映画『リトル・ボーイ』

先週の旅について思い出しながら、それを書く時間が無い。いま、寝る前の時間に「先週の今頃は…」と思い出している。不思議なことなどひとつもないのに不思議な感じがする。不思議だ。

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さて今日は、街に出かけて遊んできた。いわゆる「静岡の街」と呼ばれる区域を自転車と車と徒歩で巡るかたちとなる。天気は最高だったが、想像していたよりも人が少ない。理由は不明。

久しぶり、といっても2週間ぶり程度か、映画を観た。
場所はサールナートホールのシネギャラリー、作品は『リトル・ボーイ』。一風変わった戦争映画。銃後の子供の目から見た太平洋戦争を、懐かしいタッチで描いている。

以下、他サイトに載せた感想をコピー&ペーストする。

まるで30年前の映画を新品のフィルムで観ているような不思議な雰囲気。シーンの切り替えや音楽の使い方なども、悪い言い方をすれば「ダサい」。でも本作の場合、おそらくそれは狙ったものなのだろう。映画らしく作られたからこそ伝わるものがある。

リトル・ボーイでアメリカといえば、日本人なら知っているあの広島の原爆。太平洋戦争下の、ある幼い男の子(ペッパーくん。体が小さいので渾名がリトルボーイ)が主人公。
純粋さ、信じる尊さが単純な美徳とされるぎりぎりの年齢である彼もまた、戦争という空気に飲まれていく。いや、その幼さ故に、戦地から帰らぬ父のために、正しい世界のために、奇跡を願う。

いくつかの偶然が、彼の願いを奇跡に見せる。ここまでは本当に、暖かく古典的なヒューマン・ストーリーとして描かれている。いや、最後までそのように楽しむことができたかもしれない。日系人の差別問題も織り交ぜているからただ楽しむのは難しいにしろ、「信じる大切さと少年の純粋さが良かった。感動。戦争は酷いね」と感じてこの映画の感想とする人もいるだろう。
ただしやはり現代の作品。そこまで無邪気な“感動”では済ませてくれない、いわば「冷や水」をいくつか用意している。最も大きなものは、表題の「リトル・ボーイ」。それに、少年に勇気を与えてきた多くの(無邪気でチープな)物語もまた、ラストシーンから振り返ると違って見えてくる。
成長した「リトル・ボーイ」少年の語り、という形式で描かれていることに注目するとわかりやすいかもしれない。

祈りが通じなくとも、奇跡などなくとも、希望することは尊いし、人知の及ばぬからこそ世界は輝く。
信仰や道徳に依らず、困難のなかでそれを知ることは、ひとつの成長といえるのではないだろうか。
日本人という立場も含めて、観て損はない作品だと思う。


ほとんど関係無いが、映画館にあったこの作品の小冊子を読んだら、「著名人からの絶賛の声」のひとつに結末が書かれていた。ちょっと損した気分。

 

 

ここでは「ちょっと損した気分」と書いたが、本当はもう、軽度の呪いをかけたい気分だ。ダイアモンド☆ユカイ、許すまじ。結末を書かずとも賞賛はできそうなものだが。その代わり、自分語りができなくなるような文章ではあったが。

 

 

 

狭くても、料理が楽しい 台所のつくり方

まるで関係無いけれど、沼津の雑貨屋さんが出した本、なかなか面白いです。台所のコクピット感は良いものだ。

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