幸福になる薬と、祭の準備。


Cafe Bikiniのハロウィーンクッキー。キャラメル味。 
病で療養中の友人のところへ、お見舞いに行った。
いくつか頼まれていた品を渡し、貸していた本を返してもらう。
「飲んだら楽になる薬ってないものかね」と聞かれる。面倒くさい方向に悩み始めたのかと身構えたが、要はハッピードラッグの話だった。中島らも氏の本を読んだらしい。
飲むだけで一定の幸福感が得られる薬も、もちろんある。しかし耐性が付きやすく、常習性があるために、合法的には手に入らない。それに効き目もまちまちで、常に同じように幸せ気分にはなれない。
幸福感は医学の分野かもしれないが、絶対的で普遍的な幸福は、おそらく「1日3回食後に服用」で何とかできるものではないだろう。脳の「幸福中枢」は、有無すらはっきりしない。
似たような話で、「飲むだけで満腹感の得られる薬」もまた、難しい。あればダイエットの決定打になる筈だが、お腹を膨らましただけで食欲が減るのは最初のうちだけ。
概ね、生存に関わる機能と、脳の複雑な機能をコントロールする分野では、まだ薬理学は特効薬を見つけていない。脳と神経を騙すのは難しい。
とはいえ、脳の特定部位に電気を流してみたら従順になってしまった、という意外な単純さがあるのも人間の身体の面白いところ。
「言われている事は完全に理解できている。不公平で、自分に害があるのもわかる。でも素直に従ってしまう」状態は、なかなか想像をしづらい。ある種の色盲絶対音感が他人に説明しづらい事に似ているかもしれない。
SF小説虐殺器官」に痛覚マスキングという技術があった。兵士に施す「痛みの発生は自覚しているが、痛くない」という脳改造の一種。単純な無痛では傷に気づかないから「痛さ」だけを消す。便利だ。
問答無用に眠らせる、あるいは問答無用に緊張がほぐれる、といった乱暴な薬は既にたくさんある。それを少しずつ癖にならないように調整して使うしか、まだ手は無い。




昨日の日記は、要は「貧すれば鈍する」の一言で終わる事に気がついた。
貧乏を避けるべきなのは、それ自体が不幸な事よりも、鈍することで負のスパイラルに陥る危険性があるからだと思う。





今日から3日間、街の古い神社の大祭りが開催される。
小学生が朝から走り回っていた。学校はお休みらしい。数年に一度の大祭りだからか、妙に街が浮ついている。何処にいってもざわざわしている。
普段は死んだように静かな裏路地にも人がいる。唄や踊りの「お師匠さん」みたいな人も歩いていて、いつもの田舎町では無いみたいだ。
東海道の宿場町として栄えた名残りが感じられて、散歩が楽しかった。




先日、1kgも買って持て余していたコーングリッツは、約400gを知人が引き取ってくれた。
パンを焼く人なので、イングリッシュ・マフィンに使うという。確かにイングリッシュ・マフィンには必要不可欠だ。でもたくさんは要らない気がする。
残りは、少しずつ消費している。ホットケーキに混ぜると美味しい。もう一度、近いうちにコーンブレッドを焼くつもり。




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