ガソリン代と、物の値段。

 



秋晴れにNHK。
久しぶりに給油をした。44リットルほど入れて、6900円ほど。
ちょっと驚いた。昔は5000円台で、原油価格高騰が話題になってからも、6000円前後がせいぜい。
もうすぐ7000円というのは、非日常とまではいかないが実用品で消耗品の支出としては、額が大きい。
それでも最近は涼しくなってきて、燃費も真夏よりは良くなった。


価格といえば、スーパーマーケットでの買い物も、支払いの時に「あれ?」と思うことが増えた。
僕の場合は家族が出かけている時に、自分用の食材を買う程度。趣味的な品は、まず買わない。それでも、思ったより高くなる。
深く考えずに(というのは値段を見ない訳ではなくて、安くて必要なものだけを選んで)カゴを持って店内を一周すれば、概ね幾ら位なのかは見当が付いていた。その見当が外れる。
今のところはそれほど不便はしていないものの、「思ったより安い」よりも「思ったより高い」ほうが嫌なのは当然であるし、今後はもう少し気をつけていかないとまずいだろう。
そしてキノコばかり特売なのは何故だろうか。キノコ生産に革命でも起きたのか。


我が家は(母の方針で)わりと良い食材を使っているほうだと思う。
自分としては、銘柄米ではなくても多分気が付かないし、刺身は好きだがタンパク源は別のものでもかまわない。我が家は刺身ばかり食べ過ぎだと思う。
だから今後の物価高や消費税の増加も、粗食や清貧を心がければ、なんとなく乗り越えていけると思っている。個人的な削りしろは、まだまだある。






しかし製パンや製菓や食品製造に携わる友人知人達の絶望感は深い。
彼らの心配は多岐に渡るが、興味深く聞いたのが「品質の臨界点」の話だ。
このままコストダウンを進めていくと、それが量であれ質であれ、最終製品の品質に「決定的に」影響する日は近い、という。
例えばケーキ屋さんは、コスト上昇分をケーキを小さくする事で吸収しようと試みるだろう。値上げはしづらい。
でもケーキの小型化には物理的な限界がある。膨らみ加減や焼き色といった品質は、小さすぎる型ではどう頑張っても保てない。逆もまたしかり。



また、材料の品質を落として対応する事も難しいという。材料のグレードも、ある程度より落とすといきなり「悪い意味で外国の品質」になる。
海外旅行から帰ってくると、あるいは海外のお土産を食べた時には「日本のお菓子は安物でも美味しいなあ」と妙な実感があるが、それが無くなるらしい。
「粉なんてどれも同じ」というのは素人意見で、僕達はずいぶん高級品を使っている。
加えて、「消費税の増加分だけ小さい果物」といった都合の良い低品質な食材は無い。質も量も、なだらかには下がらない。



こうして小さくて貧相になったケーキを誰が買うのか、という話になる。「高いから少しだけ買う」とはならない。必需品で無い限り、そういう楽しくない買い物はしなくなる。
個人で食品作りに携わる人は、材料へのこだわりがモチベーションになっている事が多い。「ここを妥協するなら、やりたくない」と思う人もいるのではないか。
このブラックホール的な臨界点が、玉子と小麦粉と砂糖を使った業界に、じりじりと近づいていると言う。
すでに「お茶うけ用和生菓子」では、壊滅したジャンルがあるらしい。大手企業だけがスケールメリットを活かして生き残る。
ある日を境にして、静岡の街の美味しいお店がばたばたと閉店したら困る。大変に困る。文化的損失といえよう。買い支えなければ。僕は「パンが無ければケーキ」派だ。






僕がかつて勤めていたいくつかの会社は、全て製薬業に関連していた。処方箋が無いと買えない薬を作る工場。
薬は(例外はあるけれど)基本的に単価が高い。小さい割に高い。価格も国に決められているから(なかなか厳しい価格設定であっても)、最初の見積りさえ誤らなければ、それほど酷い事にならない。
いきなり工場閉鎖とはならずに、大きなグループに吸収されたり、設備と人材と特許だけ移っていく形が一般的だった。
もちろんコストダウンの圧力はある。
しかし「これ以上の残業や増産をしたら、たぶん品質に関わるトラブルが一気に増えるだろう」と生産現場で囁かれる状況は多々あるにしろ、売り物にならない品しか作れない状況には、まずならない。
思えば平和な業界だった。なんであれ「品質第一」が嘘ではないだけで、ずいぶん幸せだと思う。



同じような臨界点を、例えばJR北海道などでは越えてしまったのではないか、と想像する。鉄道会社の場合は、安全がこれにあたる。
限度を超えたコストダウンは、基本的に効率が悪くなる。それも急激に悪くなる。フィードバックの恐ろしいところ。
いつ臨界に至ったのかは、後になってわかる。多くの場合、回復は難しい。




不景気になると、今の生活で無駄に思える色々なものが消えて、すっきりすると言う人もいる。清貧で洗練された世界になると説く。
イメージとしては、イギリスの田園地区や、北欧ナチュラル雑貨の世界。良い物を大切に使う品の良い人達の世界。
本当だろうか、と僕は半信半疑だ。というか8割くらい疑っている。
なぜなら、今の安物は無駄だらけなのだ。100円ショップは昔も今も装飾過多だ。不景気が進んで、日本中のお店が無印良品化するとは、僕には思えない。
「同じ量のインクを使うのだから、もう少しデザインを吟味しよう」とか「このメッキプレートは本当に必要なのか」という方向には、たぶんならない。
これもまた、効率が悪くなる方面の、負のフィードバックだと思う。
そういえば、今まで旅したアジアの国々も、貧乏人になるほど装飾過多だった。宗教関係だけは別だったが。
なぜヨーロッパの人達は、「世界の車窓から」的に清貧な生活を送れているのか。そこまで考えて、90年代イギリスの映画「トレインスポッティング」を思い出した。全然、品が良く無い。




それにしても、自家用車はもう少し洗練しても良い工業製品だと思う。安くしても高くしてもいいから、あの変な高級感の演出(木目調パネルやメッキパーツ)は止めて欲しい。
無印良品が車を売れば良いと思う。大昔に日産マーチの改造版みたいな車を扱っていた。あの頃の無印良品は「虚飾を廃する」方面に挑戦的だったと思う。
そろそろ「国民車構想」を夢想しても良い時期なのかもしれない。あれはあれで、大変にお金がかかるらしいが。
自転車もまた、安物のほうが装飾過多になる傾向がある。西友で見つけた8000円のママチャリには「Good Afternoon」とシールが貼られていた。あのシールが無いと売れないのだろうか。




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