トマトおでん

静岡県では何回か遭遇したが、県外では見かけたことが無い食べ物のひとつ、トマトのおでん。かなり創作色の強い店とか、あるいは古くからある店の名物メニューという印象。あまり家で作るイメージが無いが、今日は作ってみた。

理由は簡単、外で買ったおでんがあったので。それにトマトが冷蔵庫にあった。

おでん、自分で作るのも簡単だが、スーパーマーケットでもコンビニでも、出来合いのものが売られている。少量ならばそちらのほうが安い。たまに妙に買いたくなる。食べたいというより買いたい気分。
たいてい、野菜が足りないが、足せばいい。

今日の特売品は、妙に具材が少なかった。おでん袋詰め工程で何かしらのトラブルがあり、出荷合否すれすれの品質で1ロット製造した、という雰囲気がある。だからこその安値、納得の価格。ストーリーの感じられる品ともいえる。

でもちょっと寂しい。
メークインを細く切って、電子レンジで火を通してから追加。餅は油揚げに入れて。焼津名産の黒はんぺんも使う。
そして、トマトを丸ごと1個、これは中心が温まれば良い。皮に薄く十字の切れ目を入れておいて、ある程度火が通った時点で(湯むき状態)丁寧に剥く。再び鍋に戻し、沸騰しないようゆっくり温めれば完成。崩れると汁にトマトの酸味が移るため、心配ならば別にとった小鍋で加熱すればいい。

これは好みだが、やはり他の品とは別の器に盛りたい。様々な味が渾然一体となりトマトが全体を…という料理ではないので。
黒胡椒をがりがりと挽いて完成。

味はまあ、普通に美味しい。特別な冬のファンタジーが生じる訳でもなく、かといって口に詰め込んで胃に送り込むような味でもない。
しいて言えば、薄いコンソメスープで同じように料理して、バジルでも散らしたほうが美味しいとは思うが、それはまた別の日の料理。今日はおでんを食べたかったのだ。

 

冬のファンタジー

冬のファンタジー

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  • ¥250

 

おでんにトマトが入るだけで、「90年代後半の、ややサブカル趣味なレディコミ」っぽさが醸し出される。そう感じているのは僕だけでないと信じたい。「やまだないと」とか「魚喃キリコ」とか、あんな感じ。あの時代、中央線沿線に住むお洒落かつ低血圧気味な同棲カップルは、みんなベランダで煙草を吸っていた。少なくとも漫画ではそう描かれている。実際はよくわからない。
とにかく、わざわざ少しアンバランスな事をするのは、僕は「あの時代の空気」だと思っている。自分の宿痾でもある。

 

 

ハルチン

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南瓜とマヨネーズ (FEEL COMICS)

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さよならガールフレンド (フィールコミックス FCswing)

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岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ

岡崎京子 戦場のガールズ・ライフ

 

 

暖かな月の夜にセンサーライトを試す

車庫の周囲が暗い。冬だけ不便で、しかも少し不便なだけで、これだけのために配線やライトの設置をする気にはならない。もちろん、業者さんに頼んだりもしないまま、ずっと放置していた。
新しい車は、車内灯の挙動がちょっと(以前のトヨタ車とは)違って、わりと積極的に消灯したがる。だから、車を降りて、自動的にドアロックがかかって、そこで何かしようとすると、もう暗い。何ヶ月経っても慣れない。

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そういえばホームセンターで安価なセンサーライトがあったなあ、とAmazonを検索。評判の良い、この商品を買ってみた。

太陽電池で充電して、夜には人感センサーで一定時間点灯するLEDライト。なるほど配線不要、電池交換もいらないし、LEDならば球切れも無いだろう。防水性もある。
これくらいの価格ならば失敗しても大丈夫。

 

とはいえ、我が家の車庫は、片持ち梁のアルミ製屋根があるだけのもの。取り付けられる良い場所が無い。
隣が別棟というか離れなので、そこの外壁に付けることにした。
穴は開けたくないから、強力な磁石を4つ、グルーガンで裏面に接着する。離れのトタン部分に貼り付けて、作業完了。磁石だから、場所の移動も簡単。

 

どんなものかな、と数日間試している。
いくつかモードがあって、おそらくは最もスタンダードな「暗い時に動きを検知したら、数十秒間だけ強く点灯」にしてみた。

とても明るい。小さなLEDで光が強いから、目には眩しい。
雨の日でも、きちんと夜に点くくらいには充電できている。
点灯時間は短いが、動いていれば光り続けるので問題無し。車を停めた後の灯りというよりも、セキュリティ・ランプとして活躍しそうだ。

家族も喜んでくれた。
そして、同じく「たまに不便」な場所、ベランダにも設置することが決定した。こちらは付属のネジで取り付けられるだろう。

これくらい明るいと、例えば納屋の主光源にも使えそう。いつもは外に付けておいて、夜に使う時だけ持ち込む、とか。

 

なかなか良い買い物だったと思う。
箱も簡素で好感が持てる。Amazonの箱は、やたらと大きかったけれど(びっくりした)。

 

 

しょうがこうちゃ

午後、仕事中に頭痛と吐き気が。「これは風邪が再発したのではないか?」と焦り、こっそり体温を測ってみたり、とりあえず葛根湯を飲んでみたりする。なにしろ研究所という場所は(もちろん研究内容によって大きく違うのだが)測る機械には事欠かない。別に体温計でなくとも、体温は計測できる。今日はサーモグラフィーカメラを活用した。

夕方には体調不良がピークに達する。
ところで風邪で再発って言うのだろうか、などと考える余裕は無い。わりと焦っていた。
コンビニエンスストアに寄る用事があったため、身体に良さそうなものを買いこむ。1日分の野菜が摂れる野菜ジュース(しかも+150g相当が追加!)や、自身をいたわるための「たっぷり大満足みかんゼリー」など。

そして帰宅。温かい夕食を摂取し、再び葛根湯を飲んだ。
お湯を沸かして、カフェインレス・アールグレイを淹れる。ここにおろし生姜をどさっと投入。いつものチャイ用スパイスも大量投入する。葛根湯に負けず劣らずの生薬臭い飲み物が完成した。

いま、それをちびりちびりと飲んでいる。
残念と言っていいのだろうか、このお茶を作っている時点で、体調は回復しつつあった。今は「元気いっぱい」とは言えないまでも、身体の調子を気にする状況は脱したように思える。
でも、お茶は残っている。飲まねば。

 

そういえば、風邪をひいたらお風呂に入らない、という家が多いと聞いた。
我が家では子供の頃から、そういう習慣(?)は無かった。寝込んでいても、シャワーくらいは浴びる。咳が酷いとか、個別の状況に応じての“風呂免除”はあったと思うのだが。それなりに苦しい思いをして、お風呂で身体を洗った記憶ならばある。
職場で風邪の話になって、そんな話をした。

 

 

 

10月10日(月)豊島(後編) #瀬戸内国際芸術祭

そろそろ書いておかないと忘れてしまう。
旅の思い出。

 

10月10日は旅の最終日。つまり、帰る時刻を気にする必要があった。翌日から普通に出勤するから、あまり無理はできない。

でも予想していたよりも、自由自在に島を巡ることができた。電動自転車がそれを可能にした。

例えば昼食の確保と、それに伴う時間的制約。
豊島といえば「島キッチン」だが、ここの混み具合はすごかった。豊島美術館のあとに、開店直後に訪れたのだが、列に並んで得たのは「1時間30分後の予約」。
こういう時こそ自転車の機動力が発揮される。

 

 

 

いちおう時刻の20分前にアラームをセットし、まずは島キッチンの周辺を巡る。それから、やや離れた「唐櫃浜」の集落に向かう。途中で再び豊島美術館へ立ち寄り、お茶を飲みつつ休憩。
唐櫃浜へ行く途中で寄り道をしつつ、島のスケール感を明確にする。地図だけでは掴めない時間と距離がわかれば、安心して展示を楽しめる。他の島ならばともかく、豊島は山道が続くため、電動自転車でなければできなかったと思う。

唐櫃浜では軽く食事をとる。
といっても、きちんとしたお店は無く、お年寄りがリヤカーに乗せて売りにきた「たこ飯」の最後の1個を、知らない旅行者達と半分ずつ買っただけ。でもとても美味しかったし、彼女達とのやりとりも楽しかった。たぶんミカン、でも皮が綺麗ではなくて酸味が強い柑橘類を1個貰う。

 

唐櫃港から少し離れたところにある「心臓音のアーカイブ」、ここは素晴らしい場所だった。ひみつ基地というか、自分だけの場所というか。真っ暗な展示室と、外の美しい浜辺。長い時間を過ごしたし、またいつか行きたいとも思った。この旅で「美しい景色」といえば、ここを思い出す。

setouchi-artfest.jp

「島キッチン」のごはんは、美味しい。ただし格別に美味で旅の醍醐味を感じる、という程のものではないと思う。あくまで家庭料理の延長というのだろうか。帰りに(お茶を飲みに)立ち寄った「海のレストラン」のほうが好みには合う。

www.chc-co.com

 

バス停はあるものの、1箇所だけ離れていて、しかも山の中、という立地だからか、他の展示に比べて静かだった「トムナフーリ」は、しかし素晴らしいアートだった。
どう見たって作り物、謳われている「スーパーカミオカンデニュートリノ検出と連動して発光する」だって意味があるとは思えないのだが、そういう理屈を超えて、あの沼地とオブジェが特別に見えてくる。こればっかりは行ってみないと、という奴である。
SFと梨木香歩が好きなら最高に“持っていかれる”ような気がする。

setouchi-artfest.jp

「豊島シーウォールハウス」もまた、印象に残った展示。
なるほど民家を改造した展示、なるほどこのスクリーンに映像が、なるほどこのドラムセットは実際に音が…と個別に見ていて、それらが連動してひとつの音楽ともいえない何かを作り上げていると気付いてからが長かった。なかなか立ち去るタイミングが掴めない。賑やかではないし、緊張もリラックスもしないのに、ただそこにいたいとだけ思える。希有な体験をした。

setouchi-artfest.jp

 

見たいところは概ね見たし、まずは船の切符を確保して、あとはのんびり港の周りを散策しよう、などと考え家浦の港に寄ってみたところ、既に切符売り場への行列ができていた。まだ販売時刻でもないのに。急いで自転車を返し、列に並ぶ。数十分並んだあとに、ようやく切符を買うことができた。後から来た人達のなかには、希望する船に乗れなかった人もいた様子。
僕も「犬島」経由の便を薦められた。犬島に寄って展示を見て、それから本州に渡る、というプラン。かなり心惹かれたけれど、時間が遅くなるため断念。

ともあれさようなら瀬戸内国際芸術祭。
最後に宇野港、そう、春に訪れた時は起点となった港に戻ってきた時は、ちょっとつつけば泣いてしまいそうだった。旅の終わりはいつも寂しいが、感慨という点では特別な旅だったと思う。

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BMvOFBwhCjs/

そして今日、いつもの「つきさむ」でおやつ(クリームタルト)とコーヒーを楽しんでいた時に、置いてあったフライヤーで「北アルプス国際芸術祭2017」の存在を知った。

shinano-omachi.jp

今はもう冷静だが、知った直後は「これは行くしかないだろう」と心がざわめいた。今までの人生で、特定のイベント、例えば野外フェスとか御開帳とか、何かひとつのテーマで旅行を続けたことが一度も無いのだけれど(しいて言えば水族館)、これからは「国際芸術祭」を軸にした旅をしそうな気がする。「瀬戸内国際芸術祭2016」が僕に残したもの、それは次の旅のテーマかもしれない。
ここ最近なんとなく続いている、「かっこいい美術館」にも行きたい気分も、同じく、春と秋の瀬戸内旅行が影響しているだろうし。

 

旅を続けるために、またしばらく勤労の日々に。
旅を続けるために、とりあえず死なないように頑張ろう。

 

 

 

映画「この世界の片隅に」と、素敵な週末。

美味しい外食と素敵な映画。それだけの土曜日。

マッサマンカレーをはじめて食べた。あまりに流行りすぎていて、かつ周囲で騒いでいた人達の言葉があまりにも「TVそのまま」で、なんだか「後でいいや」となっていたのだ。「世界で最も美味しい食べ物。美味しすぎるカレー」って。まあ無印良品でレトルト包装の品もあるし、と。

https://www.instagram.com/p/BMsdo6QBe2-/

 

https://www.instagram.com/p/BMseDx2BGb6/

 

でも、きちんと作られたものはとても美味しかった。なるほどこういう味か。
食後のかぼちゃケーキも素晴らしかった。ALLEE RESTAURANTはハズレが無い。

 



映画は「この世界の片隅に」を鑑賞。
映画のあとに拍手が起こった。ミニシアターでも、イベント上映でもないのに。
戦争でアニメということで年配の人やアニメ好きな人が目立つ客席だったけれども、彼らにだけ独占させるのは勿体ないと思う。大人ならば得るものが多いアニメーション映画だと思う。そして、アニメーションだからこその作品でもある。

以下、他のSNSに書いたレビューの引用。

 

良い映画は数多くあれど、多くの人に観てもらいたい作品となると難しい。本作は、その「万人に薦められる名作」だった。


あらすじからわかるように、第二次世界大戦を“海軍の街(呉 広島)”とその周辺で過ごした若い女性を描く。ありきたりな「戦中らしさ」よりも、庶民の身の丈の工夫や近所付き合いなど、なるほど確かにそうだったのだろうと思わせる描写が素敵だ。明るめの画面作りと優しい絵柄、細やかなユーモアもあって、戦前から戦中、そして敗戦といった、どうあっても悲惨で暗くなる世界で(繰り返すが、舞台は呉と広島だ)、それでもきちんと暮らそうとする人々の真っ当さが伝わってくる。

比較するものでもないとは思うが、「戦争+アニメ」といえば長らく定番であった「火垂るの墓」や、学校教育で出会う悲惨な空襲や原爆の記録によって恐怖から忌避感を持ってしまった人、あるいは現代との差にどうしても感情移入できない人、そして「反戦映画」の単純さに反発を持つ人達にとっても、この作品ならば何かを感じることができるだろう。
戦争もまた人の営み。こうして、新たなかたちで向き合うことができた事は、幸い以外の何物でもない。

個人的には、ぼんやりと「自分なりの楽しい人生」を送っていた主人公が、大きな理不尽に翻弄される中盤以降を、まるで我が事のように感じてしまった。自分は彼女ほどの境遇では無いのに、あの「訴える力」は人を引き込む。

多くの人に観てもらいたい、とは言うものの、「泣けた」を連呼したくない作品ではある。 作中では感情移入必至の「泣くシーン」が多々あるが、視聴者を泣かせるために(作り手により)用意された涙ではない、そんな気がする。 それでも、そんなもの用意されてなくても人は泣くし、笑ったり怒ったりする。
僕も、劇場中の多くの人も泣いていたが(たまに笑う)、それはまた別の話。



この素晴らしい映画が世に出て、本当に良かった。微力ながらクラウドファンディングに参加した経緯を差し引いても、間違い無く傑作だと思う。結末を知った今も、もう一度観てみたいと考えているくらいに。

 

というわけで、近いうちにまた観ます。
原作漫画も買うし、サントラは購入済み。

風邪は治った。
薬のせいでぼんやりしていた昨日まで、よく寝ていた筈。でも今日の夕方、2時間と少し寝た後は、まるで長い睡眠不足を解消したみたいな体調というか感覚になって、びっくりしている。とはいえ油断禁物、今日はもう寝ます。

 

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

 
「この世界の片隅に」公式アートブック

「この世界の片隅に」公式アートブック

 

 

 

微熱により、うわごと未満。

処方された薬を飲み終えても、まだ風邪が完治していない。かといって、また病院に行くほどの体調でもない。おそらくは明日の朝には元気になるだろう。

つまり、今日の仕事中は、まるで元気じゃなかった。
ゴーグルやマスクをしているから表情はわかりづらく(福島第一原子力発電所の復旧作業員に近い服装)、今日はそれがとても有難い。咳は薬で止められるが、呼吸の苦しさ、頭の重さは変わらない。

福島第一原子力発電所の事故で思い出した。
数年前は、自分の住む土地でも、福島からの瓦礫受け入れに大反対する人達がいた。隣の市では裁判にまでなった。市と産廃業者との不透明なやりとり、といった問題はあったが、まあ当時の空気からしても、ヒステリックな反応だったと思う。とにかくその瓦礫受け入れ問題、裁判で「受け入れは是」とされた際に「今後は継続して監視していく」と怒りながら語っていた“反対派”の人達が、現在に至るまで「特に問題はありません」と経過報告をしているところを見たことがない(私達の里山が奇形植物で云々、という話も聞かない)。反対運動をしている時は、スーパーの掲示板からナチュラル系カフェまであらゆるところにポスターやパンフレットがあったものだが。
そろそろ節目として、総括と、今後の方針を行ってもいいんじゃないかな、と思う。可能な限り当時の勢いで。それくらいの騒ぎかたをしていたし、言葉だって激しかった。当時のナチュラル・オーガニック界隈の賑わい(というと意地悪か?)は、やはり異常だった。

 

検証 大震災の予言・陰謀論 “震災文化人たち”の情報は正しいか

検証 大震災の予言・陰謀論 “震災文化人たち”の情報は正しいか

 

 

帰宅する途中で書店に寄った。
書店では気を張ってきびきびと動いていたが、家についてからはもう酷いもの。ひいひい言いながら食事を温め(おでんが作ってあった)、とにかく食べる。

そして残った薬を飲み、ついでにビタミン剤なども服用し、手持ちのお茶のなかで最も身体に良さそうな茶葉(エナジーマックス・ルイボスティー)を使い、濃いお茶を淹れる。これにチャイ用のスパイスをたくさん振り入れたところ、ルイボスチャイというよりも、どこかの民族の成人式に飲むスペシャルな(やや酩酊効果がある)不味い液みたいな品に仕上がった。
身体には良いのではないか。これで悪かったら困るのだが。

とにかくそんなわけで、今ようやく落ち着いてきたところ。
仕事中から帰宅時にかけて最悪だった体調も、なんとか凌げる感じになってきた。お風呂も入った。髪が乾いたら、寝ます。

 

言えないことを言ってくれる人

昨日からアメリカ大統領選挙の話題でTVもSNSも大騒ぎ。例のトランプ氏の当選の話。

TVニュースで、トランプ氏に投票した人が喋っていた。「俺達が言えないことを言ってくれる人だ。だから選んだ」。
なるほど、言いたくても言えない事が多いのだろう。気持ちはわかる。
自身に鑑みてみると、やはり収入が少ない時のほうが、我慢する状況に陥りやすい。ならばそれを大声で発してくれる人は、とても頼もしく見えるというのも理解できる。

理解はできるが、共感はしない。
言いたいことを言えない、というのはまず間違い無く辛い。不幸だ。
でもその逆、言いたいことを包み隠さず言うことが、幸福に繋がるのかというと、さすがにそんなに単純じゃないと僕は思うのだ。
SFのショートショートにありそうだ。考えたことが全て周囲にダダ漏れになる社会。あのTwitterですらアレなのだから、現実社会では本当の炎が上がるだろう。

熊耳さんも言っていた。「感情任せの仕事をしたいのならば、芸術家になれ」と。残念なことに、今のところ誰も彼もが自身の感情を芸術のかたちにして生きていけるほど、社会には余裕が無い。はやく来い、シンギュラリティ、である。

それにほら、言いたいけれど言えない、という状況は、その“言えない”の部分に付随する理由や理屈がある筈なのだ。いくら権力や財力があって、しがらみを気にしない人だからといって、そのあれこれを無視して良いわけがない。

 

メカ豆腐の復讐 (CUE COMICS)

メカ豆腐の復讐 (CUE COMICS)

 

 

なんにせよ、「本音」が尊ばれる時代となった。
いや、いつの時代でも本音は何よりも大切にするべき、自由の核であったはずだ。
でも昨今、その本音のかけがえのなさを以て、他者をぶん殴るような人が目立つ。おばあちゃんの形見の指輪をメリケンサックにするような乱暴さを感じる。そりゃ確かにダイヤモンドだけどさあ、って思ってしまう。

さてトランプ氏、僕の予想では「特定の課題には強い言葉と行動力で当り、興味の無い分野は副大統領や側近にお任せ」な政治家になると思う。
ここ何代かの東京都知事がそうであったし、他の都道府県の長にもそんな人がいる。本人達は改革、いや革命をしている気分だが、いろんなところが滞ってしまう。放言だけで半月くらい無駄しそうな予感がある。そういう人達は日本にも多いので。

 

 

 

そういえば、米ドル関連の金融商品(定期預金よりは少し利率が良い、くらいの穏当なもの)を少しだけ持っている。前の会社を辞めた時に、退職金の一部で購入した。すっかり存在を忘れるくらいの額だが、先ほど証券会社から「今すぐ手放すなんてことはしないようにね。約束だよ!」という意味の電話があった。まあ、額面以下にはならない感じなので、このまま放置する。夜だというのに大変な仕事だ。

 

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)

 

 

風邪の時のうどん(わずかにラーメン風)

相変わらず風邪でお休み。
昼間は家に誰もいなくて、必然的に自炊となる。
今日は冷凍の讃岐うどんを使って、温かい、そして少しだけラーメン的なかけうどんを作ってみた。

ネギは多め。まず多めだと思う量を切ってから、さらに少し足すくらい。ネギを主役にしたいから、自分の感覚よりも多い位が望ましい。
なぜかマイタケ。冷蔵庫にあったので。
鶏卵は皿に割り入れ、電子レンジでポーチドエッグ風に加熱しておく(爆発防止の策は各自が工夫しましょう)。
冷凍のうどんも、電子レンジで温めてしまう。

濃縮のめんつゆを規定の濃度に希釈し、野菜を投入。しばし加熱ののち、ニンニクのすり下ろしをごく少量入れる。そして胡椒をどばどば振り入れる。
このニンニクと胡椒により、うどんの汁が少しだけラーメンに近づく。不思議なのか当然なのかは、よくわからない。たぶん脂や油が入ると、もっとラーメン風になるのだろう。『孤独のグルメ(2巻)』に登場した鳥取の「素ラーメン」を連想する味。麺をアルカリ性の水溶液で茹でれば、たぶんもっとラーメンに近づく。

野菜に火が通ったら、うどんを入れて、器へ移す。卵を載せて完成。

風邪だからといって、ニンニクをたくさん使うような事はしない。せいぜいネギにを増やすくらい。
好みの問題でもあるし、なにより「作用」を食品に期待するのは、どうにも不健康な発想に思えるので。

 

ウエハースの椅子 (ハルキ文庫)

ウエハースの椅子 (ハルキ文庫)

 

 

さて、今日は寝てばかりもいられないと、来年のカレンダーを制作したり、読書を進めて過ごしている。
熱は下がり、今度は咳のフェイズへと移行。咳を止める薬は2時間しか保たないうえに、1日の使用回数が制限されている。こうなるとゲームでいうところの「使いどころを吟味するアイテム」みたいで、我が身体のことながらゲーム感覚で楽しんでいる。いや、楽しんではいないのだが、実際以上に頑張ってしまっている。

先ほど、友人が届け物(貸していた本)兼お見舞いに来てくれた。なにしろ風邪だから玄関先で話す程度だったが、とにかく有難い。
そしてお見舞いの品として、ウエハースを戴いた。土産物などではない、ごく普通のウエハースを食べるのは何年ぶりだろうか。美味しいが、むせる。細かい破片が生じて、喉を刺激するのだと思われる。先ほどから咳が止まらなくなってきた。困ったことである。

 

熱は下がった

昨日から引き続き、風邪。
結局、今日も仕事は休んでしまった。

おとなしく寝ているのにも飽きたので、例えばAmazon Primeなどで映画でも観れば少しは有意義な休暇となりそうなものだが、頭があまり働かないし、気分としてもどんなジャンルの作品を観たいのかわからない。たぶん2時間の集中ができないのではないか。

とにかく今回の風邪、というか処方された風邪薬は、頭がぼんやりする。心療内科の薬みたいな感じだ。

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

でも読書はある程度進んだ。
いくつか新書を並行して読む。
小説は「ユナイテッドステイツオブジャパン(上下)」を半分ほど。この作品は特徴のある「外国人が考えたジャパニーズネーム」な登場人物しか出てこないし、話の筋も複雑ではないから、読める。

 

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 上 (ハヤカワ文庫SF)

 
ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)

ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン 下 (ハヤカワ文庫SF)

 

 


買ったまま放置されていた海外SFの古典は、お話を理解してページをめくる、という一連の作業に時間がかかりすぎる。おまけに西洋人の名前が似通っていて、途中で諦めた。

ランボー怒りの改新 (星海社FICTIONS)

こんなぼんやりした脳でも存分に楽しめたのが、「ランボー怒りの改新」だった。
表題作は、ランボーベトナム帰還兵の、あのランボー)と、大化の改新を無理矢理にミックスしたもの。これがめっぽう面白い。きちんと「ランボー」であり、無理なく大化の改新になっている。奈良の風景でどうしてここまでランボーが合うのか。

他の短編も良かった。
じんわり余韻のある、でもオモシロいストーリーは、帯にあるように森見登美彦氏の作風に近い。森見氏といえば京都だが、この作家は奈良について徹底している。
そういえば最近、奈良に行っていない。急に行きたくなってきた。

 

ランボー怒りの改新 (星海社FICTIONS)

ランボー怒りの改新 (星海社FICTIONS)

 

 

困った、といえば特定の匂いがわからない状態になっている。先ほど、ベルギーのシナモン・クッキーを1枚囓ったのだが、これが全くシナモン臭が感じられない。ただの甘みの強い焼き菓子なわけで、美味しいものではない。「砂糖多めだな」としか言えない味になってしまっている。

 

ポピーズ キャラメルクッキー (個包装) 150g

ポピーズ キャラメルクッキー (個包装) 150g

 

 

 

困っていても仕方がないから、とにかく寝てしまう。
幸い、熱は下がった。身体がだるいのは、半分は薬の副作用だろう。きっと明日は大丈夫。駄目なら、また寝ます。

 

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