地元のスーパーマーケットに「大きな金属用ヤスリを持って、棚や冷蔵ケースのアルミ部分をごりごり削る」という老人が出没するらしい。
年齢のせいもあるのか、厳重注意だけで済んでいる。もちろんニュースにもならない。
しかしこれ、店側としては大変な脅威である。ガラスを割る、あるいは商品を破損する、盗む、そんな目立つ悪行ではないのだ。気がついたら、什器に新しい傷がついている。何も知らない客からみたら、単に見苦しいだけ。落書きならば消せるし、誰かのいたずらだとわかる。
この“事件”は、「ヤスリ老人」が1人ではない、という点で、さらにややこしい事になっている。北から来る「ヤスリ老人A」と、国道を超えて西進する「ヤスリ老人B」がいて、「A」は頻繁に捕まり、店としても目を光らせていた。この冬は、ほぼ出入り禁止だったという。
そのうち、「A」のアリバイが成立する状況でのヤスリ傷が発見され、そして「B」の存在が予見され(この時点では理論上の存在)、そして今月の中頃に、実在が確認されたのだ。
ヤスリがけ、楽しいのはわかる。あれは妙な魅力がある。
僕も仕事中に、大きくて高価な金属ヤスリを手にしたことがあって、あの、すいすい削れる“力”には酔いしれたものだ。あやうくヤスリユーザーの暗黒面に落ちるところだったが、新たな道具(ボール盤やディスクグラインダ)に興味が移り、事なきを得た。
ヤスリに“憑かれた”人間は、ヤスリハンターに狩られるしかない、悲しい存在。
あれは人の手には余る、適切に制御せねばならない、そう考えたくもなる。貴重な部品を削りすぎて、うっかり本業の製造計画に悪影響をおよぼしたのは、今は遠い思い出。
そういう実体験がある僕は、もしかするとヤスリハンターと”ヤスリ憑き”のハーフなのかもしれない。やったぜ、週刊少年ジャンプの読み切りアクション漫画の主人公みたいだ、と思う。
いずれヤスリ老人2名(ランクA、しかし2人のコンビネーションはSS級)と、ヤスリハンター(融通の利かない組織の犬)と僕とで、三つ巴のバトルを繰り広げる羽目になるかもしれない。そういえばスーパーマーケットの店長は解説役っぽい顔をしている。
とまあ、そんな妄想を開陳していたところ、友人から「katoくん、最近はね、ぜんぶ『妖怪のせい』で説明がつくのですよ」と言われてしまった。
そういえば昔は、コレラもハンガーノックも妖怪の仕業とされていた、というよりも世の中の稀有な事、不可解な事を説明するツールとして『妖怪』が生み出されてきた、と本で読んだことがある。
水木しげるは好きだが、せっかくの21世紀に「妖怪」はちょっと遠慮したいところ。どちらかといえば、大抵のことは「DNA操作」と「ハッキング」と「ナノマシン」で説明がつくSF的な世界のほうが好きだ。では「ヤスリ老人A&B」はどうやって説明するかといえば、「人の心は計り知れない」としか言いようが無い。脳と精神はいまだフロンティアなのだ。
彼らが発端で、「静岡型ヤスリウイルス」のアウトブレイクがあったら、それはそれで面白いとは思うけれど。感染者の通った後には、金屑しか残らないのだ。ヤスリはそれくらいに恐ろしく、そして人を惹きつける。
全然関係ないが、来月に旅行をすることになった。
とりあえずガイドブックを購入した。でもこれが少し古い版で、「パワースポットでエネルギーチャージ」とか、そういう言葉が並んでいる。ものすごく古いのならばともかく、この「ほんのすこしだけ時代遅れ」なところが気になる。読んでいて辛い。
まあ、ガイドブックなんてそんなもの、と諦めてはいるが、しかし最も無難そうなものを選んだのにこれなのだから、最近のラメ入り用紙を使ったような「まっぷる」や「るるぶ」などは、もう僕には読めないのかもしれない。どうして古都や世界遺産のガイドブックが、ローティーン向けファッション誌みたいなデザインを志向するのだろう。カバーを自作しろ、ということか。
理由は不明だが、男向けの観光ガイド本は少ない。旅行記やエッセイ、あるいは「居酒屋探訪」みたいな本ばかり。1000円くらいで、大判で、写真がたくさんある、つまり男性向け「るるぶ」が欲しい。「男性版ことりっぷ」があれば、指名買いするのに。