そうなのか・かなへび

ずいぶん前に読んだ村上春樹のエッセイか何かで、人語を発する猫についての文章があった。縁側かどこかでぼんやりとしていたら、明瞭な日本語で猫が何か喋った、というもの。喋った内容についてしっかり書いてあったのに、覚えていない。

 

村上さんのところ コンプリート版

村上さんのところ コンプリート版

 

 

今日、同僚が似た話をしてくれた。
1歳になる娘が、しっかりした発音で「そうなのか」と言ったそうだ。いつも「ぱー」とか「とうとう」しか言わないのに、その時は子供としては妙にはっきりした声で「そうなのか」と。

なかなか面白い現象だと思う。
寝起きの聞き間違いと見做すのはつまらない。

僕も子供の頃に似た経験をした。
カナヘビを飼っていた時に、餌の鶏ササミを与えたところ、「にがい」と声が聞こえたのだ。カナヘビ自体は隠れ家用の植木鉢に入って見えなかったが、しっかりとプラスチックケースの中から聞こえた。

ササミは苦いのか?と餌用のピンセットを舐めたような記憶がある。
それから「カガク的に、そういう事はあるのか」と担任の先生に聞いたことも覚えている。
担任は「トカゲの喉のつくり、身体のサイズからして無理だろう」と教えてくれた。
その頃、僕は担任の影響で理科が大好になっていて*1、放課後にはよく理科準備室で先生の手伝いをしていた。「みんなには内緒だよ」と、試験管の水素にぽんと火をつける実験や、翌日の授業のリハーサルを見せてくれたこともある。小児喘息持ちで何かと手がかかる子供だったから特別扱いをしてくれたのかもしれないし、わざわざ準備室に来る子供達にはそれぞれサービスをしていたのかもしれない。大勢で先生のところに行くことは無いのだが、自分以外の同級生も頻繁に訪れる、今思えば不思議な準備室だった。

「トカゲ(カナヘビ)は喋らないが、喋る動物の本は面白い」と図書室に行くことを勧められて、実際に素敵なファンタジー小説に出会った、そんなぼんやりとした記憶もあるのだけれど、その小説をまるで思い出せない。
ただ、図鑑やノンフィクション、物語といってもシートン動物記程度の偏った興味から、興味の幅が拡がったことは確かだ。
あの曖昧な「喋る動物の本は面白い」という言葉がひとつの魔法だったのだと思う。学校の図書室は好きで毎日のように訪れていたけれど、「自分の学年(能力)で読める興味のある本はほぼ読み尽くした」と考えていたから、その「読みたい本が拡がった」感覚は、きっと当時の自分にも強い印象を与えたのだと、今ならわかる。
先生、たいしたものである。 

生きもの つかまえたら どうする?

生きもの つかまえたら どうする?

 

 しかしなぜ「にがい」なのか。
ハエやバッタならともかく、自分としては鶏ササミは「ごちそう」だと考えていたのに。「自然界ではこういうものは食べられないだろう」と、おもてなしの気持ちで接していた。

こうして書いてみるとよくわかるのだけれど、記憶の解像度にムラがありすぎる。どんな気分でカナヘビを飼っていたのか、何に気を遣っていたのかはいくらでも脳から出力できるのに、同級生の名前や本の題名はさっぱり思い出せない。まあ、今だって人の名前や映画のタイトル、もちろん本の題名をすぐに忘れてしまうのだから、「そういうもの」なのかもしれないが。

 

うまれたよ! カナヘビ (よみきかせ いきものしゃしんえほん 20)

うまれたよ! カナヘビ (よみきかせ いきものしゃしんえほん 20)

 

 

 

 

 

 

 

*1:若くて、理科の授業について研究会的なものを進めていて、常に工夫をしている先生だった。