魚の絵を描けますか

大きな事件があると、容疑者の人となりが暴かれる。
SNSでの書き込み、趣味やコレクション、交友関係や子供の頃の発言まで、あっという間に公開されてしまう。
正直、とても悪趣味で無意味な行為だと思っている。

そういう報道は、容疑者が犯人と決まり、かつ具体的にそれらの諸要素が強く犯行に結びつく場合に限り、きちんとした調査をして世に出せばいいのだ。著者と出版社の責任の下で、たぶんぶ厚い書籍として出版されるだろう。漫画「MONSTER」のヨハン青年のような劇的な(あるいは漫画的な)人生ならば、皆が知る価値があるかもしれない。

 

MONSTER 完全版(ビッグコミックススペシャル) 全9巻セット

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さて、現代日本で凄惨な事件が起こって、容疑者が男性の場合、多くの場合で“オタク趣味”であることが暴かれる。
これは日本人男性のかなりの割合が、何かしらのオタク趣味を抱えていること以外に、何も証明しない。
大きな書店の売り場面積比率や、TVやネット広告の比率と、容疑者の「熱中していたという趣味」が重なる確率は比例するのではないか。オタク趣味の成人であることは、現代日本において「凡人」以外に何の説明もできないと考える。

例えば自分達の人生を見返してみてもわかる通り、自分の趣味性癖と、様々な衝動と、それによる失敗や成功は、そんなに簡単に結びついていない。企業の営業マンから刑事さんまで、プロファイリング能力が仕事で問われるということはつまり「人間はそんなに単純なものじゃない」事の証左といえる。

 

肉声 宮?勤 30年目の取調室

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ところで、僕は自転車の絵ならそれなりに正確に描ける。
タイヤの大きさやフレームの寸法、荷台や追加装備が違っても、いちおうそれなりに「自転車に見えるイラスト」に仕上げることができる。タンデム(縦2人乗り)とか、前輪を小さくする、といったオーダーも対応できるだろう。
理由は簡単で、自転車の基本構造を理解しているから。
サドルの下のほうにペダルがあって、チェーンで後輪側に回転を伝えて、フレームにはホイールやサドルやハンドルをそれぞれ接続して、といった自転車の諸要素を知っていると、どんな自転車でも描ける。
サドルが無い自転車、といったオーダーだって対応できる。

同様に、魚類も描ける。
サバやイワシみたいな普通の魚も、フグやチョウチョウウオも、それからタツノオトシゴも、魚の基本構造は同じだ。
磯に住む魚なら鰭は大きいだろう、外敵避けに棘があるかもしれない、等と想像すれば、想像上の「岩場に棲む魚」も描ける。
サメの一種で、進化の途上でハリセンボンみたいなニッチに収まった架空の新種だって、それっぽく描き上げることができるだろう。
これも魚に対する知識がある一定以上あるからだ。

今日は昼休みの雑談で、こういう「描けそうで描けないもの」について話題になった。試しに自転車と魚を、同僚達に“お題”として描いてもらったところ、人によって「全然駄目」と「それなり・きちんと描けている」の2つに、はっきり別れた。
中途半端に描けた、という人はいない。機械に詳しい人、家で熱帯魚を飼っている人でも、描ける人は描けるし、そうでない人は全然駄目。魚は魚の体をしていないし、自転車は人が乗って漕げる形ではない。

この「描ける」事については、知識量にある程度の“閾値”があるのではないだろうかと僕は考える。ある程度の情報量が頭にあると、具体的な記憶(サンマやMTBの写真)以上のものを描き上げることができる。でも、記憶はあっという間に曖昧になる。だから、ある程度の量と質が頭の中に無いと(つまり理解していないと)自転車も魚も、描くことができない。
僕がお手本を見ないと「小学生の女の子が描くハートマーク」を描けないのも、特徴をきちんと理解していないからだ。

 

植物画・動物画コレクション-〈花・草・木〉〈鳥・獣・虫・魚〉を描く(精密イラスト)
 

 

 

長くなったが、この知識の量について、僕たちは“オタク趣味”についてどれだけの蓄積があるのだろう。
僕は「コミケ」がどういう場所であるか、口で説明をすることはできる。でも行った事は無い。漫画やドラマに出てくるような絵に描いたようなオタク達がふうふう汗をかきながら集まっているのか、もっとライトな現代的オタク趣味人のほうが多いのか、よくわからない。
つまり、絵に描けない。

オタクというとちょっと違うが、「野外フェス」ならなんとなくわかる。でも、「一般的なフェスのイラストを描いてー」と頼まれたら、ちょっと困る。資料があって、なんとかかたちにできるレベルだ。

 

多くの人が、そんなものだと思う。
自分の手の届く範囲(絵に描ける範囲)より外のものは、ぼんやりとしたイメージしか無いはずだ。

 

 

さて、それでは僕たちに理解できるのだろうか。TVで報道される、引きこもりで、オタク趣味で、暗い部屋でわけのわからない事を楽しんでいる連中のことを。
もしかしたら、Twitterにとても善良な事を投稿しているのかもしれない。逆に、好きなゾンビ映画よりも悪趣味な妄想を楽しんでいるのかもしれない。
ただし、99%、僕の想像からは外れた人間だろう。それはもう、確率の問題に近い。ある種の論理として、そう導かれる。

 

素晴らしきラジオ体操

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わからないものはわからないままに、というのはとても勇気が要ることだ。僕たちは、ストーリーが整わない状況をとても苦手としている生物だ。
でも少なくとも、「知らないこと」を自覚するだけで、無用な詮索と、その先に繋がる差別を少しでも止めることができると思う。
結局のところ「よくわからない奴がよくわからない事をしでかす」のが、犯罪のほとんどだと覚悟しなければ、話は先に進まない。
僕は魚を描けるようになってから、その魅力も、怖さも、それから「魚の、何が描けないのか」も、わかるようになった。

TVや週刊誌の情報が無意味なわけではない。きっと何かしらの価値がある。ただし十中八九、真実への道ではない。何ならワイドショーや新聞は「この人物は容疑者であり犯人と決まった訳ではありません。また記事の情報はどのような人物かを特定するものではありません」と但し書きを入れても良いくらいに思っている。

 

「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)

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お題「どうしても言いたい!」

 

 

 

 

 

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