コーンブレッドを焼き、スマートフォンを忘れる。

朝起きてすぐに、コーンブレッドを焼いた。
家族は登山に行っていて留守。実家の台所はいつまで経っても慣れない。オーブンは無駄にハイエンドな機種だから、操作は楽で変な癖も無い。
生クリームが無いから、バターの増量と無脂肪乳で対応。それ以外はほとんど『暮しの手帖』に書かれている通り。
想像通りに、もそもそした品ができた。ホットケーキと同じで、たぶん焼きたてが美味しい。放置するとあっという間にぱさつく。
リンゴを煮て付け合せにする。ふと思いついて、ラム酒と砂糖と少しのナツメグでソースを作ってみたが、それは甘いだけで美味しくなかった。
見た目は黄色いソーダブレッドかカップケーキ。僕は好きだが、味気ないといえばそれまでの味。単品で食べるものでは無いかもしれない。



「財を成した黒人青年が、街の「名士クラブ」へ招かれる。フライドチキンやコーンブレッドや豆の煮物やスイカがそれらしくコース料理として供される。全ては彼を嘲笑する地元名士達の嫌がらせであった」
あるいは
「貧しさ故に罪を犯した黒人。絞首刑の前日、最後の夕食には「コーンブレッドとミートローフ、グレイビーソースをつけて」とリクエストが。それは母との思い出の味だった」
といった感じで、アメリカ文学や映画に出てくる事が多いコーンブレッド。恐らくは「ソウル・フード」なのだと思う。
確かに「小麦粉が買えない人のご馳走」という雰囲気がある。いくらでもリッチにできる余地はあるが、そうすると身体に悪くなりそうな予感がする。
今回は、記事にあった「しっとりさせる為に生クリームを加えましょう」を守らなかったから、余計にぼそぼそしている。しかしぼそぼそも含めて、味わい深い。
日本ではこういうわだかまりのある食品というのは少ない。蕎麦やヒエが結婚披露宴に使われても、悪感情を抱く人は少ないだろう。いわゆる「部落の食材」も、B級グルメに入っている事が増えた。
20代の頃にアメリカ育ちの黒人青年に、ソウル・フードについて聞いた記憶がある。
「僕の地元ではもう差別意識は無い。白人も食べる。基本的にカジュアルな食事。しかし高給取りやインテリの食べ物では無いとされる。フライドチキンがクリスマスのご馳走という日本の風習は変だよね」
と言っていた。
ともあれ、(繰り返すが)地味な食べ物ではある。コーングリッツはまだ大量に余っている。
さほど手間のかかる料理(お菓子作り)ではないとしても、しかし日常生活に取り入れる気分にもなれない。
ケンタッキー・フライド・チキンが売りだしてくれれば嬉しいと思う。たまに食べたくなった時に便利だ。ディズニーランドでは売っているかもしれない。



半分食べて、残りはラップして友人のところに届けた。
「これが“あの”コーンブレッドだよ」と渡したが、特に感銘は受けていない様子。味も「素朴だね」とだけ。「地味で滋味深いんだ」と言ってみたが、評価されなかった。
しかし温めてバターを乗せたら、うまいうまいと全部食べてしまった。一口もらったが、バターの染みこんだそれは、普通のカップケーキ味だった。
そして写真を撮り忘れた。

最近ある代理店のトラフィック分析に目を通したんですが、ウェブでいちばん勤勉に日記を書いているのは、日本人ですよ。
その量といったら、あの国の国民はリアルで抑圧された感情を、ウェブに開放してるんじゃないかと思うくらいに。  ー虐殺器官伊藤計劃)ー

今日はスマートフォンを家に忘れたまま外出した。
気がついた時から少しの間は、家まで探しに戻ろうかと思っていた。でも緊急の連絡は無さそうだから、そのまま街に行く。
ぼんやりと不便さをかみしめる。気になる事や面白い出来事を、それほど意識せずに140文字程度にまとめている、そんな気がしてくる。普段はそこまで気にしていない。
おやつに食べたケーキの写真を即座にアップロードできない事も不便に感じる。それとメモを完全にスマートフォンに依存している。
しかしそれだけだった。
つぶやきたい言葉はどんどん忘れるし、写真はいつも通りにカメラで撮る(普段からスマートフォンのカメラは使っていない)。メモをする事態は発生せず。
かといって、インターネットから離れた数時間に、思いがけない心の平穏や、ずっと忘れていた街の物音、いつも以上の深い読書体験といった素敵なサムシングは発生しなかった。
いつも通りに、「マリアサンク」でケーキ(今日は栗のショートケーキ)を食べ、紅茶(アールグレイ)を飲み、小説を読み進めた。便利な機械だが、その程度の存在感かと拍子抜けした。
そして今日は素晴らしい秋晴れだった。自転車周遊日和で、しかもケーキは美味しかった。本も買えた。
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子供の頃は、よくテレビを見ていた。
でも今は、娯楽目的では全然テレビに縁がない。家族が見るから、食事の時にニュースを一緒に見るくらい。両親はテレビが大好きだ。
しかしあの頃に盛んに言われていた「テレビに毒される事の害悪」が無くなったわりに、深く本質的な幸福が手に入ったという実感は無い。そして職場で話題に混ざれない。



スマートフォンが手元に無くてもすぐに順応できそう。考えてみれば、半年前まではiPod touchで過不足の無い生活をしていたのだ。
でもセキュリティ関係の不安は、街をぶらぶらしている間、どこかで感じていた。
おそらく自室のあの辺りにあるだろう、とは想像できても(実際にそこにあった)、悪意のある誰かに拾われた場合の事を考えてしまう。
とりあえずロック解除はもう少し難しくしておこう、と決意した。それだけで随分と安心感は違うと思う。


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