へびにであう

昼休み、まだ晴れているうちにと近所を散策する。
近くに神社があり、裏手には遊歩道が丘の上にまで延びている。
かつて税金を注ぎ込んで市民の憩いの場に設定したが特に栄えることもなく今は単なる山の道、といった風情の場所。ちょっと登れば誰にも合わない静かな時間が過ごせる。大型車の音と鳥の声だけが聞こえる。人家の屋根がすぐそこに見下ろせるのに人の声はまるで聞こえない。
遠くに海が見える。

 

そんな場所を黙って登っていたら、まずはカラスに出会った。まあ、山と神社と田舎町、カラスがいても不思議は無い。
カラスは一般に嫌われものだけれど、よく観察するとつやつやと深みのある黒が美しい鳥だ。そう思いながらしっかり観察したら、足の周りがとても汚くて幻滅した。でも不吉な感覚は無い。鳥は鳥だ。

それからしばらく歩いて、ヘビに出くわした。
真っ黒なシマヘビ。最初は若いマムシかと思って緊張した。のんびり身体を温めていたのか、近寄ってもあまり動かない。
触ろうとしたらするすると高いところに行ってしまった。

職場に帰る途中で、またしてもシマヘビに出会った。
こちらは車道に降りていきそうだったので、わざと脅して山側へと移動させた。いや、掴めれば久しぶりにヘビを触ってみたかったのだが。

午後からは雨。最初は傘も要らない程度だった。
今はざあざあとそれなりの量が降っている。
会社では集中できないし仕事そのものではないから…と帰宅してから延々と(仕事に活用できそうな)Illustratorの素材やイラストを作っている。あっという間に寝る時刻になってしまった。

というわけで寝ます。
明日は早起き。明後日はもっと早起き。でも冬ではないから、それほど辛くない。

 

福島第一 廃炉の記録

福島第一 廃炉の記録

 

 

外出にサコッシュ

仕事中に、少しだけ外出することが増えた。
よくこの日記に書くように、昼休みに帰宅してお昼ごはんを食べたり、それからオフィス用品を買ったり、役所や郵便局に行くこともある。郵便物はようやく集配&料金後納手続きが完了したが、それでも小さな職場だから、ちょっとした外出は多い。
単なる散歩、昼休みに近所を散策する事もある。

倉庫や別の棟といった、ちょっと離れた敷地内にも頻繁に出かける。

さて、そういう時には仕事用の携帯電話が必要となるわけで、それから自分の携帯電話、財布、ペンとメモくらいは持ち歩きたい。買い物はしない時でも、免許証の入った財布は必要になる。
会議室に行く時も、パソコンやマウスやノートに加えて、何かしら細々した物が必要になってくる。

いつの間にか、サコッシュが「業務時間中の外出かばん」になっていた。車に乗って遠くに行く時は通勤用のかばんを使うのだけれど、ちょっとそこまで、という外出にはとりあえずサコッシュに電話や財布や必要と思った諸々を放り込んで出かけていく。

サコッシュ自体は複数を所持していて、通勤かばんにも1つ放り込んであった。これが半ば仕事用サコッシュになってしまっている。たまに同僚にも貸していて、今日はとうとう、備品として1つ購入することになった。

さらにポケットの多いトートバッグ*1も仕事中の移動かばんとして活用している。家では活用の機会が少なかったので、職場の備品になってしまってもかまわない。これにはガムテープや会議資料などを放り込む。

どちらも使い終わったら空にする。収納用品としては使わない。
あくまで一時的な運搬用、と定めている。でなければ(自分1人が使うにしても)収拾がつかなくなる。

 

[モンベル] mont-bell UL MONO ポーチ S 1123777 PE (PE)

[モンベル] mont-bell UL MONO ポーチ S 1123777 PE (PE)

 

 

自分用に使っていて、それから今回、職場でも買い足したサコッシュは、モンベルの「UL mono ポーチ」という品。
手に入りやすく、機能性と値段のバランスが取れているところが良い。ロゴも目立たないし、上手い具合にコーポレートカラーのものがあったので仕事道具としてもぴったりだった。

軽くて丈夫なサコッシュは数あれど、同等品に比べて妙に安いのが良いと思う*2。数が売れているからこそ安価にできるのだと推測するが、本当のところはわからない。僕は長旅でも平気で活用しているけれど、やはり本来は“ちょっと外出”用なのだろう。肩紐の長さが調整できて、余った部分を簡単に隠せるところが気に入っている。

 

 

 

ぜんぜん関係無いけれど、いま「革のサコッシュ」を作りたい欲が高まっています。頭の中で型紙まで完成しています。

 

今週のお題「カバンの中身」

*1:たぶんガーデニング用。ニトリで買った。

*2:軽いサコッシュは、やたらと本格的で高価なウルトラライト指向のブランド品か、自転車ブランドのものばかり。

美術館には行けなかった

予定では静岡市美術館の「猫展」に行く筈だった。静岡の街中まで行き、まずは細々とした買い物を済ませる。
が、あちこちから突然の連絡が届き、あれこれ忙しくなって帰宅することに。そういう日もある。

 

https://www.instagram.com/p/Bh3e2HeBRxV/

 

それでもおやつは食べる。
お昼ごはんを食べるタイミングは逃したが、栄養はおやつでも摂れるので問題無し。
Chipakoyaのカスタードプリンはしっかりかためで美味しい。苦めのコーヒー*1に合う。

 

 

忙しさを予想して「頑張った時のご褒美」としてのドーナツも買ってある。これから外出。今日はたぶん、夜までばたばたと右往左往して過ごすだろう。

猫展の会期は5月20日まで。うん、まだ大丈夫。

http://shizubi.jp/img/img_exhibition_49th.jpg

「いつだって猫展」|静岡市美術館

 

 

お題「コーヒー」

お題「今日の出来事」

 

*1:たぶん、ほんの少し砂糖を入れたほうが美味しい。僕はコーヒーに砂糖を入れる習慣が無いので、苦いまま飲む。

映画『リズと青い鳥』と、ベトナム料理店「タンフン」のバインセオとサラダとその他美味しいもの。

世界を拡げる方法のひとつに、「自分の外に規範を求める」という手法がある。
自分の都合や意思をあえて廃したルールを決めて、それはもうルールの為のルールとして運用してみると、いつの間にか上手く行くものなのだ。どうせ他の可能性はわからない。結果論じみた御都合主義として、手軽なやり方だと思っている。

例えば僕には、こんなルールがある。*1

[書籍]
奨められた本は必ず読む。読めなくてもとりあえず買っておく。

新しい職場の社長は忙しい人で、僕も実際に合う事は滅多にないのだけれど、会えば必ず読書を奨める。仕事に関係する本ならば経費で買って全員で読むように、と伝えてくるし、そうでなくともこの人の奨める本は(今のところ)間違いが無い。さすが1年に200冊以上読む人は違う。どう間違っても心酔する相手ではないけれど、本の選択眼は信頼している。それになにより、僕が普段は読まないような本を薦めてくるのだ。

[服]
ファストファッションの服は、フード無しを選ぶ。

これは簡単に言うとユニクロ対策。安い服、どうしてあんなにフード付きばかりなのか。フード無しという制限は、出費を抑える制御弁になっている。

[映画]
気になる映画は万難を排して鑑賞する。できれば映画館で。

昨年の一時期は、映画の量に着目していた。それこそ休日に予定が無ければ興味が無い作品でも観る、くらいの方針で映画に接してみたのだ。
もちろん合わない映画も多かった。しかし“映画というジャンルそのもの”を楽しむ素地がたった数ヶ月で出来上がったのは個人的な収穫だった。ただしとても忙しい。休日が映画中心になってしまう。
今は「奨められたら、必ず観る」くらいのルールになっている。もちろん自分が観たい映画もあるから、この程度でも「趣味は映画です」と言えるくらいの量は楽しめる。
そして、誰かに勧められて行く映画というのは、面白さや感動の質が、とても新鮮なのだ。

 

 

今日はその「奨められた映画」について書く。

 



年若き友人に「リズと青い鳥」というアニメ映画を薦められたのは今月の初旬だったか。ライトノベル原作でその中のサイドストーリー的なエピソードを描く、メインの話はTVアニメと劇場版で映像化されている、そして「めっちゃ感動する」「t_kaさんもきっとめっちゃ感動する」とのこと。
とりあえず電子書籍版のライトノベル1巻を買って(便利)、夜に少しずつ読んでみた。爽やかで透明感のある青春ストーリーという趣き。なるほど推薦する友人が好みそうだ。
それから予告編を観て、公式Webサイトの「登場人物紹介」だけ読んで、映画館に赴いた。それが今日。どうやら地元では公開日だったようだ。

とても素敵な映画だった。
ややフェティッシュともいえるくらいに足とスカートで“演出”している。顔をあえて画面外に出してキャラクターが演技をするところもなんだか珍しい。
現実と絵本、2つの物語が対比する、というありきたりな構成なのに、片方がリアルで片方はあくまで作り話、そんな冷静なつくりがちょっと新鮮。

 

大切に想う、まるで半身のように寄り添い続けたい間柄であるが故に解ってしまう自分達の限界。何しろ高校生で余裕が無いので、離れるかどうかというシリアスな(大人から見ると視野が狭い)方向にしか考えられない主人公達。そんな2人が、大切に想うが故に繋いだ手を離すようになる。彼女達達の選択は、多くの人が共感できるのではないだろうか。
「物語はハッピーエンドが良いよね」と語る主人公だが、世界にはエンディングなんて訪れない。少なくとも青春まっただ中の高校生には、「物語」の先へ進まざるを得ないのだ。大人だから言える、「あ、成長したな」という瞬間。そんな事がどうでもいい時代、それが青春といえるのかもしれない。

 

だれも知らない小さな国―コロボックル物語 1  (講談社青い鳥文庫 18-1)
 

 

当たり前だが、これは高校生のオーケストラ部だからこそ、そしてあの綺麗な絵柄だからこその感動だろう。韓国の刑事映画でも似たような「葛藤の後、繋いだ手を離す」作品を観た記憶があるけれど、ここまで爽やかな感動は無かった。あれはおっさんとおっさんの話だったので。題名は忘れた。

惜しむらくは情報不足。もう少し情報を仕入れて映画館に行けば良かった。完全に僕の問題。
とはいえ、本編の主人公格の何人かは登場するものの、知らなくとも映画は楽しめると思う。キャラクターの立ち位置ははっきりしていて、例えば部長と副部長(?)は「過去に何かあったものの、今は大切な仲間」みたいな間柄、みたいな感じですんなり伝わってくる。この辺りはアニメ映画ならではのわかりやすさだと思う。

細かい仕草や描写に凝っていて、まるで小説を読んでいるような映画だった。うん、良かった。おすすめです。めっちゃ感動する、以上の余韻があります。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/Bh0d90RhU2s/

 

 

さてそんな映画の後は、静岡市清水区ベトナム料理店「タンフン」でお昼を食べてきた。
清水区に行く時は、チャンスがあったらタンフンに寄りたい、それくらいにお気に入りのお店。

今日は「バインセオ」のランチセットを注文した。
それから単品で「鶏肉のサラダ」も。キュウリのサラダが抜群に美味しいのだけれど、量がしっかりあるため1人のときは鶏肉のサラダ。安いし。

バインセオのセットには、生春巻きが1本(大きい)とチェーが付いてくる。バインセオ自体でお腹いっぱいになるから、鶏肉のサラダで完全に満腹だった。
バインセオ、薄いお好み焼きっぽい何か。ココナツオイルみたいな香りがする。豚肉、海老、モヤシ、鶏肉が挟まっていて、店員さんの説明通りに「切って、レタスに巻いて、浸けて、食べる」。例のスイートチリソースっぽい甘酢がとてもよく合う。

ベトナム旅行中にも食べたし、日本でも何度も食べているバインセオ。このお店のものがいちばん美味しい。ただし、どこがどう良いのか、上手く説明できない。

食後のチェーは、白花豆とカボチャとココナツとタピオカパールが入っていて、これも良い感じ。お腹に余裕があったら、セットではなくてチェーは単品でたっぷり食べたい。

 

フンタン ニョクマム 650ml

フンタン ニョクマム 650ml

 

 

 

そんな土曜日。
今から寝ます。オーケストラやバンドの映画を観た夜は、頭に劇中の音楽が流れてなかなか眠れないのは僕だけだろうか。

では、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

*1:もちろん守れないことも、守らないことも多い。平均して8割程度はルールを適用、といった感じか。

陽の光を反射せずとも夜の星は輝いている

人間の身体には運動のための反射神経(脊髄にあるやつ)とは別に、情動や発言に対する反射回路が備わっているのではないか。大人になるとなかなか出会えないが、その反射回路が常に稼働中の人間が、世界には確かに存在する。

 

昨日の日記に書いた「職場の先輩」氏がまさにそれで、仕事であれ雑談であれ、基本的に優位な位置取りをするために会話に参加する。
僕や同僚が得意分野であるために行う助言、責任を担っているがために発する言葉、そういうものに反射的に屁理屈で反論する。
何かしら劣っている、間違っているからこそかけられた言葉なのだから、そうそう簡単に有効な反論はできない。だから普通は黙って従う、あるいは質問をする、状況によっては無視などが選択されるのだけれど、先輩氏は専ら、反論にもならない滅茶苦茶な発言をする。「この契約書ですが、ここは相手側社長の押印欄です。先輩氏の印を押す場所はありません」そんな指摘に、「いいよ、必要なのは中身、情報なんだから」と言葉を返す。じゃあその契約書を持って社長を説得するかというと(いいですか社長、大切なのは情報です。捺印なんて飾りです!)、きちんと再印刷し再提出するのだからたまらない。
この先輩氏のメールにあまりに誤字脱字が多いので添削をすることになって、僕がその担当なのだが、昨日は「t_kaさんの漢字変換は正確過ぎる。温かみが足りない」と言われてしまった。ビジネススキルとしての誤字・誤変換が、特に女性との取引・打ち合わせメールには必要とのこと。そりゃあすまんかった。

仕事はそれでもなんとか進行する。不思議と止まらない。
面白いもので、半年も一緒に働いていると、日常業務との兼ね合いや、中長期的な教育的視点というものが生じてくるのだ。
結局、「言い返す」ことで(彼の中の何かが)完結し、せいぜい次のアクションは「独断専行でやらなくてもいい仕事を始める」なので、クリティカルなタスクを少しずつ取り上げることで組織と自分の防衛ができてしまう。生産的ではないけれど、まあこれくらいは仕方がないのかな、と考える今日この頃である。酒乱の親父に従う妻子も、ドメスティックバイオレンスなパートナーと別れられない人も、まあこれくらいは仕方がないのかな、と考えるらしい。僕は給料が発生するだけマシである。

 

結局、自分のことしか考えない人たち

結局、自分のことしか考えない人たち

 

 

 

この先輩氏と、今日は暗くなるまで残業した。
職場を出る時に「ああ、星が明るいですね」と僕が言ったところ、こんな言葉が返ってきた。
「そうだね。春は太陽の活動が活発だから、星の反射も強くなるよ」と先輩氏。加えて「t_kaさんは昼間あんまり空を見ていないでしょ。事務仕事だけ集中している人はどうしてもねー。空はさ、きちんと見上げなきゃ」と(彼にとっては無駄に見える)僕の仕事、つまり帳票業務や役所とのやりとりや上司への報告を揶揄する。

春に太陽活動が活発化するとは初耳で、太陽の光を他の恒星が反射していることもびっくりで、なんというか“マウントを取る”にしても滅茶苦茶なのであった。

自然科学への興味も知識もまるで無いと自他共に認め、時と場合によってはそれら興味を持つ人間(例えば僕)を酔狂だと評する人間が、いきなりそんな事を言うので、こちらとしては面食らってしまう。
「いや大気が澄んでいて…」とまでは言ったものの、なんだか無駄なやりとりな気がして会話を止めてしまった。たぶんこの太陽活動と宇宙に関する誤解を抱えたまま生きていくわけではなくて、今回の発言も脳にぽかっと浮かんだ科学的パーツ「春、太陽、星、反射」を組み合わせただけの反射的言動なのだろう。だから特にケアしない。

 

脳男 (講談社文庫)

脳男 (講談社文庫)

 

 

ここまで酷くはないだろうが、しかし「何も考えずに言葉を紡ぐ人」は珍しくない。少なくともTwitterにはそんな人が溢れているし、Instagramに至ってはそういう画像を並べる人が、きちんとそれなりの「いいね」を得ている。
いや、僕だってこの日記を書くにあたり、まず読み返しはしていないし、書きながらの推敲も無い*1。大脳をきちんと使っているとは言い難い。ほとんど自動化されている感はある。

みんな、それなりに「自分に素直に」書いているのだ、画像を載せているのだ、言葉を発しているのだ。僕だって先輩氏だって。

ただその「素直」になる「自分」が、単に自身の感情を肯定するだけなのか、または感情に加えて内なる論理や知識まで動員しているか、という違いなのだと僕は考える。
先輩氏はよく「自分に嘘をつきたくない」と言うが、その“自分”の90%くらいが感情で構成されているのではないか。
だからこそ、文章化すると怖くなるくらいに*2その言葉は支離滅裂なのだ。でも本人は気にしない。僕だって慣れて適応する。どこかおかしい。それでも世界は回っていく。

 

そりゃあ仕事の仲間としては疲れる相手ではあるけれど、全体を眺めると面白くなってしまうのが困る。
面白くて、しかし疲れる。これはもう、確実に身体に悪い。つまらなくて疲れるよりも、質が悪い。
そういう不健康な日常をこうして文章にすることに意味は無いが、超大盛りラーメンのチャレンジ報告みたいなものなので、日記としては真っ当なのだと考えたい。

 

お題「これって私だけ?」

お題「今日の出来事」

愛されすぎたぬいぐるみたち

愛されすぎたぬいぐるみたち

 

 

*1:文章単位での書き直しも、まず行わない。上から順番に書いて、書き終えたら画像を貼って、カテゴリーを設定して「公開する」ボタンを押して終わりです。

*2:ジャパニーズホラー映画や漫画で描かれる日常の崩壊は、たいていこういう奇妙な言動が前兆となる。「今思えば、あの時に既に始まっていたのだ。先輩氏が星の光について奇妙な話をした、あの時から…」

バーベキューパーティーで例えると

大学を卒業してからすぐに働き始めて今に至る。何度か転職もしている。どの職場でも、リーダーになっても下っ端でも、どちらかと言えば補助的な仕事に力を入れるタイプだった。
スキルも“ニッチ”を探して適応するために必要なものが多かったし、それで職場を上手く回すことが自身の立ち位置だと自認していた。


具体的な仕事内容は話せないので*1、バーベキューパーティーに例える。

人により持ち寄るものは違う。パーティーでの仕事も違う。
持参する品としては、肉が多いだろう。いつも適切な質と量の肉をきちんとした処理をして持ってきてくれる人もいる。あえてソーセージなどを用意する人もいるし、焼きおにぎりなんかも嬉しい。
てきぱきとグリルの前で焼き続ける人も、のんびりとビールを飲みつつ子供達に目を配る人もいる。隅でつまみを作って自分だけで楽しむ人だっているだろう。

僕はサラダまたは食後の甘いもの(ゼリー等、さっぱりしたものが良いだろう)を用意する人間だった。
それもきちんと手作りで、それなりに喜ばれるものを頑張って作る。そして実際、喜ばれてきた。

 

今の勤め先(昨年末に働き始めた)は、何しろ少人数で、しかも職場の立ち上げ状態から仕事が始まっている。
僕は総務部的な立ち位置なのだが、いきおい「肉を持ってくる人」にもなるし、中心で焼く係にもなるし、それらを進めながらセロリのマリネを周囲に奨め、杏仁豆腐入りのフルーツポンチを仕込む、そんな状況になっている。
最初に書いた“ニッチに根を張るためのスキル”の寄せ集めで何とか凌いでいる状態だ。世の中には簿記とIllustratorExcelと金属加工とプレスリリース文作成と新人教育と安全衛生責任者をひととおりこなせる人間は珍しいのかもしれない。人間、何が必要になるかわからない。

それじゃあ胃に穴が開くようなハードな仕事か、と問われるとそこまで大変ではないところは不思議かもしれない。「ひたすらサポート役に徹していた」時代よりも間違いなく混乱はしているけれど、仕事の量、身体的な負担は大したことがないからだ。疲労困憊で帰路に寄り道するも消耗してばかり、みたいな残業後の過ごし方は1回も無い。

まだその新しい立ち位置(万能寄りの総務・経理)に最適化されていないために、仕事の総量が過大にならないだけなのだとは思う。それにしても想像以上に“なんとか上手くやっている”と自己評価している。

 

どうしてこんな事を書いたのか。
職場の先輩氏が、上記バーベキューパーティーで例えると「ごめん遅刻した!31アイスクリームでアイスケーキを買ってきたよ!溶けちゃうからまず食べようぜ!」くらいの頓珍漢な人なので。ちょっと常軌を逸している、でも社会人という人なのだ。
しかし彼のことを書き始めると止まらないし、書いても誰も幸せにならないので、止めておく。周囲からは「先輩氏の唯一の功績は、t_ka君を採用したことだ」と評されていて、これは素直に喜んでいいのかよくわからないのだけれど。
とりあえずは、バーベキューグリルに煙草の吸い殻は入れないで欲しい。まだ肉を焼いているので(比喩)。

お題「今日の出来事」

 

*1:職業上の秘密が多い仕事にばかり就いてきました。

たけのこ餃子

いただきもののタケノコが冷蔵庫にたくさん入っている。
田舎によくある「季節のお裾分けが集中した結果」である。家庭菜園や趣味で山遊びをする人達が身近にいると、本当に狙ったようなタイミングで同じ野菜が届く。有難いことは確かだが、毎日の工夫が必要となることは忘れてはならない。

 

というわけで、職場の人達に聞いてみた。
タケノコはどうやら中華料理に使うと消費しやすい、と判明。青椒肉絲などが代表的だが、僕はピーマンが苦手だ*1

 

そのタケノコを、今日は餃子にしてみた。

タケノコは細かい賽の目に切る。
豚肉の挽肉(少量なので、細切れ肉を刻んで代用)と長ネギ、生姜と共に胡麻油で炒める。挽肉は半分くらいを別に残しておいて、この炒めたものと混ぜてしまう。全量を炒めるともちろん餡にならないし、全部が生だと火の通り具合に気を遣うことになる。というわけで豚肉の半分と、タケノコ等は先に火を通す*2
酒や水をたくさん入れる。なんとなく片栗粉も加える。胡椒と鶏ガラスープの素でしっかり味を付ける。

そして皮に包む。以前、横浜中華街で買ってきた冷凍の皮。
かなり分厚く、最初は延ばして使うものかと思ったくらいぷっくりしている。
これを12個だけ使う。ひとりぶんの餃子を作るのは、おそらく人生初だろう。

丸っこい、不格好な餃子が出来上がる。
適当に茹でる。そして引き上げる。

これを醤油と一味唐辛子とすりごまで食べる。
12個は作りすぎた。しかし他に用意したのはトマトだけであり、主食が無いからこれで十分。

1人分だったから、タケノコはそれほど減っていない。
しかし少量の豚肉と合わせたことで十分な満足感があったので、これは成功と言えるのではないか。
途中から「豚肉とタケノコの中華風スープにすればよかった」と思えてくるくらいに面倒だったが(平日に作る料理ではない)それでもまあ、少し時間をかけて遅めに食べる夕食も、たまには良いものです。

 

海うそ (岩波現代文庫)

海うそ (岩波現代文庫)

 

 

ところで沢山貰ったからといって、こういう「消費するための工夫」は発想としてどこか失礼だ。
でも本当に、ある程度の量があると、食べ尽くすために献立を考えるようになってしまう。失礼だが仕方がない。
そして、昔の人の保存技術、保存食の技に思いを馳せることになる。自然の産物というのは、そう簡単に生産調整が効かないものなのだ。

 

 

全然関係無いけれど、職場の先輩氏が「タケノコは多肉植物」と言っていた。この人は教養が足りないなあ、と常々思っていたのだが、常識も足りない。

お題「今日の出来事」

 

*1:出されれば食べるが自分では買わないし料理に使わない。SUBWAYでは抜いてもらう。

*2:もちろんタケノコは下茹でしてある。でも、炒めたほうが美味しい気がする。根拠は無い。

寒くて雨でオイル塩鯖

寒い

気温がぐっと下がった。雨も降っている。
昨日から薄手のパジャマやシャツに替えたのに、これでは過ごしづらい。仕事中は多少の寒さは平気だが、部屋ではやはりリラックスしたい。というわけでエアコンを使う。

 

 

映画

  1. 気になる映画がそろそろ公開
  2. いつも行く映画館のサイトをチェック
  3. どうやら上映予定無し
  4. あまり行かない映画館のサイトをチェック
  5. 上映予定無し
  6. 映画のサイトをチェック
  7. いきなり予告編動画
  8. 動画のウインドウを消す「×」がなかなか見つからない
  9. 「Theater」ボタンをクリック
  10. 上映館情報は…「中部」ボタンをクリック
  11. 中部地方では「愛知」のみの上映
  12. 絶望
  13. 文化的なものの7割は神奈川県の次は愛知県に届く
  14. つまり文化は「こだま」には乗らない

 

オイル漬けの鯖

一昨日、刺身用の鯖を手に入れた。
食べきれない分は塩を多めに振り、水気を拭ってからオリーブオイルに浸けて冷蔵庫で保管。今日それを食べてみた。
新玉葱と新ジャガイモをそれぞれ細く切り、軽く炒める。グラタン皿に移す。パン粉とオイル漬け鯖を載せて牛乳を注ぎ、IHレンジの魚焼きグリルへ突っ込む。そして焼く。火が通ったら粉チーズと胡椒をかけてさらに焼く。
変な名前で有名な「ヤンソンさんの誘惑」の亜流が完成した。
作ってから気付いたが、本来はアンチョビを使うところをオイル漬け鯖にしたのは完全に勘違いである。オイルサーディンを使う料理ならば、オイル漬け鯖が代用になっただろう。
とはいえ美味しいグラタン風の何かになったのだから、成功だと断言してしまおう。次はアンチョビを使うつもりだが。

 

 

 

 

トマトコーポレーション アンチョビ(ペルー産) 35g

トマトコーポレーション アンチョビ(ペルー産) 35g

 

 

雨上がりの水面

夜に雨が降って昼間は快晴。
確か土日もそんな感じだった。

そのせいか、公園の広場が完全に水没している。
遊具や砂場の辺りは大丈夫なのだが、ボール遊びやかけっこをする原っぱが使えない。 ベンチだって半分くらいは水の上だ。

風景としては印象的だが、平日の昼間に訪れるユーザー(小さい人達)としては不満そう。走り回る場所が「入っては駄目」と禁止されるのだから。

 

そんな状況で、阿呆な男子中学生が自転車で侵入を試みたのでたまらない。彼らはやべーすげーと騒ぎながら、そして靴と靴下とズボンを濡らしながらばしゃばしゃと楽しそうに通過していく。
侵攻可能とわかったちびっ子達がじゃばじゃばとその水たまりに入っていく。とても嬉しそうな子もいるし、水際で最初の一歩を踏み出せない子もいる。

付き添いの大人達にとっては悪夢かもしれない。
ただしこの公園、元から小さなせせらぎが設定されていて、足を洗う水道やベンチ兼用の(じゃりじゃりしない)足置きが整えられている。水遊び前提のそのような設備があるから、まだましだったのかもしれない。

そういう公園の風景を眺めていた。
打ち合わせで外に出て、いつもは行かない方面をてくてく歩いていて出会った公園。
平和だった。他には今日は特に書くべきこともない。

 

 

カンガルー日和 (講談社文庫)

カンガルー日和 (講談社文庫)

 

 

裏庭 (新潮文庫)

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