先ほど、実家に到着した。
午前中にはアパートの鍵を返した。最後まで掃除や片付けをしていたせいか、管理会社の担当者曰く、部屋の状態は「完璧以上」とのこと。規定により行われるハウスクリーニングやエアコン掃除の代金だけ敷金で払えば良いらしい。家賃に応じて貯まるポイントですべて賄える予定だ。
ガスの閉栓も、電気の契約解除もつつがなく完了。電気はオンラインで全てできた。なるほどスマートメーターである。
高速道路に乗る前に、少し遠回りして瀬戸内海を見ておく。
今日は雲が多い。山でいうところの「ガスっている」状態。
小豆島も大島も、それから行き交う船も、青白い空間に浮いているようだ。水平線が見えないので、そういう風に見える*1。
もとより、この土地に住んだことが予想外で不思議な巡り合わせだった。そして今日また、なんだかよくわからない色々のせいで、そして自分の選択でこの土地を後にする。
何度目かのため息をついて、その不思議さに思いを馳せる。
順調で一般的とはいえない人生だが、かといってカラフルではない。
とはいえ、今日見た、水分のフィルターを通したような風景に出会えたのだから捨てたものではないだろう。普段の、ぱきっと晴れた多島海とも違う不思議な魅力があった。世の中は不思議に満ちている、と思う。
香川県生活最後の食事、遅めの朝食兼早めの昼ごはんは、もちろん讃岐うどんである。
近くておいしい「ふるかわうどん」で、基本のかけうどんを食べた。
最後だからと、讃岐民が大好きな竹輪の天ぷら、そしてナスとゆで卵の天ぷら*2も食べる。
明日からは、「丸亀製麺」を鼻で笑う人間になると思う。「はっ!これが讃岐うどん?ふうん、まあいいんじゃないですか」とか語ってしまうかもしれない。
しかし今日のうどんは、またとびきりおいしかった。
開店直後のうどんは美味しいと聞いたが、たしかにしゃっきりしている。奥が深い食べ物だ。
道のりの中間地点、三重県ではCafe Snugに寄った。
新型コロナの影響で苦労はしているのだろうけれど、良い店というのはその苦労や工夫すら店の持ち味が出てくるものだ。しみじみと「素敵なお店だなあ」と実感する。
そして、山のかたち、土の色、植生、それらが四国とはまるで違うことも、この時点で強く理解してしまう。不思議なもので、四国から淡路島を経て兵庫県に渡った時(神戸の市街地が見える、とても劇的な風景だ)や、高速道路で都会や田舎を走っている時には、まだしっかりわかっていない。知識が体感になる、というのだろうか。
たぶん明日からは、静岡の風景で同じことを思うのだろう。
「なるほど、ここはもう四国ではないのだ」と。「そして今、ここにいる」とも思うはずだ。
ここ数年は、静岡と四国を、出張そして転居で往復していた。途中でこの店に立ち寄り、おいしいカフェオレやコーヒーやケーキを食べる。食事の時間なら、しっかりとしたプレートメニューを注文する。
車には荷物が山盛り。その習慣も、おそらくは今日で終わる。これからは、もっと普通に「かつて常連だった、今もお気に入りの、遠くにあるお店」として訪れるだろう。
今は実家の新しい部屋にいる。
昨日までの生活用品が、四国から送られて山積みになっている。明日からは、この山積みの現実を片付けなければならない。引っ越し荷物の搬入に立ち会えなかったので、毛布も、災害用保存食も、夏のシャツも、それぞれの箱に入って並べられている。アパートで生活を支えていたものが、アパートより狭い部屋に収まっている。
でも電動歯ブラシが見つからない。まあいいか、新品を使おう。今日は身体を休めなければ。