政教分離よりも地域のふれあいを大切にする我が町内会は、お祭りの翌日に町内会長が砂糖菓子やお茶を配ることになっている。
砂糖と寒梅粉を固めた打ち菓子、それに梅干しを粉末にしたような桜湯のようなインスタントの謎茶、その2種類が定番である。
僕はこの砂糖菓子がわりと好きで楽しみにしているのだが、一般には歓迎されない。
今どき、単に甘いだけの熱量の塊なんて子供だって食べない。喜ぶのは甘党中年だけ。
もちろん、これはありがたい縁起物である。
秋のお祭りで神主がシントーのパワーを注ぎ込んでくださったものだ。食べれば奇稲田姫だか大国主命のエネルギーを得ることができるはず。
でも、やはり砂糖菓子とインスタント・ティーである事実は否めない*1。
さらに言うと、もちろんこれらは我々の町内会費が使われている。
だから最近は、町内会長が配りに回っても、受け取ってもらえないこともあるそうだ*2。
今日はそんな愚痴を会長から聞いた。
今の町内会長は、子供の頃からお世話になっている近所の人だ。だから気軽に話をしてくる。相槌を打っていたら、この望まれない神の力、神饌たる砂糖菓子を6袋も貰ってしまった。中には紅白1個ずつ入っているから、なんと12個も落雁モドキが手に入ったことになる。
どれだけ人気がないのか。
僕だって、こんなには要らない。実は、ほぼ砂糖として使えるので*3砕いて活用することになるだろう。
実を言えば、友人夫妻の住む土地では、この種の縁起物のお菓子も麩焼きや煎餅やビスケットに切り替えているそうだ。うらやましい。
用意をするのは地元の和菓子屋であり、その和菓子屋さんが「できれば喜ばれるものを」と工夫をしたら、神社や町内会も受け入れたのだろう。
神様は偉大なので、砂糖の塊だろうがジンジャークッキーだろうが、きちんと受け入れてくれるはず。宗教の良いところは、融通が効くことだ。物理現象では、こうはいかない。
そこで僕も考える。神道のイベントを強制する是非とは別に、これからの「神様からのおすそわけ」に何がふさわしいのか。
一番いいのは、香川県の婚礼菓子「おいり」だろう。
あれはかわいいし、軽いし、安くておいしい。
コストをかけて良いのなら、北海道は六花亭の「六花のつゆ」が喜ばれるはず。子供は食べられないけれど、小さくてかわいくて気が利いている。しかも、日常では手に入らない。
と、そんな益体もないことを考える月曜日。
祝日ではないが、なんとなく街は静かな雰囲気だった。
もうあと数時間で今日も終わるが、今もまだ「今日が祝日だっていいじゃんね」と思っているし、これからしばらくは「東京オリンピック日和ですね!」と思い続けるだろう。