カップラーメン考

降雨その他の理由で、自宅敷地からほとんど出ないで休日を過ごしてしまった。
運動不足なので、久しぶりにリングフィットアドベンチャーを少し。
それ以外は、知人から頼まれたパソコン仕事を少し進め、それ以外は読書と家事に邁進した。

昼食はカップラーメンを食べた。災害用に保存してあったものをローテーションする時期になったのだ。
でも我が家はカップラーメンを食べる習慣が無い。前回は親戚が貰っていったのだと思う。我が家で最もインスタントなラーメンは、袋入りの即席麺である。両親が登山をしていた時期には、カップラーメンを食べていたようだが、今はもうそんな機会もない。
僕も、特段の理由なくカップラーメンは食べていない。お湯を沸かす手間をかけるのならば、もう少し手を加えた料理を作るし、面倒ならばヨーグルトで済ませる。

というわけで我が家では本当に久しぶりのカップラーメンとなった。

ところが準備のときに不思議なことが起こった。
お湯を沸かしたところで母が野菜を用意し始めたのだった。
「具が足りないから、炒めた野菜や肉を足そうと思って」と母は言う。

これは僕にはとてもおかしなことに思える。
カップラーメンの持ち味を生かさない食べ方ではないだろうか。
だって、カップラーメンは、ラーメンとは違うのだから。

このあたり、本当に両親はカップラーメンに慣れていないのだと気づかされた。
もう高齢なので、「作り方」の文章を読むようなこともない。もちろん、小袋に書かれた「食べる直前に入れてください」といった注意書きも気にしない。大昔の記憶を元に、全て最初に入れて、お湯を注いで3分待てば、いかにも即席なもの(味は二の次の食べ物)ができあがると思っている*1

そういうわけで、両親が昭和の記憶と印象のまま作ろうとするのを押し留め、野菜は別に肉野菜炒めとし、カップラーメンはメーカー推奨の作り方できちんと作ることにした。

そして、そんな両親だから、そして本当に久しぶりに食べた僕も、最近のカップラーメン*2の、味の進歩には驚いた。
もちろん店で食べるラーメンとは大きく違う。しかし、カップラーメンらしさを磨き上げた味として、感心させられる味わいとなっていた。

今、改めて思う。あのとき、母を止めずに、"我が家オリジナル"の作り方をしていたら、おそらくメーカーが意図する味にはならなかった。それは、カップラーメン開発者の想いを無視することになっていた。工業製品かつ食品であるカップラーメンは、最低でも最初の1回は、アレンジを加えない作りかたをするべきだ。
父は「店のラーメンのほうがおいしい」と言っていたが、それはもうスタート地点から間違っているので、何も言わない。

 

 

*1:しかし味噌ラーメンは5分、塩と醤油ラーメンは4分の待ち時間だった。

*2:正確には3年前に購入したカップラーメン

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