映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

なんとなく制限していた映画鑑賞を再開。
映画は気軽な娯楽で趣味だが、街に出て映画館に入り…と家を出てから帰宅するまで、案外時間がかかってしまう。田舎暮らしの辛いところで、駐車場の心配も要るし、往復の時間だってかかる。
どうしても観たい作品は万難を排して鑑賞するが、ちょっといいな、程度の映画まで観ていると、他の諸事が滞る。

だから、最近は意識して、映画館に行くのを控えていた。
少し前まで、静岡市のミニシアターで上映する全作品を“とりあえず観る”状態だった。さらにシネコンや街の映画館でも映画を観ていた。
あれはあれで面白い体験だった。作品そのものだけでなく、「映画について」を語りたくなる、あるいは語れるようになる。

でも繰り返しになるが、時間が、特に休日の時間が削られていく。観る作品を吟味するようになってから、目に見えて時間の余裕が出来たことは、ちょっとした感動すら覚えたものだ。

 

 


さて、そんな自分が今日観たのは、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。
タイトルから判るように、岩井俊二が90年代に作ったドラマ(と、その映画版)が原案。あの頃にかなり話題になった記憶がある。僕も大好きで、若い頃に“度肝を抜かれた”作品である。

だからそれなりに思い入れがあるタイトル。
予告編がわりと綺麗な映像で、どんな翻案で90分のアニメ映画に仕上がっているのか、楽しみ半分不安も半分で上映に挑んだのだった。



結論としては、それなりに楽しめた、と思う。
岩井俊二版の「小学校高学年の男子女子の、ある夏の日の甘く苦い出来事」の、甘さと苦さのエッセンスだけを取り出して、アニメスタジオ「SHAFT」らしい絵と演出で膨らませたような作品。
まだまだ“児童”な男子達と、ちょっと大人びた(でもままならない事ばかりの)女子、そんな岩井版の特別な雰囲気は残念ながら薄れていた(というか登場人物は中学生だった)。
さらに深夜アニメくらいに“えっちな”描写も目立つ。
意図したのかわからないが、主人公の友人達が棒読みで乱暴な言葉遣いなのも気になる。顔が場面によって違うのも、演出意図かミスか、わかりづらい。
いわゆる「限定された時空の繰り返し(ターンとリピート)」作品なのだが、物語が進むにつれ妄想か雰囲気オチかわからなくなる辺りも、いまいち。
90分という短い映画だが、そういう細部が気になって、落ち着かない。

一体、誰をターゲットにしているのだろう、と疑問が沸いてくる作品でもあった。映画館で最も多かったは中高生。でも、彼らが観ても、少なくとも「君の名は。」のような爽快さや起承転結のまとまりが感じられるだろうか。
僕のような「90年代のあの佳作」を求めた人ならば、どうしても不満が生じる。一緒に観た友人夫妻は「ゼロ年代以降のオタク・アニメ成分を混ぜて欲しく無かった」と言っていた。これは大変に面倒くさい意見だが、しかし自分のもやもやをはっきりさせてくれた、しっかりと腑に落ちる意見ではあった。


でも、と僕は今日の映画を思い返しながら考える。
料金分はきちんと楽しめる、それなりに良い映画だった、と。
あちこちで「アニメ的な臭み」があって集中を削がれたけれど、今の時代に作るのならどうしてもこういう感じ(色気も感動も過剰な空想絵巻)になるんだろうな、と納得してしまったのだ。ここまで“今風”ならば、もう受け入れるしかない。

逆に今、アニメにしろ実写作品にしろ、あの90年代の、岩井俊二のさっぱりした風合いは作れないと思う。
そういうのが好きな人は、例えば「リップヴァンウィンクルの花嫁」を観ればいい。僕はあれが大好物です。

 

 

等身大の、自分にもあり得たかもしれない「あの時代」を描いた作品が、岩井俊二版の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。
そして、ライトノベル的な妄想全開で再構成されたのが、今回のアニメ版「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。
後者を僕がすんなり受け入れられるのは、もはや遠い、遠すぎる時代のお話だからだと思う。20代だと、おそらくこうはいかない。