるという。ロビーにはボランティア団体の立派な焼き菓子屋さんもあった。
しかし今日は人が多かった。
水害に遭われた方々が、補償や補助の手続きに訪れているのだ。だから普段よりは、少し雰囲気が違ったかもしれない。
自分は人の少ない隅のほうで、ひたすら読書をしていただけだが、窓口では声を荒げる人もいて、まだ平時ではない様子が伺えた。
区役所の近くにある郵便局も閉鎖中だった。
官庁街・オフィス街の郵便局ではあるが、やはり洪水の被害があったようだ。
せっかくだからと少し周囲を散策してみたが、どうにも気分が暗くなってしまう光景が散見された。
こうして手に入れた、母の古い戸籍謄本は、なんと縦書きだった。
祖父母が戸籍を作った時のフォーマットを、延々と引き継いでいったらしい。祖父母が世を去った平成の中頃まで、手書きや活字(印刷した文章を貼り付けたのだろうか?漢字タイプライターだろうか)で記録がされていた。
そんな、久しぶりの清水区と清水区役所。
手土産に古い魚屋で地物の魚や惣菜を買ってから帰る。父もまた清水の生まれだから、清水の食べ物はたいてい喜ぶ。