僕は趣味っぽい自転車を持っているけれど、純粋な「サイクリング」をする習慣は無い。たまに驚かれることもあるけれど、基本的にはインドア趣味の人間なのである。
でも今日は、本当に目的も無く、ただ遠くに行くために自転車を走らせてみた。まず海へ、それから山のほうへ。サイクリングロードではなくて普通の幹線道路ではあるが、気持ちの良い時間だった。
仕事を辞めて自由な時間が増え、かつ節約も必要となる。手元には気持ち良く走れる新しい自転車がある。ならは、「サイクリング」を始めても良い気がしたのだ。
ちなみに自分のような自由気ままに走る行為は、自転車趣味人の間では「ポタリング」と呼ぶ。英米人にはかなり奇妙に聞こえる和製英語だと聞いたことがある*1。
今日のようなのんびりした自転車移動は、自分の中では「自転車散歩」と名付けているけれど、自転車は走るものなので散歩はおかしい。まあ、サイクリングと書けば間違いは無いだろう。
しかし自分でも驚くくらいに気分良く走ることができた。
運動そのものが苦手、筋肉はできるだけ甘やかしていきたい方針なので、これは本当に珍しいことである。
とはいえ人間そう簡単に変われるものではない。
帰路、そろそろ自宅側へ方角を変えよう、という辺りで買い物をしてしまうのは、仕方がないことである。実家の周辺では見かけないスーパーマーケットに入ってしまったのだ。
とても安い店だった。
ディスカウントストアとスーパーマーケットを合わせたような大型店。残念ながら現金払いのみ。
最近よくある、バーコードの読取り操作は人間、お金の投入は機械という分担型レジだった。
支払は1600円と少し。財布にある小銭を何も考えずにじゃらっと全て入れてから千円札を1枚入れて支払いを済ませた。結果的に小銭を減らすことに成功した。1円や10円が何枚か返ってきたから、自分でぴったりと計算するより多少の無駄はあったかもしれないが、それでも短時間で財布をすっきりさせられたと思う。
でも買ったものを袋に詰めている時に、隣に来たおじいさんに文句を言われてしまった。
「機械に頼るな。入れるのならお釣りが最小になるよう考えて入れろ、不愉快だ」という主張だった。
投入口へは小銭をまとめて入れることが可能で、計数にも時間はかかっていない筈だ。だから多分、僕が「楽をしたこと」が気に入らなかったのだろう。こう言っては悪いが、「老人性の言いがかり」である。
自分もいつか、ああいう老人になるのだろうか。テクノロジーによって慣れた世界が変化する、そして自分がそれに違和感を覚える。今だって既にそういう状況は起こっていて、自覚もある。これからはそれが加速するだろう。
いつか彼のように、外向けに不満を吐き出す人間になるのかもしれない。あるいは別の(精神的な)引きこもり型の対応をするのかもしれない。
願わくば、自分の対応能力不足をも引き受ける社会になって欲しいものだ。支払方法を人間が考えるなんて(あるいは悩んだり怒ったりするなんて)令和時代で終わりにして欲しい。
その安売りスーパーでは、大葉、シメジ、挽肉を買った。安いが量が多いものばかり。
大葉は先ほど塩漬けにした。シメジも湯がいて塩をした。
挽肉は明日、肉味噌にする。
交通費もかからず、運動をして、安い食材を仕入れることができた。そして食材は保存食にする。全体として経済的な余暇の時間を過ごせた、と思う。
ちなみに昼は前職で知り合った人達と会って*2、「ぶっかけうどん発祥の店」で食事をした。
「ほな、うどんでも行こか」というのは、いかにも香川県である。
安倍総理のサインや彼にちなんだメニューがあった。うどん自体はとても美味しい。総理は別にどうでもいいです。