ダークチェリーのタルトと稲光

先ほどから雷がごろごろばりばりとうるさい。
どかーん、と大きな音もする。
光と音の間隔からして、市内の山にでも落ちているのかもしれない。
苦手な人ならばたまらなく嫌な状況だろう。
僕は日常生活において、雷を怖いとは思わない。
停電は迷惑で、もちろん身体に雷が落ちたら困る。停電は工場に勤めていた時に何度もトラブルの種になった(人間には感じない程度の瞬間的な停電である“瞬停”に耐えられない設備もあるのだ)。登山やキャンプをしていると、落雷は実際に命に関わる。「万全の対策」の確信が持てないところが、雷の嫌なところだと思う。
でも家にいる時は大丈夫。しいて言えばiMacを使用中は停電に注意するくらいか。

 

キッチン・コンフィデンシャル(新装版)

キッチン・コンフィデンシャル(新装版)

 

 

 

さて今日は、1週間のご褒美に、ダークチェリーのタルトを購入した。わざわざ「ボクゥボクゥ」にまで行ってきた。
たぶん買う時には、にこにこしていたのではないか。それくらいに、ショーケースで見た時から、食べるのを楽しみにしていた。

そして先ほど、うっかりうたた寝してしまい、今になって食べることになった。冷蔵庫で休ませていたから、持ち帰りの際に柔らかくなったクリームもまとまっている。

今夜は夜更かしをする。だから大丈夫、いま食べても「寝る前に甘いものを食べる」には該当しない。該当しても大丈夫、だって頑張った週末なのだから、自分を褒めるためだから。

ちなみに写真の色合いが酷いのは、スマートフォンのカメラアプリが「書類撮影モード」になっていたから。和風の皿と相まって、編集長が変わる前の「暮しの手帖」みたいな雰囲気になってしまった。

 

暮しの手帖 4世紀94号

暮しの手帖 4世紀94号

 
暮しの手帖のクイックレシピ

暮しの手帖のクイックレシピ

 

 

 

小さなお茶菓子

転職してデスクワークが専門になってから、小さなお菓子を頻繁に食べるようになった。
味しらべ」や「源氏パイ」のような個包装のものが多い。同じフロアの別会社の人達は営業担当も多いから、県外のお土産も毎日のようにいただく。取引先の方々が来れば何かしら菓子折も渡される。

僕自身は、出張の際にそれなりのこだわりというか自分の好みを考えて、職場の人達にお土産菓子を買う。「その土地の伝統的なもの」「美味しいもの」そして「静岡では手に入りづらいもの」を選びたい。いきおい、東京駅にたくさんある「ただの日持ちするチーズケーキ」や「香りをつけたマドレーヌ風焼き菓子」は選べなくなる。その土地限定とはいえ「ご当地ポッキー」や「ゆるキャラとタイアップしたメジャーなお菓子」も買うことは無い。
しかしそういうお菓子こそ、出張の土産と考える人もいる。
自分はまず買わない*1タイプのお菓子に最近はよく遭遇するようになった。

ともかくそういう小さなお菓子が、いつの間にか机に置いてある。
以前、働いていた研究施設では、お菓子は「休憩室」か自分のロッカー以外では、まず見かけなかった。職員室的な部屋があって、そこには自分の机とパソコンがあったのだけれど、基本的には飲食禁止。危険な薬品なども多いから、決められた場所以外で食べ物が置いてある状況そのものがタブーに近かった。
工場に勤めていた時も似たようなもの。クリーンルーム作業も多いから、食と仕事は厳密に分けられていた。

こりゃあ太るなあ、と思いながらいただいたお菓子の3割くらいは食べてしまう。でも食べずに引き出し(机に付属のキャビネット、上から二段目が私物とお菓子の保管庫になっている)に入れたままの品も多い。忙しくて、お菓子どころかお茶も飲めない日々が続いているのだ。
そういう食べなかったお菓子も、週末には持ち帰る。で、結局いつの間にか食べてしまう。

結果として、健康診断では酷い値が出てしまった。
再検査が求められる。
とりあえずは節制して、数ヶ月後に再検査に臨むつもり。
それから、朝食には米飯ではなくてキャベツを食べる。以前試して、ずいぶん効果があったので。
今回は千切りの手間を省くためフードプロセッサーで粗みじんに切る。餃子に使えそうな見た目で美味しそうではないのだけれど、スプーンでもりもり食べることができるから便利ではある。

 

小さなお茶菓子を控えれば良いのかもしれない。
持ち帰って、貯めて、例えば親戚の子供が来た時に分け与えてしまおうか。なんだかとても年寄りじみた行動に思えてならないが、身体を整えないと週末にケーキが食べられなくなる。それは困る。死んでもいいがケーキとコーヒーは欠かせない。たまにはパフェも食べたい。

 

 こういう一点突破型のレシピ本は好きだ。何割かは「まず作らないだろう」ってレシピだとしても、読めば何かしら楽しめる。

 

 前に購入したこの本は、これからの季節に(さらに)活躍しそう。

Cool Veg 農家が提案する これからの野菜レシピ

Cool Veg 農家が提案する これからの野菜レシピ

 

 

*1:親しい、趣味の合う友人もまず買わない。サービスエリアの“つまらない配り菓子”を嫌う人間に囲まれて生きています。

ひとりで梅を煮る夜と、語彙が壊滅的な先輩との仕事と。

晩ご飯のあとに青梅を煮てみた。

砂糖少なめ、フランス土産の黒っぽい酢が隠し味。
こういうものを少しでいいから作っておくと、数日間は幸せになれる。そのまま食べるというわけでなくて、いつものヨーグルトに合わせる程度の小さな応用で自分を褒めたくなるから。
コンビニで買っておいたみかんゼリーに添えるのも良い。この場合は梅を先に食べると美味しい。順番が逆だと酸っぱすぎる。

ちなみに写真は無い。

 

 

今日は雨が延々と降り続いた。
仕事は順調、ただちょっと気になることがあった。


職場の先輩氏は漢字が壊滅的に読めない人だ。
今日は梅雨を「ばいう」と読む人を馬鹿にしていた。というか、笑いながら僕に報告してきた。
「いやそれは君が知らないだけです」と、思わず何のひねりもなく答えてしまった。

ここまで教養に欠けると、日常のちょっとした想像力不足が顕著となる。平たく言うと、同僚として仕事に支障が出る。
しかし性格だろうか、あまりにものを知らない人というのは、自信の知識不足を不安には感じないものなのだ。

これはもう偏見だとわかったうえで書いてしまうが、ある集団で“年下の大人”がいる年齢になってもまだ「だって、○○なんだもん」と言い訳(本人は説明だと思っている)をする人は、まず間違い無く語彙が乏しい。人生経験に裏打ちされた偏見で、幸いなことに遭遇率はとても低いのだけれど、しかし(不幸なことに)適合率はほぼ100%だ。

世の中には様々な“たまらない人”がいる。乱暴、わがまま、怠惰といった特性は他の様々な要因と合わせて何らかのキャラクターとして成立する、そして状況によっては何かしらのかたちで他人から認められる。組み合わせで評価が決まる。良かれ悪しかれ
しかしこの“語彙が乏しい人・不勉強を恥じない人”は、ただそれだけで完結する“たまらない人”であって、つまり「でも気の良い奴だよ」がフォローにならない迷惑さを放つ。
語彙が乏しくて褒められるといえば身体障害者のアートだが、あれはサポートする人達の努力と、読み取る側の協力が必要不可欠だ*1

少なくとも僕達の仕事は「梅雨」の読み方とは関係が無くて、というかそんなものは雑談なのだが、それでも梅雨を「うめあめ」と呼ぶ人と働いていると、なんだかとっても疲れるのでした。

「うめあめが ばいうを笑う 昼休み」

合掌

 

 

美味しい梅干し・梅酒の作り方と梅料理 (ブティックムックno.1148)
 
おうちで梅しごと

おうちで梅しごと

 

 

お題「今日の出来事」

*1:貶しているわけではない。そういう性質の芸術として成立しているということ。説明も何も無しでここまで評価を上げたわけではないし、それで何が悪いというのか?

さやいんげんサンドイッチ

久しぶりにお弁当を作った。
簡単なサンドイッチをひとりぶん。
ゆで卵とさやいんげんを適当に刻んでチーズとともに挟んだもの、そしてハムとベーコンだけのもの。
特にさやいんげんのほうはマヨネーズを使わないから、まとまりにくい。対策として、チーズを乗せて少しトーストしたパンに挟む(加熱したチーズで固定)という手法を採り入れなんとか形にした。

味はまあ、悪くない。他人に食べさせるほどではない、と思う。
胡椒を多めにしたからか、素人じみたカフェやバーで出るくらいの味にはなっていたと思う。

ジャガイモとソーセージと玉葱の炒め物が副菜。

こうしてサンドイッチのことを書くということは、それ以外には特に事件もイベントも無かったということだ。平和な平日で何より。

 

帰宅後の時間に余裕が出来たので、こまごました懸案を少しずつ進めている。最近、関東に出張することが増えたので、どうにかして「Suica」を手に入れようと考えている。JR東海の似たようなサービスでも良いのだけれど、基本的に切符購入以外は使わず、自動で“チャージ”ができて、サービスと使いやすさの評判が高いもの、として新しくSuica機能付きクレジットカードをひとつ作ることにした。
郵送も何もせず手続きが終わってしまい、ちょっと拍子抜けしている。銀行手続きも判子ひとつ要らない。
便利といえば確かに便利。でもこの便利さは、何かしらの個人情報を自分の理解しない手段で共有しているからなのだと思うと、ちょっと変な感じはする。

 

 

狭くても、料理が楽しい台所のつくり方

狭くても、料理が楽しい台所のつくり方

 

 

 

 

ほとんど寝ていた

自律神経の失調、とまではいかないまでもやや不調な朝。
適当に仕事を切り上げて午後に半休をもらった。
名目上は通院。確かに病院へは行くが、本来は別に今日でなくとも良い。ただここ数日のうちに1回は行きたい、そして今日はどうにもやる気がおきない。

仕事は滞るが、他に休めるチャンスも無いし、半ばサボりとはいえこの機会に休養と通院と銀行手続きと、それから多肉植物の手入れもしておきたかった。他にもやりたいことが山積みなのだ。

お昼にはラーメンを食べた。
なんとなく食べたかった、肉多めの醤油ラーメン。美味しかった。

それから整形外科に行って肩こりと、それから傷めた手首の診断を。これはまあ、ほとんど薬が欲しくて行っただけ。初診だがすぐに終わった。

銀行と書店にも寄った。
鯛焼き屋さんにも行った。

そして帰宅して、残りの時間は夕食まで延々と寝ていた。

本当はちょっとだけ、持ち帰り仕事をしようと考えていたのに。
暇ではないのだ。アイデアを書き留める程度の作業は進めておかないと毎日の仕事に差し支える。社会人としてはこれは駄目なのだけれど、なにしろスタートアップ段階の会社だから多少のズルさは自身の弱さとして引き受けるつもりでいる。もちろん期間限定(来月まで)および対象限定(自分のみ。他者には杓子定規なくらいに労働三法と社内規定を徹底する)での出鱈目運用である。
どう考えても褒められたことではない。

 

そして今、頭がぼんやりと痛い。
夕食は、ご飯抜きでおかずだけ。でも、妙に満腹で苦しい。
いろいろと変だ。だから今日は、とっとと寝ます。多肉植物に関しては、しばらく放置する。

 

 

 

そんなぱっとしない1日だったけれど、その長い昼寝の合間に進んだ読書はとても良かった。

 

「SF飯」の2巻は、表紙はライトノベルだがきっちりSFで、大きな物語(途方も無い未来の話)と、小さな台所レベルの話が入り交じり飽きさせない。「人間より遙かに発達速度が速い機械知性・コンピューターが、あくまで人を支えるために高度に発展し、ついには“涅槃”へ旅立ってしまったその先の時代」という面白い世界。オーバーテクノロジーも多々登場するが、一般の人達はノートとペンで記録をしながら小惑星を解体したり貿易をしたり。そういう世の中で料理はどんな意味を持つのか。あるようで無い、という作品。
AmazonKindle版は後書きが無い。書店の文庫本は帯に大きく「○○氏解説!」とあったのに。ケチである。

 

それからこれも読んでいる。
「退屈をぶっとばせ!」

 

 

 

アメリカの子供・若者向け書籍の翻訳本だから、読んでいて違和感のある記述も多い。しかしいわゆる「maker's」ムーヴメントの根っこの部分、「テクノロジーに支配されるな!テクノロジーで遊べ!」を丁寧に楽しく例示している。楽しい。ひたすら楽しい。やっほう、って気分になれます。

 

 

 

 

お久しぶりです、静波の「MAHOROBA」へ。

静波海水浴場の近くにある静岡最高のエスニック料理店、「MAHOROBA」が再開した。

 

なぜ最高なのかというと、野菜が抜群に美味しいのだ。
自分達の畑で工夫しているのだろう*1ベトナムを旅した時に出会った野菜の味*2を食べられるお店は他に知らない。
外食で好んで野菜を食べない友人も、香草の類が苦手な知人も、この店の料理は喜んで食べる。ここまで“違う”うえに、色んなものが手作りで、しかもお店の素朴な雰囲気も洒落ていて、つまり格別のお店なのです。

 

その畑のこともあるのだろう、ただでさえ営業日や時間が少ないお店で、しかも今年はさらに都合でメニューも限られている。
でも週末の朝から昼のみのオープンといえども、お客さんは遠くからでも訪れる。
もちろん僕もバイパスと国道を走り朝ごはんを食べに訪れる。
みんな、ファンなのだ。

 

 

 

今日はまだ混雑する前にお店に到着した。
メニューはバインミーハッシュドポテトと飲み物のみ。
定番のハムとパテのバインミーを食べた。

バインミー、あちこちで食べて、たいてい美味しい。
普通は「渾然一体の美味しさ」なのだが、この店のそれは、野菜とパテとハムとパン、それぞれが混ざってはいるがきちんと味わえるつくりになっていた。
予想以上の味だった。
ハッシュドポテトも手作り。畑で収穫したじゃがいもを使ったとのこと。あんなもの、と言ってはあれだが、油と芋と塩の味で大して期待はしていなかったのだけれど、真面目に作るとハッシュドポテトもしみじみ美味しい。これだけ持ち帰りたいくらいだ。ハッシュドポテトでここまで“味わい”を楽しむなんて予想外に過ぎる。

 

食後は、せっかくなので海沿いを散策。のんびり自転車で走る。
今日は妙にごつい半裸の人達が多い。サーファーにはまるで見えない。腕に数字が書いてある。
なんだろうと思って海水浴場の辺りまで行ったら、ライフセーバーの大会が開催中だった。
競技は見物できなかった。でも活気があって悪くない。
もうすぐ夏が来る。

 

 

 

 

Cool Veg 農家が提案する これからの野菜レシピ

Cool Veg 農家が提案する これからの野菜レシピ

 

 

バインミー ―ベトナムのおいしいサンドイッチ―

バインミー ―ベトナムのおいしいサンドイッチ―

 
スプレッドが決め手のサンドイッチ

スプレッドが決め手のサンドイッチ

 

 

お題「ひとりの時間の過ごし方」

 

 

 

 

*1:そう、このお店のご夫婦は畑を持っているのだ。たまに農産物直売所で売っていると聞く。

*2:さっぱりして嫌な野菜っぽさが無くて、でも青臭さや香りは楽しめる。あれがなぜ日本で作れないのか?

さようなら「つきさむ」ありがとう「つきさむ」。

https://www.instagram.com/p/BjgqmwGhL7d/

久しぶりに訪れた「喫茶 つきさむ」が閉店していた。

今年中に店を閉めることは聞いていた。
噂では長野県に移るらしい。山が好きな店主で、きっと長野の暮らしも合うだろう。例えば、先日訪れた松本市、あそこは街のあちこちが「つきさむ」的だと思う。

しかし知ってはいたが*1、つまり覚悟はしていたが、最後にもう一度だけ、あのお店で食事あるいはコーヒーの時間を過ごしたかった。普段は会話のひとつもしなかったけれど、最後とわかっていたら、お礼を伝えたかった。
この数週間は多忙で、なかなか行けないまま心のどこかで気になっていたから、なおさら残念。

tsukisamu6.exblog.jp

 

大好きなお店、というのは片想いに似ている。
当たり前だが、全てが一方的なのだ。お礼が言いたい、なんて身勝手の限り。最近あまり行けなかったこともまたこちらの都合。
大好きならばお店に行き、楽しむ。それ以外に無い。
距離感が難しい。


今日は映画「GODZILLA 決戦機動増殖都市」を観たのだけれど、どう考えても気分に合っていなかった*2

 

 

というわけで、一方的にお礼を言いたい。
言えなかった言葉、伝えられなかった感謝なんて今まで生きていていくらでもあるけれど、今日またそういう行き場のない何かがひとつ増えてしまった。

 

満月から3番目の夜

満月から3番目の夜

 

 

でも、それでも、だからこそ「つきさむ」の思い出は掛け値無しで僕の糧になっている。
もはや何年間通ったのかもわからない。
何杯のコーヒーを飲んだのか。
参考にした料理や真似をしたい空気感、そういう影響だって、明確に説明なんてできやしない。

そもそも店主さんと長い話をしたこともなく、あの店で仲間が出来たり、人生のイベントがあったわけでもない。ただ美味しいごはんを食べて、あるいは趣味の良いスイーツとコーヒーを楽しみ、多くの場合はひとりで読書をしていた。
せいぜい、同じ静岡県中部で知り合いができた時に「あの北街道沿いにある『つきさむ』は素晴らしい」とお互いの“お気に入り”だったことを盛り上がるくらい。それじゃあみんなで行きましょうか、とは誰も言わない。それぞれが親しい人と、またはひとりで楽しむ、そんなお店だった。
つまり、ひっそりと個人的に大切なお店。

唯一無二のお店が無くなり、今は静かにその不在を噛みしめている。
あの店の思い出は確実に僕の人生の血肉になっている。不在感をそのまま受け入れて、誰にも届かない感謝を伝えたい。
僕はもう若者ではない。だから、どうにもならない感傷を抱えることも、その不在感や後悔もまた宝物であることも、よくわかる。それでもやっぱり、寂しい。

 

本当に素晴らしいお店でした。
一生忘れない。一生、尊敬する。
名前も知らない店主さんに、掛け値の無い感謝を。
ありがとうございました。美味しかったし、居心地が良かったです。

お題「思い出の味」

お題「コーヒー」

お題「もう一度行きたい場所」

お題「今日の出来事」

 

ポケットに静岡百景

ポケットに静岡百景

 
静岡百景

静岡百景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:いまブログを確認した。5月6日が最終日だった。たまたま僕の私生活が(仕事のせいで)滅茶苦茶で、なんというか巡り合わせが悪い。

*2:でも楽しみました。65点。

真珠麿

 

よくがんばった自分、ということで甘いものを食べる。
隣の職場(オフィスを間借りしているのです)からお土産にマシュマロをいただいた。日本初のマシュマロとのこと。「真珠麿」と書く。
製法は現代の量産品と同じだから、味も同じ。パッケージが復刻版なのかもしれない。

今日は昨日に引き続き回復の日だった。
ちょっとストレッチをすると、あるいはマッサージ器を使うと、それだけであちこちが気持ち良くなる。普段はそんなことまるで無いので、やはり疲労が溜まっているのだろう。

夕方からは頭が働かなくなった。
鈍い頭痛を抱えて仕事をしていた。しかも、新しいパソコンの初期設定という、なんとも面倒かつ疲労時には難しいお仕事。

なんだか面倒なことが多い日々。でもまあいいや、明日は休日。ひたすらに休もう。村上春樹の本にも書いてあった。ゆっくり歩け、そしてたっぷり水を飲め。(うろ覚え)

写真はお昼に食べたチキンカツ。カツ丼とトンカツのチェーン店の季節メニュー。チキンカツにチーズとオムレツが載っている。美味しかったが、別々に食べても良い気がした。あまり揚げ物にべしゃっとしたものを合わせたくない質なのです。

 

 

おおお回復だー

昨日までの激務で、本当に疲労が溜まっていた。しまなみ海道を自転車で走った時*1に近い疲労具合。
さすがに毎日、それなりのケアはしていた。ビタミン剤を飲み、身体に良いものを食べ、低周波治療器で肩こりを刺激する。まあ、自宅でできる疲労回復手段を総動員したわけだ。

そして今日。
朝はそれなりに辛かった。半休でも取得すればずいぶん違ったのではないだろうか。身体が言うことをきかない。
出社してからも疲れは残っている。ちょっとした移動が面倒で、椅子に座ってパソコン操作ばかりしていた。

でも午後から、少なくとも足の疲れはびっくりするくらいに癒やされていった。もちろん錯覚だが、足の裏の毛細血管が修復されていくような感覚さえある。
夕方にはいくつかの筋肉痛、ねじった部分の痛みなどを除き、ほとんど気にならなくなっていた。肉体労働をすれば何かしらの不具合はあるだろう。しかしもう大丈夫。ここまで回復するとは思わなかったため、かなり驚いている。

昨日までの残務と、引き継ぎを主に行った。
それから同僚の素行不良や連絡不足について厳しめの会議&説得。これがもう、精神的にとても疲れた。
自分で言うのも変なのだが、勤め人としての正論ならばいくらでも繰り出せる。多くの人が面倒になって「いいからやれ。ルールだから」で済ませるところを、なぜそうする必要があるのか、組織や法や業績や経理や、あらゆる側面から説明できるし、言い方だって選べる。だから人の心が動くかというとまた別の話だけれど、しかし論理を蔑ろにして仕事を進めても碌な事がない。

過酷だからブラック企業だと捉えている人がいる。道理に反する会社がブラック企業であり、多くの場合それは過酷なだけ。だからこそ注意深く、道理から外れぬよう働く必要があるのだ。

 

そんな感じで、身体は回復しつつもストレスは溜まる本日でしたが、まあそれでも1日は終わったし、お風呂も入って髪も乾いて、後は寝るだけ。疲れたから今日こそ早く寝てしまいたい。
というわけでおやすみなさい。

 

獣たちの夜―BLOOD THE LAST VAMPIRE (角川ホラー文庫)

獣たちの夜―BLOOD THE LAST VAMPIRE (角川ホラー文庫)

 

 

*1:事前に走り込みなどは行っていないし、そもそも自転車は街乗り用の小径車だ。

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