楽しみにしていた映画『風立ちぬ』を映画館で観る。
とても良かった。あまり無いことだが、少し涙ぐむ。
映画が終わったあとに、深呼吸をして落ち着いてからでないと動けなかった。
シネマ・コンプレックスなのに、映画の後に拍手が起きた。僕もおもわずぱちぱちと(控えめに)手を叩いた。どうやら年配のお客さんが拍手をしていたようだ。
そして映画館を出る時に「これは僕の為の作品だ。ありがたいことだなあ」としみじみ思った。
もともと、宮崎駿氏の兵器まんが(雑想ノート)は愛読書なので、それだけでも期待は大きかった。
そして、技術者を描いた映画、細やかに描かれた戦前の(不穏になっていく)空気、たくさんの乗り物、計算尺、どれも大好物といっていい。自分で理由を説明しづらい位に、好きな要素。
さらにサナトリウムものでもある。どうも自分は、先に哀しみを予感させる恋愛物に弱い。
しかし、そういった諸々はもちろんだが、それ以上に「歴史を結果的に紡いでしまう、ただ夢を追いかける人の業」みたいなものが、上手く言えないけれども心に残った。
「大和魂」でも「日本民族の底力」でもない、ただ「美しく飛ぶ飛行機を作りたい」と思っただけの技師達の努力の結果が、図らずもあの未曾有の戦災の一端を担う。
性能の良い飛行機が作れたから、巡り巡って戦争が大きくなったのかもしれないのだ。
飛行機なんて無くても、あるいは文明なんて幸せになるには邪魔なのかもしれない。でもやっぱり物を作りたい、未踏の領域に挑みたい、それが業であり、性だろう。
そういう物事のなかでも、兵器(特に発展途上のもの)には、人間の酔狂さと力強さがはっきり現れている気がする。
強さ、速さ、殺傷能力、そのわかりやすい「性能」の裏側にある、極めようと足掻く人間のどうしようもなさ・歴史の冷徹さを描けるのが、宮崎駿氏のような「ナイーブなミリタリーマニア」なのだと思う。
僕はそういう種類のマニアを好む。「あの頃の日本人は(零戦は・戦艦大和は)強かった」なんて脳天気に言う人間の何倍も信用する。
なにしろ姪っ子(4歳)が遊びに来るたびに「となりのトトロ」ばかり観ているので(台詞を全部覚えてしまった)、最近は「ジブリ=子供向け」という気分でいた。
もちろんトトロは最高だが、でもあと1作くらいは、「雑想ノート」的な作品も作って欲しい。
なんとなく今作では「技術者ばんざい。機械かっこいい」という描写を抑制した感があったので、その辺りを全開にした作品を望む。技術の良い側面もまた、存分に描ける監督だと知っている。
心配していた「効果音に人間の声を使う」事に関しては、上手く機能していたと思う。
リアルかどうかは別として、凄みはあった。気持ち悪い場面では、本当に気分が悪くなりそうだった。
主人公の声も良かった。絵と合っていた。
あまりに気に入ったので、近いうちにもう一度観に行くつもりだ。
こういう映画は珍しい。しかし「金曜ロードショー」で見るのも味わい深いかもしれない。それはずいぶん先の事だろうけれど。
実にイギリス風の雰囲気があるし、戦争の苛烈さと苦さが児童文学としては十分なくらいに(しかし日本の原爆物のような哀しみ一辺倒ではなく)描かれている。
2篇目の「チャス・マッギルの幽霊」は、不思議な読後感があった。