夢に誰かが登場した。
無条件に優しくて年上で、そして僕を子供のように扱う誰か。目が覚めたら忘れてしまった。おそらくは母方の祖母だろう。ぼんやりした印象だけが残る。祖母と仮定して日記を書く。
祖母はずいぶん前に世を去ったが、僕のほうは、今回の夢の中では今の年齢だった。
そして、どういう話の流れかも忘れてしまったのだけれど、とにかくひとつの忠告めいた言葉だけを残してくれた。
「旅先の朝食は、準備もせずにたくさんの“種類”が出てくることが嬉しい。旅館の朝ごはんも、ホテルのビュッフェもそうだろう。
だけどつい食べ過ぎる。
最初の感動、喜び、何が素敵だったのかを覚えていなさい。朝から満腹になりたかったのか?お腹いっぱいになる予感で嬉しかったのかを、おかわりをする前に思い出しなさい」
この辺りでニュース番組のCGみたいな説明図が登場した。祖母の言葉がプレゼンテーション風に整理されていた。
「満腹になる事も悪くはない。でも、今回は“種類”を楽しむべきだった。
そうでしょう?だって旅はまだ続くし、昼も夜も、その間の休憩でも何かしら食べる。
朝から食べ過ぎたら、昼を十分に楽しめなくなる。それに見合う“量”だったのか?」
こうやって書き出すと、どうにも祖母の言葉とは思えない。
まるで自分の言葉だ。だって仕方がない。脳にあるのは僕の記憶なのだから。
そもそもなんで今のタイミングでこんな夢なのだ。
僕自身は、旅の朝は基本的に控えめ。特に理由が無くとも、安いホテルのビュッフェならば野菜だけで済ませておく事もある。
きちんとした旅館の朝ごはんは別だが。でも、おかずを食べるためにごはんのお代わりまではしない。
ある種の貧乏性で、「旅先ではその土地のものだけを食べる」と決めているので。ペットボトルの緑茶ですら、その制限は免れない*1。ならば朝食の制限など、それほど苦ではない。
夢の話はつまらない。とりとめも無いし、オチも無い。
教訓すら無い。なにしろ頭の中のぼんやりが形を成しただけだから。
そういう日記もある。夢もまたその日の出来事。