仕事の後に映画館へ。
アニメ映画『未来のミライ』を観てきた。
主人公の男の子の元に未来から妹の「ミライちゃん」がやってくる、という謳い文句の作品。ポスターもそんな感じ。
確かに嘘ではないけれど、たぶん多くの人が想像するファンタジーやSFや歴史改変、未来の妹と主人公幼児が何かしらの奮闘により世界や家族を守るような、大きなお話ではない。
もっとこぢんまりとした、育児漫画エッセイ的なお話が繰り返されつつ、原因も目的も不明な超常現象の繰り返しが描かれる、なんともつかみ所の無い映画だった。
絵は綺麗、でもディテールから意図が読み取れない。これが宮崎駿監督作品だったら、机の置物がそのままジブリのアトリエにあっても納得なのだけれど、あのお洒落なモデルハウス的自宅は細田守監督の何をイメージしているのだろう。
ストーリーの根底を流れるメッセージは文句無く綺麗、でも「その通りですね」以上の感想が出てこない。これも細田監督らしさと言ってしまって良いと思う。「家族っていいね」を何のひねりも無く言葉で語られても困ってしまう。むしろ小綺麗な映像と台詞と、Twitterから拾ってきたような「育児あるある」エピソードで綴られた理想には、反発を感じる人も多いのではないか。
この辺りの浅さは「万引き家族」と対照的だ。
破局や変異や暗転がいつ発生するのだろう、この「別の時代の家族」が登場する事が物語世界に大きな動きを起こすのはいつなのだろう、と身構えながら観ていた自分が悪い。大作アニメだからそういう何かが起こるものだと思い込んでいた。
繰り返し登場する空撮の街、妙に段差が多い家、清潔で明るい家庭、そういうものから「起承転結の“転”」をつい探してしまう。あるいはそういうあれこれは、ミスリードとして仕込まれていたのかもしれない。
あるいは単に「様々な時代の空撮画像を比較するのって楽しいよね。そんな感じの映画を作ろう。映画らしくするための諸々はそれっぽくすればいいや」というコンセプトで映画を作ったのかもしれない。
実はこの作品、いわゆる夏休みの大作アニメーション映画では無いのかも。少なくとも、「大人も子供もはらはらどきどきしてそれぞれが感動を抱えて劇場を後にする」そんな作品ではない*1。そして予告編とタイトルの印象通りの映画でもない。そういう意味では「予告編詐欺」ではある。
だからつまらない、駄作だ、とはまるで感じなかった。
1800円払って2時間過ごして、十分に満足できた。
むしろ、大作アニメ映画らしからぬ、ある種ファッション誌に掲載されている短編小説みたいな雰囲気重視の作品なのに、そして細かな粗が気になってまるで集中できないのに、しっかり楽しめたのだ。これは大した監督と作品だとさえ思っている。
歪さ(いびつさ)でいえば「おおかみこどもの雨と雪」と同程度だと僕には思えた。
キラキラした言葉を積み重ねる人から漂うどうしようもない粗雑な何かが、きちんとこの映画にも存在する*2。
監督の意図が別にあるとしても、細田作品の特徴だと思う。魅力、とまでは言わないけれど、価値は感じる。時代をしっかり写し取っている。
歪みを見たくてわざわざ映画館にまで行くわけではないけれど、結局いつも細田守監督作品ではその薄闇が心に残る。
“それっぽく仕上げる”ことに長けた職人だからこそわかりやすく表に出てしまう引っかかり。
ここまで書いてアレですが、真面目におすすめできます。
家で(レンタルやTVで)だらだら観るよりは映画館が良いと思う。
ただし予告編の事は忘れて、タイトルも忘れて、それから「で、結局何だったの?」みたいな疑問も持たないこと。
「教訓の無い寓話」だと思えば誰でも楽しめる部分が必ずある。観て良かった。