お金さえあればできる旅

同僚が旅先で倒れ(胃腸風邪)、代理で会議に出ることになった。
出発時にざっと計算すると、時間の余裕は20分。とにかく急いで大阪に向かう。

職場が家から近いことが幸いした。
家に電話をかけて、出張用の革かばんとネクタイやスーツを用意してもらう。同僚に引き継ぎもせず(後でメールやLINEで済ませた)車で家に行く。

会議資料の類は元々僕が用意していて、しかも昨晩に同僚が「間違って捨てちゃった」と連絡してきて「じゃあデータ送りますからそちらで印刷してください」とクラウドストレージに放り込んであったので、準備はほとんどしないで出発できた。たぶん職場の据え置き型パソコンも電源を入れたままだろう。
職場から持ち出したのは小さなノートパソコンだけ。

家ではかばんと着替えを受けとり、靴を換えてすぐに出発。着替える暇も無く新幹線に飛び乗る*1。ここまで慌ただしい出張は人生初だ。

 

それでも今、それほど不自由していない。
移動中に宿の予約はできた。
会議だって間に合った。
明日のための服や下着は、駅の近くで買い揃えた。UNIQLOも無印も近所にあるから都会は便利。
夕食はいわゆる「会食」だったが、お酒の席ではなくてお好み焼き主体の食事会だった。出費は無く、そして名物を食べることができ、酒を飲まずに20時には解散。素晴らしい。
せっかくだから明日は名古屋で別の用事を済ませることにして、その段取りも組んだ。

 

全国ビジネスホテルガイド (ブルーガイドニッポンα)

全国ビジネスホテルガイド (ブルーガイドニッポンα)

 

 

手持ちの現金は3000円と少し。
しかしクレジットカードはある。
仕事用のパソコンは職場のNASと繋がっていて、ありがたいことに今職場の人達が全力でデータ作成などを支援してくれたから、業務に支障は無い。仕事としてエネルギーを使ったのは「移動」と「会議」だけだった。

宿に落ち着いてから、仕事用パソコンを「私用アカウント」に切り替えればGoogleからこのブログまで家と同じ環境でアクセスできる。こうしてブログも書けてしまう。Amazonで買い物もした。

 

旅行の準備をしている時に、特に宿泊先が静岡よりも都会の時には「まあお金さえあれば何とかなるだろう」と考える。それでも荷物は増えてしまうけれど、それは余計な出費を減らしたいから。大金持ちになったら、それこそ財布だけで旅ができるかもしれない。

そこまで極端ではないが、今回は本当に荷物が少ない。
伊豆に日帰り旅行をする時でももう少し準備をする。
書類しか入らない革かばんでも何とかなってしまうものだ。
たまに寝付きが悪い時があって、そういう時のための睡眠導入剤(大昔、心療内科で処方してもらった)を旅行や出張ではお守り代わりに持っていくが、今回はそれが無い。どうしても眠れない時は階下のコンビニでシードル(アルコール4%)をリンゴジュースで2倍に希釈しアルコール2%飲料を飲めば、それで完全に酩酊し眠ってしまうので、それほど心配はしていない。

 

しかし「ペンを忘れた」「接続ケーブルが必要だ」「迷って遅刻したら困るから念のためタクシー」と、様々な問題に対し“金銭で解決”ばかりしていると、「知恵が無いなあ」と我ながら嫌になる。

それが会社の出費であることはこの問題と関係ない。
自分は出張であれ何であれ、家の外で泊まるという非日常では、もう少し工夫を楽しみたいのだ。あと少し時間の余裕があったらこんな無駄遣いはしなかったのに、と考えてしまう。
クレジットカードで突き進む旅は、楽ではあるが面白みにかける。
せめて、もう少し大きな金額で、それこそ札束をばらまきながら旅をすれば、また違った楽しみが生まれるのだろうが。

 

お題「今日の出来事」

 

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

 

 

*1:正確には東海道線で静岡駅に行き、きちんとホームから歩いて乗り込みました。着替えは会議場近くのビルで、トイレで済ませようかとうろうろしていたら、有料のパウダールームがあったので利用。300円で着替えも身嗜みもできてなかなか便利。

時計の電池が少ない感じ

今このブログを書いている席(椅子に座って、iMacに向かっています)の後ろ側、天井に近いところに壁掛け時計がある。

いつも秒針が動いても音は鳴らない。だから買ったのだ。
でも昨晩からかちかちと小さな音がする。

そして今確認したら、ずいぶん時間が遅れている。
ちょうど2時間程度の遅延となっている。

時計が遅れはじめたら電池を替えよ、と高校時代の教科書に書いてあった。それをどう英語で書いたら良いのかは忘れたが、その和訳はしっかり心に残っている。
いや、英語の教科書ではなくて副読本だったか。
とにかく「良くない変化に気付いたら、ごく普通の対応をまず実施せよ」という教訓へ繋がる話だったと思う。細部は忘れたけれど、確かそんなストーリーだった。

ちょうどエコロジーが社会的流行となっていた時代だった。
だからこのアメリカ的な「とりあえず電池を替えてしまえば解決!」について、教師は乱暴だと批判していた。いわゆる授業中の余談だ。

 

細かいことばかり覚えている。
自分がその時に何組にいたのか、同級生は誰か、なんて事は忘れた。
よく亡くなった人のことを「かたちを変えて我々の中で生き続ける」と言うが、こうして思い出せない諸々もまた“かたちを変えて我々の中で生き続け”ていて欲しいものだ。そんなに世界は効率が良くない、ただ消え去るものばかり、という身も蓋も無い諦念も嫌いではないのだけれど。

 

ともあれ電池くらいは替えなくては。
かちこち鳴っていると、寝る時に気になる。それに、いつか替えなくてならないのだ。だったら寝る前に交換する。

 

カシオ アナログ掛時計 IQ-58-7JF

カシオ アナログ掛時計 IQ-58-7JF

 

 

お題「愛用しているもの」

聞くは一時の恥だけれども。

たぶん偶然の一致だが、昨日と今日に気になった出来事があったので、今日はそれを書いてみようと思う。

 


特に関係の無い友人3名それぞれが、「ほとんど調べない人からの店舗情報の問い合わせ」に苦慮しているという話が(インターネット回線越しに)耳に入った。
3名とも個人経営のお店やアトリエを持っている。
本当に小規模のお店で、だからこそ忙しい時は電話応対だって難しい。
そういうお店だとわかっていて問い合わせの電話をしてくる人は何なのだろう、という不満だ。あるいは、店に興味があるのに個人店である事への配慮がまるで無い人は本当に店を気に入ってくれたのか、そんな疑問だ。
実際に仕事に差し支えているからこその不平不満が聞こえてきた。

 

僕は(友人という思い入れを差し引いても)これは「問い合わせる側」の怠慢だと思っている。
小規模で不定期営業の店なんて、今はいくらでもある。
そういう店がInstagramFacebookやブログで営業日や時間を告知することも当たり前だ。SNSが無かったら成立しない業務形態だとさえ思う。

そういう店にどうして電話なんてするのだ。
誰も問い合わせなんてしていないコメント欄に質問を書くのだ。
スマホもパソコンも使えない老人ではないのに、自分で調べようとしないのだ。

 

全てのお店が、あらゆる人をお客さんとして扱いたいわけではない。
古都の名店が人を選ぶように、個人のこぢんまりとした手作りのお店もまた、彼ら彼女らのスタイルを持っている。SNSでの情報発信もそのスタイルに含まれている。新聞の折り込みチラシを作らない事がその店のスタイルであるように、低コストで“わかる人には届く”発信手段であるSNSを活用することもまた店と店主の意思表示なのだ。

つまり僕の友人達は、調べればわかることは自分で調べる、そういうお客さんを求めているのだ。
実際、チェーン店のそれのように、問い合わせ全てに「ありがとうございます」と答えていたら成立しないし、それはやりたくない。

「よくわからないけれど雑誌を見て興味を持ちました。調べるのは苦手なので電話で聞きます」から一歩進むくらいの手間はかけて欲しい。だって興味を持ったのだから。電話応対が難しいくらいの規模や仕事をしていることもまたお店の特徴なのだから。

 

これはある種、傲慢なスタイルではある。
しかしそれでもみんな、それなりに長くお店を続けられている。傲慢だろうが何だろうが生活できる程度に受け入れられているのならば、客の側がそのスタイルを「それは間違っている」と文句を言っても説得力に欠けてしまう。

僕は仮に、自分を「お断り」する店があっても気にしない。後で興味を持って調べはするだろうが、そんなものかな、と思うだけだ。店というのは客の希望を受けるだけで成立するわけではない。

 

 

これもまたSNS、たぶんTwitterで読んだのだけれど、どうも世の中には2種類の人間がいて、それは「他人に聞くよりも自分で調べるほうが楽な人間」と「自分で調べるよりも他人に聞くほうが楽な人間」なのだそうだ。

なんとなくわかる気がする。職場にも「なんだこいつ!」と思えるくらいに、調べればわかることを聞いてくる人がいる*1
どちらが良い、という話ではない。その時々によって正解は異なる。

ただし今の時代は、調べる事そのものがずいぶん楽になっている。
5年前に比べて携帯端末もインターネットも進歩して素人向けになった。過渡期としてのスピード感が、実際以上に「調べればいいじゃん」と思わせているし(時代の空気かもしれない)、そして上述の如く「詳細はWebで!」を基本にしている仕事やお店も増えている。

もうしばらく待てば、「聞く方が早くて楽」な人達もまたこれらネット上の情報に簡単にアクセスできるだろう。AIと音声認識の進歩が会話による情報収集と提示を容易にしつつある。

 

とはいえ、この「他人に直接聞く」ことそのものに価値を見出す人もまた多い。
たぶん人間の想像力に限界があるからだろう。
WebサイトやInstagramの情報だって人間が入力している、という想像ができないのだ。想像力の多くは知識量の問題だから、そう簡単にはこの価値観は変わらない。
お店の開店時間や駐車場の場所を知りたい、という当初の目的に「お店の人達との交流」といった自身の欲を混ぜたい、その気持ちは僕もわかる。自分だって丁寧な接客や温かな心遣いは嬉しい。
でも、それは店によっては迷惑なのだ。

 

僕達は、興味を持った店がどんなスタイルなのかをあらかじめ知っておいたほうがいい。
客としても、そのほうが幸せになれる。
少なくとも「自分にはこのほうが楽だから」で済ませているうちは、ほとんどのサービス、もっと言うと人間とのやりとりでは、何かを磨り減らす。疲弊がお店側なら気付かないし、鈍感な人は自分に損をしていてもわからない。それは不幸だろう、確実に。

 

マイコミ新書 お客様は神様か?~売れない時代の新しい接客・サービス~

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*1:仕事ならばなおさら、自分で調べることはスキルとして鍛えたほうが後々のためになる。だから僕は新人にはネット検索のコツや教則本の使い方をしっかり教える。新人では無い場合に困る。

冬瓜の天ぷら

以前、どこかの中華料理店で食べた何かを思い出しながら作った。
淡泊なウリ科の野菜だったことはわかる。
野菜の天ぷら、海老のフリッターや豚肉の唐揚げに添えてあって、花椒入りの塩か、唐辛子と酢醤油を混ぜたようなタレを付けて食べた。
とても美味しい、という品ではないけれど、不思議な食感と淡い味が印象に残っている。


が、なにしろ真面目な中華料理店(横浜の中華街で、きちんとしたコース料理)の、しかも会食の1品だったから説明も何も無く、ただ不思議な味だなあと思ったまま忘れ去っていた。

 

 

今年の春に、ふとその料理のことを思い出した。
そしてその料理が「冬瓜を天ぷらにしたもの」だとわかったのが6月の半ば。すぐにスマートフォンのToDoリストにメモをして、そして今日になってToDoをチェックしていて再発見し、作ることにした。便利な世の中だ。

 

家で作ると火力が心配。お店では2.0cmm角程度のサイコロ型に切っていたけれど、今日は1.5mmの細切りにした。ファストフード店のポテトの太さで、ポテトよりは少し短め。

切って軽く塩を振り、水気が出たら拭き取り、片栗粉と小麦粉をまぶしてすぐに揚げる。じっくり色付くまで低温で火を通す。サツマイモを揚げるくらいには時間をかけただろうか。
焦がすわけにもいかないし、なにしろ冬瓜だから火を通し過ぎるとべちゃっとしてしまう。

今日は塩と胡椒を混ぜたもので食べた。
葱と胡麻油と醤油も試してみた。

味は説明しづらい。
たまたま天ぷらを作る機会があったから追加の1品にしたものの、これだけを食べても満足はできないと思う。
ただし話の種にはなる。食感や、冬瓜を揚げるという意外性、他に替えが効かなそうな味。料理が好きな人ならば盛り上がるだろう。

 

かき揚げにしても良いかもしれない。
揚げたてにあんかけ、でも面白そう。おつまみにもなりそう。
揚げる前に少しだけ電子レンジで加熱したら少し楽になりそうな気もする。


「どうだ!」と披露する珍しい手料理も良いけれど、こういうささやかな“普通と違う品”もまた自炊の醍醐味だと思う。
天ぷらの機会があったらお試しを。面白い品です。少なくとも僕は面白かった。

 

 

 

 

 

ココナツ・七夕・シフォンケーキ

自分の通院と友人の見舞い、そして親戚の介護関連の荷物運びで、病院のハシゴをした。すっかり疲れてしまい、午後にはもう難しいことは後回しにするモードへと心も身体も切り替わっていた。

 

https://www.instagram.com/p/Bk7n-5ZBi_5/

 

というわけでケーキを食べる。
Atelier Petit* Calinでコーヒーとシフォンケーキ。
七夕がテーマの飾り付けをしてくれた。こういう可愛い食べ物は好きだ。自分では作れないから、なおさら嬉しい。
シフォンケーキはココナツのさりさりした食感が面白い。あまりシフォンケーキに面白みを感じたことがなくてちょっと意外だった。

 

 

 

仕事の関係でパスポートが必要になるかもしれない。
久しぶりに金庫から引っ張り出して確認する。
まだあと2年は期限内。てっきりもうそろそろ更新かと思っていた。スタンプを見て、もうそんなに経ったのかと感慨に浸る。

 

トラベルデイズ アンコール・ワット カンボジア (旅行ガイド)

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さて部屋は荒れているし、今日やりたかったアレコレはまるで手つかずだけれど、寝ます。なんだか今日は疲れた。
自分の通院なんて、ほとんどクスリを貰っただけなのに、それでもやっぱり病院は疲れる。全然苦手じゃない、本さえあれば待合室で2時間は快適に過ごせる質なのだけれど、でも歳を取ったせいか最近は後でどっと疲れる。
というか、今はもう昔のように能天気に病院通いをしていた時の気分がわからない。身体は悪くても病院は“安心”の場所だった記憶はあるのだけれど。
今日だって苦手意識を実感したわけではないが、それでもやっぱり(多くの人と同様に)緊張し、消耗した。

 

 

今週のお題「星に願いを」

ココナツ・七夕・シフォンケーキ

自分の通院と友人の見舞い、そして親戚の介護関連の荷物運びで、病院のハシゴをした。すっかり疲れてしまい、午後にはもう難しいことは後回しにするモードへと心も身体も切り替わっていた。

 

https://www.instagram.com/p/Bk7n-5ZBi_5/

 

というわけでケーキを食べる。
Atelier Petit* Calinでコーヒーとシフォンケーキ。
七夕がテーマの飾り付けをしてくれた。こういう可愛い食べ物は好きだ。自分では作れないから、なおさら嬉しい。
シフォンケーキはココナツのさりさりした食感が面白い。あまりシフォンケーキに面白みを感じたことがなくてちょっと意外だった。

 

 

 

仕事の関係でパスポートが必要になるかもしれない。
久しぶりに金庫から引っ張り出して確認する。
まだあと2年は期限内。てっきりもうそろそろ更新かと思っていた。スタンプを見て、もうそんなに経ったのかと感慨に浸る。

 

トラベルデイズ アンコール・ワット カンボジア (旅行ガイド)

トラベルデイズ アンコール・ワット カンボジア (旅行ガイド)

 

 

 

さて部屋は荒れているし、今日やりたかったアレコレはまるで手つかずだけれど、寝ます。なんだか今日は疲れた。
自分の通院なんて、ほとんどクスリを貰っただけなのに、それでもやっぱり病院は疲れる。全然苦手じゃない、本さえあれば待合室で2時間は快適に過ごせる質なのだけれど、でも歳を取ったせいか最近は後でどっと疲れる。
というか、今はもう昔のように能天気に病院通いをしていた時の気分がわからない。身体は悪くても病院は“安心”の場所だった記憶はあるのだけれど。
今日だって苦手意識を実感したわけではないが、それでもやっぱり(多くの人と同様に)緊張し、消耗した。

 

 

やわらかい真珠/右目の痛み

眼球とそれを収める眼窩の間に異物が溜まる空間があるらしい。
何年かに一度、抜けた睫毛の束が出てくる。

何か異物感があるな、と思っていたら視界がぼやけて、あれか久しぶりだなと鏡を見ると、黒目の上あたりに黒い毛の束が付いている。身長に取り除き、まじまじと観察する。やはり睫毛が束になっているだけ。特に面白いものでもない。

人によっては粘膜に包まれて、そのまま眼窩の内壁に付いたままになるか、あるいは外に出てきた時にも細長い塊になるという。
どこかで誰かにそんな話を聞いた。
誰なのかは忘れた。
歯医者には歯科衛生士がいて、目医者におけるその衛生士みたいな立ち位置の仕事に就いている人だった気がする。

貝の外套膜に異物が入るとカルシウムや蛋白質によって覆われて真珠になる。人間の目の場合はやわらかいねばねばした塊になる。そうやって無害な異物になっている“身体では無いもの”が人間の身体のあちこちにあるのだろう。手のひらに埋め込まれたシャープペンシルの芯のように。やわらかい真珠みたいなものだ。

 

古生物のサイズが実感できる! リアルサイズ古生物図鑑 古生代編

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さて、その異物、目の奥に留まっていた睫毛の束が久しぶりに発見された。今日の午後に右目から“出てきた”。車を運転中になんとなく気になって、車を停めて摘出。
その時はそれで問題解決したのだけれど、今もまだ鈍い傷みがある。

鏡で瞼のあちこちを見てみると、どうやら睫毛が1本だけ目の中に残っているらしい。
それほど酷い痛みではない。
このまま寝てしまえば忘れてしまうかもしれないし、明日もまだ異物感や傷みが続くかもしれない。
何度か睫毛の把握と摘出を試みたが、なかなか上手くいかない。
あまり触ると目が赤くなるばかり、かといって放置するのも気になる。

シャワーも浴びたし、目を使う作業(このブログを書くことも含めたパソコン作業)も先延ばしにできることばかり。
面倒になったので、今日はもう寝ることにした。

またこの睫毛が眼窩の奥にある“異物が辿りつく場所”に収まるのかもしれない。あるいは、その淵みたいな場所には、今日回収したものとは別にまだまだ滞留した睫毛があるのかもしれない。
埃や砂粒とともに、そういうミリグラム単位の身体ではないものが自分の身体に同居していることは、ちょっと面白いと思う。刺青やピアスや人工関節とは違う何か。睫毛はヒト由来だけれど、異物であることは確かだ。
この面白さは上手く説明できない。なんとなく火葬場を想像するけれど、書けば長くなるし書いても伝わらなさそうだから止めておく。

 

 

薬指の標本 (新潮文庫)

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薬指の標本 SPECIAL EDITION [DVD]

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お題「今日の出来事」

 

 

 

 

映画『ハン・ソロ/スター・ウォーズストーリー』

仕事帰りに映画館に寄った。
昔は当たり前に夜の映画館に行っていたけれど*1この5年はそんな習慣も無くなっていた。今日はたまたま、出かけた先で仕事を終えて、近くに映画館があった。ちょうど帰宅渋滞の時間だったこともあって、そしてここ半年は本当に多忙だからチャンスがあれば観たい映画は逃せない。

 


「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」ならず者たち

というわけでハン・ソロさんの映画を観た。

とびきり楽しい作品だった。
小ネタ的にスター・ウォーズ世界のお約束が登場するし、スター・ウォーズ世界でなければ通用しないストーリーではあるのだけれど、普通に面白いSF活劇になっていてファンでなくても楽しめる。
チューバッカさんの大活躍も嬉しい。


フォースもストームトルーパーも表立って登場しない、そしてみんな等身大というか、金や地位や欲のためにひたすら頑張る。そんな等身大の悪党ばかりなのも素晴らしい。
マスター・ヨーダは好きなキャラクターだけれど、ああいう仙人っぽい人が何か語って宇宙の平和や調和云々を求めつつ戦争まで起こすよりも、地に足が付いている感じがする。神話ではなくて歴史の話が僕は好きなのだ。
それからデススター的な超兵器も登場しない。ああいうものが終盤に登場すればそれはもちろん盛り上がるのだが、いつも「2つ作っておけば良いじゃないか」とか考えてしまう。どかーんと手近な星を壊して、報告があって、その後に悪い人が「よし次は反乱軍の本拠地を撃とうフフフ」とか言って、そして準備して、なんて迂遠なことをしているから負けるのだ。換気扇の装甲以前の問題だと思う。

帝国軍の戦略とやる気は別として、やっぱりいつもいつも「みんなの危機」ばかりではつまらない。
自分と身近な仲間の危機、もっと言うとファルコン号に乗り合わせた人達だけが生き残るのに精一杯な程度の危機こそ、観る側だって余計なことを考えずに済む。

 

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オフィシャルガイド

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー オフィシャルガイド

 

 

外伝・スピンオフだからスケールは小さい。だから人によってはつまらなく思えるかもしれない。スター・ウォーズらしさはそれほどでもないけれど、きちんとスター・ウォーズ世界の面白みがある、変な映画ではある。


スター・ウォーズ・サーガに興味が無い人*2だと、見終わった後に「で、これがどの話に繋がるの?」「知った顔が最後のほうで出てきたけれど、何で?」となるだろう。

SF映画としてはずいぶん粗い(はははハイパー燃料!)うえに、実際のところこの作品でスター・ウォーズ世界にほとんど深みのようなものは加わっていない*3。そういう意味では「ローグ・ワン」とは全然違う。

でも、だからこそ楽しめた。
肩の力を抜いて、冒険や強盗や追跡劇をただ楽しむ。ディズニーランドのアトラクションみたいな作品だった。

ムビチケなどで安く買えば、十中八九文句が出ない、優秀な娯楽作品だと思う。定価で期待していると、どうだろう?

 

 

 

 

 

 

*1:20時が定時の仕事で、その後に45分かけてシネコンに行き、21時過ぎの割引料金で映画を観ていた。

*2:僕はスター・ウォーズファンではないけれど、以前暇つぶしにWikipediaで関連項目を延々と読んでいたのでなんとなく知識として知っている。映画を観ながら意味不明になる事は無い程度の“教養”を持っている。

*3:ガンダムなどはスピンオフの類で世界観が深まるのだけれど、スター・ウォーズはその逆なのが面白い。メインのサーガで隅々まで説明している感がある。

クイックルワイパーの無い時代には。

職場の同僚達は20代。
とても若い。

 

今日たまたま、クイックルワイパーの優秀さについて話す機会があった。

クイックルワイパーについては人生初の独り暮らしの際に購入して感動した記憶がある。実家ではダスキンの契約をしていたけれど、同様の掃除があの薄手の紙みたいなワイパーでできてしまうのだ。髪の毛や埃がどんどん取れるわかりやすさも印象に残っている。

そう、僕が子供の頃はクイックルワイパーなんて存在していなかったのだ。

そのことを年若き同僚に伝えたところ、大変に驚かれた。
クイックルワイパーの無い時代、掃除機を使わない掃除はどういう風にしていたのですか?」と問われた。
別に雑巾がけを頻繁にしていたわけではない。前述のダスキン・モップを使わない家だって多かっただろう。
少しの時間にさっと掃除する、というのは今より手軽にできなかったことは確かだ。その代わり、主に良妻賢母的な女性はホウキとチリトリを駆使する毎日を求められていた。

きっともうしばらくすると、「ルンバの無かった時代には…」と今の若者が聞かれる時代が来る。ルンバが「全自動掃除機」の代名詞になったら面白いと思う。

 

なるほど僕はもう「前の時代を知る人間」なのだ。

 

 

以前、やはり若者に「携帯電話がない時代には、修学旅行に自由行動は無かったでしょう?」と聞かれたことがある。
きちんと自由行動で京都や奈良を巡りました。
今思うと不安しか無いけれど、でも当時の児童生徒(僕)はしっかりと予定されたルートと多少の計画変更を織り交ぜた自由行動を1日行い、きちんと宿に到着していたのだ。ヤンキーもオタクもみんな定刻には宿に戻る、それが修学旅行。
昭和の後期には、「テレホンカード」というカード型のデヴァイスがあって、街のあちこちで音声通話ネットワークにアクセスできたのだ、と解説しておいた。こういう話をしていると、あまり尊敬はされない。

 

それにしてもクイックルワイパーは便利だ。
価格からするとそろそろ改良も限度ではないか。ハイエンド版が出てきてもおかしくない。サードパーティーというか、柄についてはあちこちから互換品や類似品が登場している。自分も柄を自作したことがある

 

kato.hatenadiary.com


この文章を書いていて気がついた。
クイックル」は花王の家庭用掃除用品のブランドなのだ。同様の「クイックル」を名に掲げる製品がいくつもある。今までどうして気がつかなかったのだろう。脳は本当に何も見ていない。

 

クイックルワイパー フロア用掃除道具 ドライシート 40枚

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トイレクイックル トイレ用そうじシート つめかえ用 20枚入

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 ※冒頭の写真はお昼に食べたラーメン。オプションで葱を注文したら大変なことになった。スープに沈めたらあっという間に常識的な嵩になって安心した。

お題「今日の出来事」

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