「8枚切りがいちばん美味しいのです」

 
子供の頃は、食パンは「8枚切り」だった。家でも学校でも、基本的に同じくらいの薄さ。
たまに4枚切りを食べた。いつも2枚のところを1枚になっただけだが、味がずいぶん違うように感じた。
あの頃は、家でも外食でも、分厚い食パンに十字に切れ目をいれたトーストが、ちょっと特別なものとされていた気がする。最近はどうなのだろう。



小学2年生の時の社会見学で「食パンは8枚切りがいちばん美味しいのです。トーストした時に最高の味が生まれるように設計されています」と解説されて、その言葉は未だに忘れられない。
今思うと変な解説係だった。
「食パンの耳は栄養が集まっていて、最も美味しいところ」とも断言していた。これは、柔らかいところだけ食べて外周を捨てる子供への、彼なりの呼びかけだったのかもしれない。
パン工場で、給食のご飯を作っている事も、その時に初めて知った。アルミカップに米と水を入れ、アルミの蓋をしてオーブンで加熱すると、1人分のご飯が炊ける。
炊飯の基礎原理「米と水と熱」を知ったことは、ずいぶん衝撃的だった。原理を知り応用へ展開する面白さは、この社会見学が根っこにあるのかもしれない。
それはともかくとして、そもそも学校給食の食パンはトーストしない。学校給食用パン工場の人間がトーストを語る不思議。でも当時はもちろん、気が付かなかった。
そして今でも、ぼんやりと根拠無く「8枚切りがいちばん美味しい」と考えてしまう。呪いのようなもので、反射的にその言葉が浮かぶ。


いつの間にか、僕の住む土地でも、だんだんと6枚切りが増えてきた。最近は6枚切りがいちばん沢山置かれている。
別にそのことに不満は無いが、食パンは「8枚切りがいちばん美味しいのです」と僕は心のなかでつぶやく。異議を唱える、という程のことでもない。
三重県に住んでいた時は、本当に8枚切りが少なくて困った。「サンドイッチ用」や「胚芽入り」と同じ棚に置かれて、まずセール品にはならなかった。




今日の昼に、たまたま行った人気のパン屋さんで、「注文しなければ買えない食パン」を買うことができた。キャンセル品とのこと。
購入時に、好きな枚数に切って貰える。せっかくなので「8枚切りで」と注文した。
切られたパンを渡される時に「8枚切りがいちばん美味しいですよね」と店の人が言った。びっくりした。おもわず「はい、そうですね」とだけ答えて、会話には繋がらなかった。


今思うと、あの時に「8枚切り食パントーク」を無理矢理にでも続ければ、休日の素敵な出来事が生まれていたのかもしれない。
田舎のパン屋さんに起こる筈だった"ささやかな奇跡”を、みすみす逃してしまったようで悔しい。「はい、そうですね」は無いだろうと反省する。まるで文例集ではないか。
もしかしたら、あの同じ給食用パン工場で、あの説明係の話を聞いたのかもしれない。



6枚切りでも8枚切りでも、実はそれほど違いは無い。僕はかりっとしたトーストが好きなので、8枚切りのほうが好き。
そしてどちらでも良いのならば、枚数の多いほうが得だと考える。カロリー摂取量も抑えられるし、食費も(極わずかだが)安上がり。
8枚切りだからといって「今日は早くお腹が空くなあ」とはならない。だから機会がある限り、僕は8枚切りを選ぶ。「8枚切りがいちばん美味しい」という言葉の軛がなくても、やはり8枚切り派だ。
あるいは6枚切りが増えているのは、消費量を増やすパン業界の陰謀なのかもしれない。



30代を過ぎてから、食パンは1枚で満足するようになった。4枚切りでも8枚切りでも、1枚で十分。
食パン以外のパンは、気をつけないと食べ過ぎるし、買いすぎる。それは昔から変わらない。




パンといえば「しあわせのパン」。映画館で観た時は「浮世離れした素敵なナチュラルライフですね」と思ったものだけれど、小説版ではそれなりに説明が行き届いていて、心が離れるほどではなかった。
巻末に絵本があって、なかなか凝った文庫本。

t_ka:diaryは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。