歓迎会っぽい何かと、認識の環についての考察。

今日は仕事の後に歓迎会。他部署からの転入者2名が主賓。それ以外にも仕事の進捗に関する祝いというか慰労会という意味合いもあったため、会社の金で飲食ができた。僕としては、金銭のことよりも、「安い居酒屋で飲み放題付きプラン」ではなかった点が有り難い。
さらに、主賓達が酒を苦手としていたので、どちらかといえば「食事会」に近かった。宴会好きな人達には不評だったようだけれど、僕は食事会のほうが好き。「居酒屋で宴会プラン」の予算があれば、そこそこ良いもの(日常では食べないご馳走)が楽しめる。

歓迎会の後は、どういうわけか職場の女性達とお茶を飲みに言った。コーヒーや紅茶を飲み、ケーキを食べ、色々な話をする。かなり「女子会」の要素が強い会合となった。
さきほど、二次会の居酒屋に行った先輩社員から「モテモテだね」とメールが届いた。しかし僕は思うのだ。女子会にオブザーバーとして添えられる冴えない男は、一般には「モテる」とはいわない。
では不快な席だったかというと、特にそうは思わないし、要所要所で適切なコメントができたと思うし(ホワイトボードがあれば情報をさらに整理できたと思う。でもファミリー・レストランにはボードが無かった)、ケーキだって十分に美味しかった。話の内容はすっかり忘れてしまったけれど、たまには華やかなお茶会も良いものです。

 

で、今日のそういう賑やかな席について思い返すに、理系と文系について、乱暴かつぼんやりとした印象が残っているので、ここに記しておく。

  • 世界には「認識」という細い環がある。
  • 文系の人達は、この環の内側について、その深さや変化などを愉しむ。
  • 理系の人達は、この環の外側を愉しむ。身近な何かに例えたりはせず、認識外はそのままに愉しんでしまう。その過程で認識の環を広げられる、こともある。
  • 教養の足りない人は、環から外れた部分は「無いもの」として扱う。

この箇条書きに深い意味は無い。書いてみてわかったが、あまりにも曖昧模糊としていて、さらに何を言っているのかもわからない。でもこれが「今日の感想」。

では寝る。おやすみなさい。

 

暮しの手帖 2015年 04 月号 [雑誌]
 

 

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