ロケーター・田舎のLINE・香典ループ

マクドナルドのロケーター

今日もまた、外部の人との打ち合わせにマクドナルドを指定された。
それで(いつものように)先に到着してコーヒーが届くのを待っていたのだが、この番号札(?)は、よく見ると電波を発する電子機器のようだ。裏側にMACアドレスや、電波系の認証マークが書かれている。

Bluetoothか何かの近距離通信によって、どのフロアのどのあたりにいるのかがわかるようになっているのだろう。テーブル単位で特定できなくても*1おおよその目安がわかれば、あとはこの札を探せば良いわけだ。

なかなか優れた仕組みだと思う。
大雑把なエリア特定で十分な効率化を図るところが賢いと思う。「人間が運ぶのだから、最後は人間が見ればいい」という当たり前を忘れない。こういうところは、大きな会社のほうが活用がうまい。

 

 

同窓会LINEグループ

ところで自分のLINEには、小学校、中学校、高校、そして大学(研究室)それぞれの、同窓会用グループが設定されている。
それぞれ、過去に同窓会が企画された時に作られたものだ。

この数日は、中学校のグループで、誤投稿が続いている。
地元に住み仕事をしている数人の間で行われる業務上のやりとりが、誤って同窓会グループに投稿されているようなのだ。
「形だけの見積書」や「いつも通りの額」「また飲もうぜ」といった言葉が次々とトーク画面に並んだ。一般的な仕事のやりとりには、まるで見えない。

その内容が、いかにも田舎の「狭い人間関係の間で行われる、根回しと暗黙の了解」といった内容だった。

それを見ながら僕は「ああなるほど」と思ったのだった。
「ああなるほど、こういうのが嫌で、この田舎から飛び出した人も多かったのだろうな」と。このあたりの言葉でいう「ツレ」が中心の狭いマイルドヤンキー的な社会だ。

それらのやりとりは、数時間で消されてしまった。

自分としては、「おっさん構文」は、おっさん同士のやりとりでは発生しないことが、一つの発見だった。
それでも絵文字使いなどで漂うおっさん臭さは否めないが、この田舎風トークをしていたメンバーが同窓会の際に行っていた典型的なおっさん構文は現れない。
理由はよくわからないけれど、これも一つのビジネスマナーなのかもしれない。

 

 

香典の記録

マナーといえば、今日はやけに葬儀関係の質問が多かった。
「Aさんの家に不幸があったけれど、自分は過去に(例えば親や祖父母の葬儀で)Aさんから香典を受け取っただろうか?」といった内容で、友人知人に親戚からと、まとめて問い合わせが届いたのだった。
もちろん、Aさんの部分はBさんやCさんと別の人間。

世間では通夜と葬儀が流行っているのだろうか?いや、論点はそこではない。

そんな曖昧とした、香典を受け取った側でさえ把握できていない過去のやりとりを、僕が知っているわけはないではないか。僕も彼らが言っている通夜や葬儀には参列したけれど、他の人のことなど全く気にもしていなかった。

そして何より、そんな曖昧な記録・記憶を元に、今回は通夜・葬儀・香典の判断をすることは、ずいぶんと礼を失した行為に思えるのだ。

 

忘れるくらいに昔とはいえ香典を貰ったのだから、今回はお返しをしなければならない。
そう考えているのだとしたら、それはもう「志」ではなく「しがらみ」だ*2

 

もちろん義理で行う香典や式への参列もあるのだろうが、だとしたら記録と記憶が無い時点で終わりにすべきだろう。不義理の誹りは甘んじて受けるべきだ。

 

 

余談だが、こういう人達に対して、記録をきちんと残すように提案しても、100%却下されてしまうのだった。帳簿をつけろと言っているのではない。スマホスプレッドシートでもメモアプリでも活用すれば、義理を果たせる。
なんなら紙のメモや香典袋をスマホで撮影しておくだけでもいい。画像に残しておけば、GoogleでもAppleでも画像内の文字は検索で引っかかる。

そういう小さな労力を厭って他人を頼るというのは、いささか失礼だと思う。僕にではない。故人と、故人の家族に対して失礼だ。

個人的には、こういう機会にこそ義理のループを切ることも、ひとつの大人の選択だと思っている。
悼む方法は他にもある。

 

お題「わたしの癒やし」

 

*1:技術的にも難しいと思う。

*2:そもそも香典返しの時点で、このフローは完結している。

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