まったくもう、と帰宅してからぷりぷり怒っている。
とある映画の試写会に行ってきた。
試写会といってもネットで申し込んでシネコンで観て帰宅してフォームに感想を書くだけの、予約サイトのユーザー向け無料サービスみたいなイベント。
僕がその感想フォームに「Webサイトと予告編には『時間と金の無駄である』と明記すること」「料金は0円〜400円とすること」等と書いても、たぶん何も変わらない。せいぜい、シネコンでの上映回数が激減するだけだろう。
ちなみにSNSその他で公開前に感想を述べることは禁止されている。どの劇場で観たのかも書けない*1。
感動作を狙って作ったのだろう。でも全く感動できなかった。
人によってはきちんと泣けたと思う。大人が仕事として100人以上関わって、誰の心も動かさないということはあるまい。
たぶん僕の求める「シンパシー(共感)」と「ワンダー(驚異)」のバランスが、この映画のそれと全然合わなかっただけだ。
とかく共感が求められる時代である。
これから日本がもっと貧乏になったら、共感しか残らないんじゃないかとさえ思える世相。
国でも社会でも家族でも、なんでも内向きこそ尊ぶ。「あああ、それわかる」という感激ばかり求める。
僕はどちらかといえば外向きの、異化と発見をもたらす感動、ワンダー(驚異)のほうを多く求める。
SFの魅力を説明する時に「センス・オブ・ワンダー」という言葉を使うように、自分と異なるもの*2に価値を見出す趣味嗜好がある。シンパシーも大切だが、映画館ではワンダー多めが好き、ただそれだけ。
ちなみにSFはサイエンスの部分で、そしてファンタジーは社会制度で現実世界と繋がっていると友人が言っていた。言い得て妙である。
とにかくこの映画はシンパシーばかり、しかも予告編や宣伝ではそうではない、という詐欺的な作品だった。ちなみに原作は(半分しか読んでいないが)ワンダー寄りだから、原作ファンは暴動を起こすかもしれない。
無料の試写会であり、僕は文明人だから暴動までは起こさない*3。
ただし参加者の義務である感想フォームにはきちんと意見を書く。
しつこい人、頭の制御ができていない人と捉えられないように、あくまで前向きに、問題点を整理して文章を組み立てた。
この日記は5分か10分で、推敲も読み返しもしないで書いているが*4この感想フォームは10倍くらいのエネルギーを使って書いた。
だから今、ぐったり疲れている。文章でここまで疲れたのは久しぶりかもしれない。
まったくもう。
映画の感想フォームには書けないが、シンパシーばかり求める世間の空気がここまであからさまだと、なかなかに生きづらい。
一時期、日本中のプリンがひたすら「とろーり柔らか」なタイプになった事があった。あの時も生きづらかった。
思えば静岡県中部に住んでいた時の映画鑑賞環境は素晴らしかったのだなあ、と回想している。
1年ほど「気になる映画は片っ端から劇場で観る」方針で過ごしたことがあった。面白くない映画も多少はあったけれど、今夜のような思いは一度も無かった。ミニシアターのシネ・ギャラリーも、古い東宝会館も信頼できる。シネコンはどの土地でも大して変わらないが、どうしても観ておきたい作品は少ない*5ので僕の“映画生活”への影響はそれほど無い。
今の住まいは映画館から近い。ショッピングモール内のシネコンまで車を使えば10分、中心街のミニシアターへも自転車で行ける距離。友人もほとんどいない独り暮らしだから映画館に行くこともある。でもこの土地で、というのは同系列のシネコン2つと衰退著しいミニシアター1つの香川県では、映画を趣味の中心には据えづらい。
静岡のシネ・ギャラリーは退屈な作品も多かったけれども、退屈とわかっていて選んでいるようなところもあった。気骨のある、シンパシー・ファーストの時代にあえて抗うような選択、あれはなかなか出来るものではない。
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