旅の記録。
今回行ったのは、瀬戸内海の東の端*1、四国と淡路島と本州が作る海峡にある無人島の友ヶ島。
幕末の頃から砲台が作られ、第二次世界大戦には要塞の島として運用されていた。
今は無人島ではあるが、アクセスの良さからキャンプや釣り、野外学習の場として親しまれている。もちろん灯台や電波設備なども多い。
そんな島ではあるが、要塞・砲台部分は戦後に遺棄され、現在は廃墟化している。
近年、この廃墟部分が「インスタ映え」「ラピュタみたい」と若者に人気となっているらしい。
そんなわけで、僕が行った月曜日の昼間にも、渡船の客の七割が女性だった。サンダルやヒールのある靴の人さえいた。
男性の多くは彼女らの同行者。どちらかといえば髪の毛の色が明るくて元気な人たち(穏当な表現)が多い。廃墟なのに、面倒くさそうなサブカル気味の人が少ないのは珍しいのではないか。
他には三世代(子供は幼児)の観光客が少し。釣り人はたぶん早朝の便を使うので、昼の船には乗っていない。
自分がこの島の存在を知ったのはサブカル廃墟特集の雑誌やWebサイトだったから、今のこの”リア充”っぽさは意外だった。
島に渡っても、神妙な顔で廃墟の写真を撮る人は少ない。
にぎやかにお喋りをしながら記念撮影スポットを巡り、1時間か2時間後の船で帰る人が多い様子。
上半身裸で海岸や芝生広場を歩き回る学生さん達もいた。
おそらくは、関西圏の「夏に若者が遊びに行く場所」なのだと推測する。
しかし廃墟めぐりは、見た目ほど楽ではない。
道は整備されているけれど、意外と坂が多いのだった。
歩き慣れている人ならばなんてことはないハイキングコースではある。若者なら無理も効くだろう。しかし、運動不足を痛感する独身中年の自分にとっては、なかなか辛い道ではあった。
年配の方、それから若いが運動を全くしていない方々は、船着き場から遠く離れたスポットを諦めているようだった。
しっかり歩けば4時間くらいかかるだろうか。
いわゆる写真映えする有名スポットだけを巡るのなら2時間程度。
自分は13:00の船で島に渡り、15:30に島を離れた。もう少し滞在したかったのだが、足は痛くなっていたし*2その後の予定もあったので、短めに切り上げたのだった。
そんな島だが、確かに雰囲気は良い。
瀬戸内海のような、本州の太平洋岸のような、常緑樹の豊かな森の中を散策するのはとても気持ちがいいし、かつて行楽地として栄えていた名残りのようなものを、茶店やキャンプ上の廃屋から感じることもできる。
最近の「売り」である、レンガ造りの要塞群も素晴らしい。
かなりの箇所が立ち入り禁止となってはいるが、暗く、湿った、そして見慣れない構成の地下室や砲座は、いかにも非日常だ。
どのへんが「天空の城ラピュタ」なのかというと疑問だが*3京都や横浜などのレンガ建築が好きな人には、自然に埋もれたこの要塞跡はたまらないのではないだろうか。
惜しむらくは説明が足りないこと。
立て看板やステンレス製のパネルをきちんと読めば、情報量は十分。とはいえ多くの人は完全にスルーしている。長崎の軍艦島(端島)のように、産業遺産としてきちんとした説明を知った後ならば、もっと楽しめるはずだ。
そういう需要は無いのかもしれない。ただ朽ちた”雰囲気の良い写真が撮れる場所”であれば良いのかもしれない。
しかしそれではもったいない。「何のための施設だったのか」すら知らずに歩いている人が多くて気になったのだ。パンフレットすら読まないのだ。
もう「インスタ映え」が、一昔前の流行になりつつある昨今。ただ写真を撮って数時間の散策をするだけの島では、いずれ廃れてしまうだろう。
そんなことを思ったのは、瀬戸内国際芸術祭の取り組みを見てきたからかもしれない。「自分の感性だけではない何か」に出会えるからこそ、人は船に乗って離島に行くのだから。
友ヶ島へのアクセスは、加太港から。
せっかくなのでと街の散策をしたが、新型コロナ禍とオフシーズンの合せ技で、閉まっている店がほとんどだった。しかし雰囲気の良い漁村で、ただ歩いているだけでも楽しい。
朝に静岡県の中部を発ち、朝食を三重県の「CafeSnug」で食べて、昼頃にこの加太港へ到着した。
夕食は和歌山市の中心街にある老舗食堂「更科本店」で食べた。和歌山市、コンパクトですっきりとした、良い県庁所在地という印象。散歩も楽しい。ただし歩き疲れて足が痛かった。
そういう旅の1日目。
日が沈んでから1時間ほどかけて南紀白浜の観光ホテルに移動。夜は温泉に浸かった以外は何もしていない。
友ヶ島、行けてよかった。遠くに四国を望むことができたし、風景がなんとなく瀬戸内海っぽくて、懐かしい気持ちにもなれた。旅の一日目に船があると計画がタイトになるのだが、今回は大成功。