古いものから買う。


 

母が腰を痛めたため、食料品の買い物は僕の役割になった。
スーパーマーケットは好きだ。大きな全国チェーンでも、地元に数店舗だけの垢抜けないお店でもいい。
時間をかけて歩くと、何かしら面白い発見がある。


スーパーマーケットでは、製造年月日が新しい、下のほうにあるものを選んで買う人がいる。特売品の牛乳やヨーグルト売り場では本当によく見かける。
これは変だと思う。完全に間違っているとはいえないまでも、多くの人にとっては「無駄」な行動だと考える。


確かに、昔から「新しいものを選ぶ」事は、家事にまつわる常識として言い伝えられてきた。そのほうが品質が良く安全で、長持ちするから結果的に無駄が減る。
これは現代でも、鮮魚や葉野菜ならばある程度は通用する。毎日食べる分だけを買えない人ならば特にそうだろう。
しかしスーパーマーケットの品物は、そういうこだわりを無効にするほど、多くの品目で十分な鮮度を持っている。特に賞味期限の短い製品ほど、衛生管理が徹底されている。
作られてから3日目の牛乳を飲んで「1日目から比べてずいぶん味も品質も落ちたなあ」と思う人は少ないし(プロなら気にするけれど)、実際に期限内ならば、目に見えて不具合を感じる事はまず無い。


それでも「賢い消費者」は、いちばん新しいものを奥から抜き取る。
「新しいほうが質が良いだろう」という漠然とした気分と、「長持ちしたほうが有り難い」という理屈には、もちろん「同じ価格なら」と但し書きが付く。
なるほど賢い、とは僕は考えない。「新しければ〜」は前述の理由で、ただの気分の問題だ。そして誰もが「賞味期限ぎりぎりまで使い切れない」という生活スタイルだとも考えられないからだ。


たまには賞味期限を越えてしまい、廃棄する事もあるだろう。週に1回のまとめ買いで済ませる人もいる。
でも多くの人は、賞味期限や使用期限の数日前に使い切り、新しく買い足す。「これを悪くなるまでに使い切れるか自信が無い」と考えてもなお日常の購入品リストに加えている人は、ただの無謀だろう。
つまり、それほど深く考えず、とりあえず一番新しいものをカゴに入れている。「新しいものを選ぶ」という常識を疑わない。
あるいはもっと単純に、自分以外の都合を想像していない可能性がある。



これで何が困るかというと、まずスーパーマーケットが困る。完売ならともかく、皆が新しいものを選んで抜き取っていったら、廃棄品のリスクが増える。
そうなると、客が困る。セールの回数や値引き額が減るかもしれない。実質的な値上げだ。
ぼんやりと固定観念に従って、ほぼ益のない行為を続けただけで、いつの間にかスーパーマーケット世界は荒廃するのだ。
夢のように良いものばかり並んでいる現代のスーパーマーケットだが、完全無料の「新鮮」は存在しない。誰かが何処かでコストを背負う。




食費を抑えたければ、スーパーマーケットで買う品は古ければ古いほど素晴らしい。というと言い過ぎだが、自分に可能な限り古い品を見定めるのが、正攻法だと思う。
なにも大根の皮をキンピラにするばかりが、資源の有効活用ではない、という事だ。
無駄遣いが減った分、スーパーマーケットや生産者は困るかもしれないが、それはまた別の話。




このように、スーパーマーケットは全く飽きない。
全然関係ないが、今日はミスタードーナツに行った。
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このハロウィン仕様の「ハローキティ・ジャック・オー・ランタンドーナツ」は、もう十分に食べた。今後は、おそらく来年以降も、積極的に選ばないだろう。
昨年のジャック・オー・ランタンドーナツは、1回食べただけで「好物」カテゴリーに分類された。今年も同じくらいにかりかりと美味しく食べ続けていたが、今日はふと「もういいかな」と思ってしまった。
ハローキティ・コラボレーション世界からは遠ざかりたい性分なのも理由だろう。なんとなく味が落ちた気もする。でも断じて、飽きたわけではない。
恐らく、先が見えてしまったのだと思う。今後も十分に美味しいし、それなりの発展はするのだろうが、それだけだ。



こういう感じの「もういいかな」は、例えば「田口ランディの小説」や「テレビゲーム」でも訪れた。田口ランディ氏の作品は、2冊で「なるほど素晴らしい。でも、もういいかな」と思った。
「町外れにある小さなお店で、風変わりな店主が作るポトフは飛びきり美味しい。今日も欠落を抱えたお客さんが訪れ、ポトフを食べてほっこりしています」という感じの話も、もう十分。間違いなく好きなのだが。
逆に、時間と金銭の無駄だと思いつつ、駄目だとわかりながらも止められないものもある。趣味の話は長くなるので割愛する。
もちろん、永遠の定番として愛し続けるものもある。いつ断絶が訪れるのかは僕自身にもわからないが、「一生このまま」な気配のものも、いくつかある。
せっかく楽しんでいた貴重な流れを、こうしてぶっつり断ち切ってしまうのは、いかにも惜しい。可能性を逃している気もする。偏狭な雰囲気もあるから、普段は言わない。
しかし時間は有限で、食べるべきドーナツは膨大なのだ。ドーナツばかり食べて生きるわけにもいかない。本音を言えばご飯とドーナツを置き換えて生活したいが、それは家族が悲しむ。





大判の文芸誌「MONKEY」。柴田元幸責任編集。小川洋子川上弘美糸井重里古川日出男などの文章。そしてポール・オースターの特集。
「架空の講演会」スタイルの村上春樹のエッセイが、村上春樹らしさ満点の「小説家と小説」論だった。彼の文体が好きな人なら大喜びだろう。
小説作りに興味のある人や小説家志望ならば、よりいっそう楽しめそう。僕はそちらの方面に興味が無いけれど、十分に楽しんだ。

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