桃のかき氷

 
 
まるで町全体が入道雲の真下にいるみたいな、慌ただしい天気。
前が見にくくなるくらいの強い雨と連続した雷、そしてときどき晴れ間が見える。






ケーキ屋さんの夏メニュー。桃のかき氷。
市内のケーキ屋さんで、夏になるとかき氷を食べられる。
フルーツや寒天がたくさん乗っていて、とても美味しい。手が込んでいる。
今日は「桃のかき氷」を食べた。





このお店は、ケーキや焼き菓子も良い。
しかし残念なことに、先鋭化した自然主義を掲げている。マクロビオティックマイナスイオンといったもの。
どうしても懐疑主義の心が、変な貼り紙やポスターを気にしてしまう。



こういう、自分の主義主張と異なるお店で食事やおやつを楽しむ際は、ちょっとした理屈が必要となる。世の中には「理屈なんてどうでもいい。旨ければ良い」という人もいるが、僕は駄目だ。
つまり、「この種の妙な主義主張は、ある種のフィクション、あるいは様式、物語である」と考える。味に影響することもあるし、関係無い時もある。
例えばよしもとばななの小説に幽霊が出てきても「わあ非科学的だ。読むの止めよう」とはならない。現実に幽霊はいないとしても(たぶん存在しないだろう)、物語はこころに響く。
鍼灸における「経絡・気の流れ理論」は笑ってしまうほど荒唐無稽だけれど、身体の特定部位を刺激すれば痛みやこりは楽になる。ならば利用しない手はない。
問題は、それを絵空事としてとらえずに「リアルだ」と信じてしまう事だと思う。
物語が現実ではなくて良いように、ケーキの味と彼らの自然崇拝(それは概ね間違った知識に拠っている)は分けても構わないと思う。
たとえ奇妙な自然主義が、丁寧な仕事と材料の吟味をもたらし、結果的に美味しい商品を作り出しているとしても。



もちろん程度問題ではある。「かき氷の氷は電子水で云々」とあると、「うっ」と胃の辺りが妙な具合になる。なんだか出鱈目な宗教団体にお布施をしている気にもなる。
だから、美味しくても二度と行けないお店だって出てくる。
このケーキ屋に関しては、いつも変な意味でスリリングな気持ちになる。




ともあれ、今年も美味しいかき氷だった。
毎年の恒例行儀になっている。ケーキにも目移りしてしまうけれど、さすがに両方は食べない。





よしもとばななといえば、友達に最近の作品を勧められた。
10代後半から20代前半に読んだ「つぐみ」や「白河夜船」は大好きで、今でもたまに読み返す。もう文庫本がぼろぼろになった。
でもだんだんスピリチュアルな傾向が強くなってきて、遠ざかっていた。読んでいて「うっ」となるのだ。
友達が言うには「最近のはそうでもないよ」との事なので(本当だろうか)、とりあえず図書館で借りてみようと思う。



 

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