イカハチミツと祖母の言葉とウスターソースの謎。


 

仲良し。 
今日は偶然、母方の祖母を思い出す出来事にいくつか遭遇した。



NHKの昼の番組「ひるブラ」で、函館のイカが取り上げられていた。
生簀から出したばかりの生きたイカを、目の上辺りで切る。それくらいではイカは死なない。死んでいると言えるのかもしれないが、とにかく元気に動いている。
そして少しのゲソと、胴体から外した外套膜(筒型の身の部分)を刺し身にして食べる。ゲソは醤油の刺激で蠢いている。
番組の最後には、海鮮丼に先ほどの頭部から足にかけての部位が乗せられ、醤油をかけてバタバタしているところを「うわーすごい」とスタジオとリポーターが騒いていた。
たぶん頭部(目と口吻と脳がある辺り)は食べないのではないか。それはともかく、YouTube辺りで「日本のグロ画像」として有名になりそうな感じがする。
祖母はこの種の「活造り」に懐疑的な人だった。
宴席で魚の活造りが出されても「これは下衆なものだ。モーターリゼーション後に生まれた都会の成金向けのサービスであり、伝統ある生食文化としては無意味だ」と、幼稚園児向けに噛み砕いて説明してくれた。
古い日本料理屋の娘だったから、思うところがあったのだと思う。
普段は全く頑固なところの無い、というか僕に対しては100%甘いおばあちゃんだったが、食に関してはひやっとした事を言った。そういう言葉は忘れにくい。
彼女の言葉が本当に正しかったのかは未だにわからない。しかし確かに、食の、特に鮮度のアピールになると歯止めが効かないところが、日本人にはある。急に豊かになったからだと僕は推測するが、どうなのだろう。
イカの活造り」が海外で変な風習として面白おかしく取り上げられたら「日本の文化だ」と怒る人もいるだろう(インターネットの世界ではわりと頻繁にある)。
しかし(祖母が言ったように)その前提自体が違う可能性もあるし、そもそも文化だから無条件に尊重するのも変な話だと思う。



祖母はまた、蕎麦の食べ方についても言葉を残している。
「蕎麦を食べる時に音が出てしまう事は無作法では無い。しかし音を出さなければ粋ではない、あるいは不味いというのは昭和生まれの勘違いである」と言っていた。
日本食の原則として、音を出さずに食べることが出来れば、その方が良い。うどんでも茶漬けでも同じ」とも(もちろん幼稚園児向けに柔らかな言葉で)教えてくれた。
たぶん「音を立てて食べるなんて田舎者(あるいは欧米化が遅れた)人の悪習だ」といった時流への反発心で「むしろ音を立てたほうが良いんだ。江戸っ子の粋だ」とまで言った人達がいたのだと思う。
単に「お行儀の良い食べ方」を、古臭く非人間的なものと極端に否定したかった流行があったのかもしれない。



たまに「暮しの手帖」に「昔からの美徳とされたものが、実は戦争や高度経済成長の影響を受けた"作られた”古き良き教えなんですよ」という記事が載る。
そういう記事を読むたびに、祖母を思い出す。
最近はラーメン屋の作務衣を見ても思い出す。あれも作られた変な日本の姿だ。





そしてハチミツ。
昼に、以前作った「ナッツのハチミツ漬け」をトーストに乗せて食べた。美味しかった。
それから部屋で作業をしていた時に、唇が甘い事に気がついた。
幼稚園児だった頃、夕方までは祖母の家に預けられていた。夕食前に、仕事を終えた母か父が迎えに来る。それまで祖母や祖父と過ごした。たまに夕食も一緒に食べた。
あの頃、寒くなって唇がひび割れると、祖母はハチミツを塗ってくれた。今なら輸入雑貨店で売られているような凝った形のガラス瓶を覚えている。
既にリップクリームがあった時代。甘いからどうしても舐めてしまう。「絶対に舐めてはいけない。舐めているうちは治らない」と祖母は言う。
あれはハチミツの保湿効果というよりも、呪術だった。実際に、唇のひび割れとハチミツの存在を忘れた時にしか、ひび割れは治らなかった。




今日はたまたま、祖母の家(祖母が死んでからは伯母が住んでいる)の近くにある古い商店街を通った。
そこでしか売られていない「白いはんぺん」と「しのだ揚げ」という練り製品を買ってみた。
今住んでいるところは、白いはんぺんを食べない。はんぺんといえば「黒はんぺん」であり、それは簡単に言うと半月型のイワシのつみれなので、世間一般の正方形のはんぺんとは大きく違う。
そして「白いはんぺん」は、正方形のはんぺんとも少し違う。半月形に成形してあり、弾力に富み重い。大きなものを薄く切って食べる。
「しのだ揚げ」も、同名の練り製品は各地にあるが、やはり少しだけ異なっている。小さく平たい楕円形の揚げ蒲鉾。普通は魚肉だけだが、秋にはスライスした栗が入る。薄切りの黄色い栗は、他所で見た事が無い。
今日の夕食は、これらを主菜にした。
「白いはんぺん」はワサビ醤油で食べた。そして「しのだ揚げ」は、祖母の習慣を受け継ぎ、ウスターソースと辛子で食べる。奇妙な組み合わせだが、他に食べ方を知らない。幼児期から、この食べ方だった。
祖母はウスターソースに絶大な信頼を置いていた。カレーにも加えたし、トマトジュースにも1滴垂らした。あらゆる食品にウスターソースを使っていた。
祖父はそれを苦手としていたと、大人になってから聞いた。あのウスターソース好きは何だったのか。別にハイカラな人でもなかった。娘である母は、特にその性向を受け継いではいない。



どこか秘密のある人だった。20代のある期間、何処で何をしていたのか誰も知らない。何故か愛知県で祖父と知り合い、生まれ故郷でもない清水市(今の清水区)に引っ越してきた。
モールス信号や粘菌や計算尺に詳しく、しかし普段は全くその事を言わない。聖歌を歌えるなんて、兄の結婚式の時に判明した。葬式には謎の戦争遺族会みたいな老婆達が来たから、軍関係の仕事をしていたのかもしれない。
といっても、影のある人では無かった。友人はやたらと多かったが、1人で映画館や温泉や行楽地へどんどん行ってしまう行動力があった。
何故か「静岡県初の洋食屋の最初の日」の記録写真に写り込んでいて驚いた事がある。市の回顧録を眺めていたら、いきなり祖母が出てきてびっくりした。ハヤシライスを食べたらしい。
老人ホームに入ってから、実はギターが弾けたと判明した。しかも弦と周波数の理論(弦の長さを半分にすると1オクターブ上がる)を理解したうえで耳コピーもしていた。「女学校で習った」と言っていた。
余談だが祖父は笛なら何でも吹けた。リコーダーでも手作りの土笛でもオカリナでも吹けた。しかし日常で楽器を触る習慣は無かった。昔の人はよくわからない。
しかし今でも、鯖の塩焼きにウスターソースはどうかと思う。何度か試したが、どう頑張っても受け継げない。本当に日本料理屋の娘なのかとすら思う。









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