稲荷社の無い工場。

 




かつての上司に誘われて、製薬工場の立ち上げに関わることになった。
彼もまた職場を辞めていて、そして病気が長引いて退職した僕の事を、何かと気にかけてくれる。
この人の「右腕」として働いた自覚も実績も無いが、しかし話は合うと思う。とりあえず「あらゆる力を尽くし、仕事量を最小化する」という点では、意見が一致していた。



今日は顔合わせ。製薬工場としては、かなり変わった成り立ちと雰囲気の「大学教授によるベンチャー企業」だった。
とにかくあらゆる仕事を外注に出して(総務や庶務を請け負う業者があるという)、設備は設備メーカー任せ、労働力はパートと教授の門下生という、コンパクトな製薬会社。
以前は、既存の製薬会社の資本や人材や知識が無ければ、ゼロから工場を立ち上げるのは無理だとされていた。そういう意味では現代的な低コストの新工場。
数年後に、どこかに丸ごと売る目論見らしい。


しかし設計図や手順書だけでは、工場は動かない。作業者の動線や手の動かし方、休憩する椅子の位置まで、細々した事を決めるのが僕達の役割。
「それでは正社員とはいかないまでも常駐スタッフにして下さい。労働力兼アドバイザーです」と言ってみたが、それは無理と言う。
土地を借りる関係で、地権者の関係者を優先的に雇う決まりになっているという(具体的に言うと、パートさんは地主の親戚で占められている)。
最近は、工場運営専門のコンサルタント業まであるらしい。本来ならそこに頼むものを、予算と規模で折り合いが付かず、上司(元上司)や僕を臨時雇いする事になった。要は「隙間仕事」だ。
そして「自己アピールの目的で、自分にしかできない"仕込み”をしません。全てのノウハウを出し尽くし、誰でも使える形で残します」という誓約書にサインをする。
仕事は、夜中の時もあるし、土日もある。暇な平日には呼ばれない。今日のスケジュール表を見た限りでは、ずいぶん不定期だ。
ともあれ給料は良いし、拘束時間は短い。通勤時間も短い。それに「最適化」は好きな作業だ。




そんな風に、まるでモジュール化されたような職場なので、もちろん稲荷社は設置されていない。
製造業、特に製薬工場の多くは、敷地の隅にお稲荷さんを祀っている。歴史のある工場や会社は大抵ある。外資系の会社では、無いところもある。
総務の人が毎日油揚げを供えるところもあれば、植栽を手入れする植木屋さんに任せっぱなしの工場もあった。透明アクリルの箱に入った「無塵室用神棚」をカタログで見た事がある。
実験動物を扱うところは、慰霊碑が別にある場合も多い(外国人に驚かれる)。
変わったところでは、酵母などを扱う工場の隅に「菌塚(くさむらづか)」を設けて、慰霊祭では培地や糖液を捧げるところもある。
僕は無くても気にしない。
しかしトラブルが多発した時に「神様を祀っていないからだ」と考える人がいたら不幸だし、手を尽くして目的を成し遂げた時に「あの時に稲荷大明神に祈願したからだ」と思えるなら便利だと思う。
製薬工場は理屈で動くが、人間の心の下支えに神様がいても(神様側が過大な要求さえしなければ)それはそれで構わない。社会を上手く回していくツールとしては、十分に役立つものだと思う。




この会社の場合、ポリシーとして(つまり教授の信念として)稲荷社を置かない。
元々は食品倉庫だった敷地。建物と共に引き継いだ祠は、会社設立と同時に撤去したという。
非科学は工場運営に害となる、と思っているらしい。
祠が置かれていた場所には、芝生とベンチの休憩場所ができていて、お茶を飲みながらそういう話を聞いた。植え込みの影に、横倒しになった祠と、狐の石像が見える。
確かに特定の宗教に肩入れする理由も無い。全ての仕事はルールに基づき行われるのが原則だろう。稲荷大明神や狐の出番は無い。
しかし思う。個人的嗜好で「理知的に見えるように振る舞おう」と思っている僕のような人ならともかく、例えば年配の人なら反感を持つのではないか。
まあ、「言われてみれば無いねえ」程度の反応がほとんどだと思うが、横倒しにして放置というのは、あまり良い光景ではないし、いずれ誰かが気付く。




なかなか「政教分離」というのは難しい。政治ではなくて工場運営でも、場合によっては製造ラインの最適化よりも難しい。
政治家が神社詣でをする是非や、町内会で神社の草取りをする、そういう末端の話とは別の、政教分離の求めるところは、意外と理解されていないと思う。
あれはつまり、物事の判断はルールに基いて決めなければならない、モラルに基いて決めてはならない、という話なのだ。
誰かの気分や信条や信仰ではなくて、手続き通りに作られたルールこそが正義、という考え方。
宗教のごたごたと革命の大騒ぎの後に生まれた、近代ヨーロッパ的な原則。本場のヨーロッパはともかく、アメリカでは少々守られていない気がするが、確かに論理的ではある。
「そうはいっても気持ちが収まらない。私は機械じゃない」と考える人は多いと思うが、建前としては悪くないし、他の色々な判断方法よりは、ずいぶん上手く機能している。


そこまで話をこじらせないで「気分」なんて持ち出す余地のない方法で仕事をしてもらうのが、僕の求められている作業だと思う。
モチベーションやモラルや信条を掲げはじめたら、少なくとも製薬工場の日常業務においてはイレギュラーだ。それは技術とルールで対処する。
しかし気持ちの切り替えがすっぱりできる人は少ない。僕でさえ「わざわざ祠を撤去しなくても」と思うし、最悪の場合、こういう些事が人的トラブルの火種になる。
なかには感情表現のために働いている(ように見える)人もいる。そういう人は、芸術を手がけたら良いと思う。






そんな訳で、敷地の隅に横倒しになっていた稲荷社は、それが話題になる前に「無かったこと」にする。それが僕と上司の初仕事。細やかな心遣いが我々の信条。
ホームセンターで売られているようなコンクリート製の小さな社だが、意外と重い。
土台部分とそれ以外で別れるから、上司と半分ずつ負担する案もあったが「それもあれだねえ」と曖昧な理由でやめた。祟りなんて信じていないが、半分だけの祠なんて置き場所に困る。
頑張って車に積んで、実は今もプリウスのトランクに置いてある。2体の狐(狛犬風に阿と吽がある)は、後部座席に立ててある。ご神体らしき丸い石は、モニターの前にある。
静岡市に「お守りや御札や祠を引き取ります」という神社があるので、そこに明日行く。不要になった祠を、まとめて置く場所があるとのこと。無縁仏供養みたいなものだろうか。





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