化学と科学

最近、兄の奥さんから医科学的な質問を頻繁に受けるようになった。
甥が体調を崩すことが続いたので、少々心配になったらしい。
自分も適当なことは言えないので、ネットで調べて、後は医者に聞くようにアドバイスするしかないのだけれど、時々あまりの知識の無さに唖然とすることがある。

 

これは兄嫁以外にも多くの人から聞いている話だが、世間に出回っている医薬品の多くが石油由来のもので「本当は体に悪い」という説があるらしい。初めて聞いた時はびっくりしたけれど、ここ2年ほど何度も聞いているうちに慣れてしまった。

まず、医薬品のうち石油から合成されるものはごく稀であり、特に日常的に使われる内服薬や注射薬はその多くが生体由来なのだ。
人体に影響を与える物質を、わざわざ高価な地下資源から合成するという発想がよく判らない。
シャンプー等で植物由来原料を売り文句にしているものも見かけるけれど、界面活性剤の多くは植物油から作られる(その方が安いらしい。)。ラベルの成分表示が(怖そうに見える)化学名で書かれているので、こんな間違った“売り文句”がまかり通るのだろう。

大体、石油から合成されたとしても、何故それが“危険”に繋がるのだろうか。
石油が危険だからといって、その化学的性質が合成された物質に受け継がれるとしたら、まるでホメオパシーの発想だ(あれは水だけれど)。
望む性質(この場合は薬効や安全性)を得るために合成をしている、ということを忘れているのだと思う。

漢方薬なら安心、という意見も聞いた。
しかし、漢方薬だって薬効があるのならば“化学的性質を期待されたモノ”なので安心の根拠にはならないだろう(薬草を干したりしている時にも“化学変化”は起きているのだが、そういうのは気にならないらしい。)。


昔から気になっていることでもあるが、この種の話題を支持する人というのは“石油=反自然=危険”“生物=自然=安心”というイメージを持っているのではないか。
石油なんて、鉱物資源(塩等)と比較すれば、つい最近できた純粋な自然資源だと思うのだが。
当たり前の話だが、非生物由来の物質と同じくらい(あるいはそれ以上に)、生物由来の物質にもリスクはある。


さらに、自然が人間に優しい、というのも無茶苦茶な意見だ。
人間は自然の一部なので、自然由来の物質に害の少ないものがあってもおかしくはないと思う。
でも、自然は人間の為に存在する訳では無いし、ましてや人間の健康の為に何かを用意している訳ではない。
逆に、多種多様な自然界には、毒になるものの方が多いし、それらの多様性の坩堝から有用なものを探し出してきたのが僕達の歴史なのではないか。

医学に科学的手法が導入されてからの数百年、人類は驚く程多くの病気を克服してきた。寿命だって延びたし、生活の質も向上した(癌は増えたけれど、癌の主要因は加齢なので当然の結果)。
それらの積み重ねと比べた時、「化学物質=怖い」という偏見や、テレビや本や伝聞に頼った知識は、どれほどの有効性を示せるのだろうか。
一時の安心はできるかもしれないが、その為に我が子や自分の健康を賭けるのは傲慢というものだろう。

僕達は、自分の主観に対して、もっと謙虚に対峙すべきだ。
正論は人生の目的ではないが、正論でない健康はありえない、と昔の医者も言っていた。

 

 

 

 

というようなお話を、今日の午後に職場でパートさん達に行なった。
もう少し柔らかい言葉で、絵や写真を使って実施した。
「自分達のやっている仕事(製薬!)が、本当に人類の役に立っているのだろうか。」
「薬で人を幸せにできるのか。我々は本当は悪いことをしているのでは。」
という疑念を抱くパートさんや若手社員がいたので、その対応をすることになったのだ。
今年は“教育係”を拝命したのだが、ここまでやるとは思っていないかった。

涙を流して聞いている人がいた。
感動を与えるつもりで話したつもりもないし、なんだか狙いから外れてしまったようで、(この人に対しては)正直言って残念だった。

 


自分達が作っている薬は、酵母から作ったアミノ酸を砂糖で固めただけの、ほとんど毒にも薬にもならないもの(医者からは“フリカケ”と渾名された)なのだが、それでも不安になるようだ。
“公害の街”で育ったせいだろうか。
普段は極端なほどに生産活動を善とみなしている彼らが、急に自分達の仕事に悩むことがある。
その振幅の激しさは、見ていて(別の意味で)不安になってしまう。

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