アノニマスで残念なカツサンド。

 




ちらりと見るが、すぐに寝直す。 「Juillet」の猫2匹。
すっかり取り散らかした仕事の気分転換に、駅の近くまで昼食を買いに行った。
9月頃、車を運転中に、小さなハンバーガーショップを見つけたのだ。
一方通行の狭い道の、小さなつくりの店。普通の住宅のようにも見える。僕が高校生の時には、お好み焼きや焼きそばを売る店だった。
そこに小さく「Hamburger Shop」とだけ看板が立てかけられている。週の後半、平日のみ開いている事は、今までの観察で判明している。
かつて老夫婦がお好み焼きを焼いていた鉄板で、今は孫がビーフパティを焼く、そういう風景を想像する。外観にこだわらないのも、素敵な理由があるのだろう。


たまにはそういう変わった店の、変わり者の店主が作る手作りハンバーガーも良いだろう、と思っていた。
家には昼食の材料は揃っているが、とにかく気分転換をしたかった。
市民公園に車を停め、そこからは自転車で向かう。



お店は開いていた。ただし暗い。中で食べられる雰囲気では無い。
呼び鈴を数回押して、しばらく待つ。呼び鈴とは関係なく、店の外から店主が現れる。そして「お客さん?」と聞く。
なんとなく嫌な予感がする。趣味的なこだわりを実現する為に、小ぢんまりと平日限定で開くお店、という感じではない。どちらかといえば「怠惰」な店だ。
そして「今はカツサンドだけ。小が6枚、大が9枚」と言う。いつのまにかハンバーガーショップは辞めたらしい。
仕方がないから「小を下さい」という。
本当は「じゃあいいです」と断りたかったが、僕は残念ながら断れる人間ではない。それにカツサンドも好きだ。裏通りの手作りカツサンドは、もしかするととびきり美味しいかもしれない。


そしてカツサンドは、注文から数秒後に、冷蔵庫から取り出される。スーパーマーケットのお惣菜みたいな透明容器に入って、輪ゴムで止めてある。
心のなかで「ああああああ」と思う。口にも顔にも出さないが、正直なところ落胆する。
しかし丁寧に作られた素晴らしい裏通り的なカツサンドを、単に家庭用冷蔵庫に入れてあるだけかもしれない。まだファンタジーは破綻していない。


「右側3つがカラシ抜き、左側はカラシ入り。絶対に右側から食べて」と言われる。
世の中には色々な性向の人がいるが、僕はこういう「絶対に」という指示が苦手だ。3割くらい魅力が落ちる。この種のこだわり方を喜ぶ人も多い。好みの問題だろう。




ともあれ無事に(ハンバーガーではなく)カツサンドを入手できた。
帰宅した頃には、冷蔵庫の冷たさもほぼ解消した(ただし結露した)。トマトとレタスでサラダを作り、牛乳とコーヒーを用意して昼食に望む。
ここで困った事態に気付く。本件に関しては最初から困る事ばかりだが、それはともかく現実的で具体的なトラブルに遭遇した。
店主の言う「右側」は、果たしてどちらなのだろう。
素直に考えれば、容器のヒンジを奥側に置き、右手側が「カラシ抜き」だと思う。しかし店主は、実際にカツサンドを指さして説明していた。その時にプラ容器のヒンジはどちらだったか。
しばらく考えてから、実際にカツサンドの一部をめくって確認するという解決方法を思いつき、実行する。カラシではなくカラシマヨネーズと判明。マヨネーズは嫌いだ。






そして店主の言う通りに、カラシ抜きの側から食べた。
ごく普通のカツサンドだったら、どんなに良かっただろう。


カツサンドは、それがデパ地下でも物産展でもパン屋でも、どこで売られているものであっても、少し特別な食品だと思う。
ハレの日とまではいかないが、普通のサンドイッチよりも祝福された存在。
小さくてしっとりしていて、きちっと収まっているのに、トンカツでソース味。日本の洋食・パン文化の、ある方面での到達点だと考えている。駅弁とよく似ている。
そういう慎みを持たないカツサンドも稀にあるが(例:コメダ珈琲)それらも含めて、明るくて嬉しい食べ物。毎日、腹を満たす為にカツサンドを食べる人は少ないと思う。


今日のカツサンドは、形容しがたい程に不味いわけでは無かったが、一般的なカツサンドの幸福感が全く感じられなかった。
悪い意味でハムカツのような物と、少しのキャベツとマヨネーズ(!)を挟んだ、ありきたりの食パン。カラシの順番なんて関係なかった。
海外の日本料理店(日本人向けの店というよりも日本ファンの現地人向け)が作る、マンガとアニメの情報だけで作った「TON-KATSU-SANDO」みたいな違和感。
これなら僕にだって作れる、というか「冷蔵庫にトンカツとキャベツとパンがあるから、とりあえず作ってみた」という味だった。
そういうカロリー補給的な食事を済ませた頃に「総合病院の食堂みたいな味わい」と気付く。子供の頃の総合病院を思い出す。病院の食堂には、もちろんカツサンドは無いけれど。


コーヒーを飲みながら少し反省をして、僕はまた少し大人になる。裏通りの個人店のファンタジーには、しばらくは惑わされない。
そういえば、静岡市の裏通りにあるホットサンド専門店も、小さな看板だけを掲げ、定休日が定まらず、見た目は完全に民家だ。ホットサンドに失敗は無いと思うが、どうなのだろう。




しかしあの店は、これからどう変わっていくのだろう。「Hamburger Shop」の看板は、いつまで掲げるのか。
インターネット検索を駆使して「名前の無いハンバーガーショップ店主のひとりごとブログ」みたいなものを探したが、全然見つからない。
あるいは夜になると、地元大好きな若者達が集う「俺らの空間」になるのかもしれない。田舎なので、そんな飲食店はわりと多い。でもあの店には、そういう雰囲気は微塵も無かった。
どうやって生活をしているのだろうか。趣味にしては熱意に欠けるし、副業として儲かっているようにも見えない。
自由といえば自由だが、不味いカツサンドを冷蔵庫に備蓄するのが目的とも思えない。稀に「キチガイ寸前のおじさんが道楽でやっている貼り紙だらけのラーメン屋」が存在するが、それとは明確に違う。
不思議だが、考えてもよくわからない。継続して観察していくべきなのか、それすらもわからない。







パンとスープとネコ日和 (ハルキ文庫 む 2-4)

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