飲み会を断る

週末の飲み会を断った。
まだ家族の体調が万全ではなく、万が一の新型コロナ感染が命に関わるので。
そもそも新しい仕事と職場で一時的に仲良くなった人達のお別れ会のようなものなので、えいやあと断れば後は他人である。

 

それでも残念ではある。
そういった明るい会食に飢えているのだ。酒を飲まない僕でも、大した理由のない馬鹿騒ぎの楽しさを欲している。

でも僕は知っている。今は残念だなあと思っていても、当日の夜はつまらないと思っていても、すぐにどうでもよくなることも。1年間そうやって過ごしてきたのだし、この疫病が流行る前だって無闇矢鱈に飲み会に参加していたわけではないのだから。

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とはいえ、断ったことは、他の同僚たち(もうすぐ元同僚になる人たち)にとっては本当に予想外というか、かなりの以外な返答だったようだ。
どうにかして参加できないかと別の日を提案したり、「用事が済んだら30分だけでも来てね」と声をかけてくれる。

断るにあたり「家族の感染が心配なので…」とは伝えていない。
そういうことを語りだすと長くなるし、飲み会参加者を"仮想の感染者”とわざわざ指摘するのは昼休みの空気を悪くする。
ただ簡単に「その夜は用事がある」と言っただけ。だからこその驚きと提案なのだろうが、しかし実際に「なにかあれば飲み会」な人達にとっては、飲み会の非参加は大事なのだと推測する。
高校の野球部員だった友人が人生初のデートのために練習試合を休んだときにも、やはり嘘をついていた。補欠の1年生で野球に人生をかけるわけでもないから練習試合だって必須ではないのだが、そういうことを言うと怒り出す人がいるのが、人間の社会なのである。

つまり飲み会は彼らの一部なのだ。実際はそうではないにせよ、彼らにとっては(高校球児にとっての練習試合のように)大切な切り離せない要素となっている。

自分としては、こういう価値観の人達に久しぶりに会ったことが、なんだか面白い。
四国で暮らしていたときも、同僚の大半は「飲み会がある?それじゃあ自分はリモートワークにするよ。その日は小豆島に行っているから不参加で!」といった、徹底した飲み会嫌いばかりだったので。僕も定時に帰宅して、家で小田巻き蒸しを作っているほうが性に合っていた。

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そんな水曜日。
仕事自体はほぼ順調。
ただ、風が強くて自転車通勤は往生する。
しかも今日は段差でチェーンが外れてしまった。20秒で外れたチェーンを戻したら、交差点にいた高校生と幼稚園児達*1が拍手をしてくれた。チェーンの復旧は、知らない人からしたら手間取って当然なのかもしれない。

 

 

*1:卒園式らしい。

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