早く寝ます

昨日の夜中に、喘息っぽい発作で目が覚めた。
かなり苦しいのだが半覚醒状態で嫌な夢を見ながら延々と時間を過ごし、その後は目覚めて薬を飲むも少し辛い、という状況で、朝には立派な睡眠不足である。
病気ではないけれど、まあ、辛い1日だった。

朝までは、半日くらい仕事を休むつもりだった。
どういうわけか朝に目が覚めてしまい、じゃあこのまま頑張ろう、辛かったら午後に休暇をとろう、と考えつつ出勤。
結局、残業までしてしまった。

とにかく眠い。
今からお風呂に入って、それから髪を乾かして寝ます。もう歯も磨いたし、明日の準備も済ませた。

 

全然関係無いが、今日付で転勤する人が最後の挨拶で、「一期一会」を「いっきいっかい」と読んでいた。その時は何を言っているのかわからなかったけれど(仕事で関わらない人のスピーチなんてまともに聞くつもりもないです)、後からほぼ同じ文面のメールが職場全体に配信されて、ああやはり一期一会が読めなかったのだな、と判明したのだ。
でも、いっきいっかい、も悪い言葉ではないと考える。意味だって通じそうだ。
しかし恥ずかしい間違いであることも確かだ。わざわざ使うから…って思ってしまう。

 

めくらやなぎと眠る女

めくらやなぎと眠る女

 

 

春から消えたひと

同じ事業所に勤めていて、仕事で何回か話をした程度の人が、先週末に懲戒免職になっていた。同じ職場といっても数百人の人間が働いているし、そもそも僕は親しい人も少ないから、最初は誰のことかわからなかった。

 

まあ、変なことを言う人ではあった。
「PTAは女性向けの仕事」とか、なんだこの人は大丈夫か、と思える発言が僕の耳にも入るくらいだから、そういう方面の失敗が辞める原因だったのだと推測する。
そして、常に女性蔑視の姿勢を隠さない人ではあった。不愉快なので書かないが、今時そんな人がいるのか、くらいの人は意外と多い。

 

今日初めて知ったのだが、この人は僕と10歳程度しか年齢が違わない。もっと「価値観の凝り固まった、どうしようもないお年寄り」だとばかり思い込んでいた。髪が妙に黒々として、嫌な感じに日焼けしていたから、見た目は何歳にでも見える「おっさん」ではあった。

 

そしていきなり、セクハラ関係のアンケートとWeb講習が開始されたのであった。
くだらない手間ではあるものの、仕事を辞めるくらいに非常識な行動をした人間のほうがくだらない訳で、彼を止められなかった周囲の人間も含め、やはりこれは受けるべきペナルティなのだと思う。
そして早く、一刻も早く、こんな馬鹿かつ深刻な問題は仕事の場から追放するべきであり、ならばアンケートだろうが講習だろうがテストだろうが、何だってやるし、やるならば本気で挑むのが社会人の勤めだろう。
「忙しいのだから、休憩時間にやってもいいんだよ」と何か含みのある言葉が上司から届いたが、もちろん仕事の時間にやります。当然ですね。

 

こうして新年度の初日に“消える”と、まるで不祥事を起こした学校の先生みたいである。僕は幸いなことにそういう状況に遭遇しないで大人になったが、あれは先生も辛いが、ぼんやりと察した子供達だって辛いと思う。もちろん被害者誰にも増して辛いのだが、それはそれとして。

では寝ます。
外は雨。でもそれほど寒くない。
冬の間、部屋に入れていた多肉植物を半分だけ外に出した。たぶん枯れないだろう。

 

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

財布の中には900円。

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休日に出歩いてばかりいると、どうしても家でやる諸々のことが滞る。だから意識して、今日は“出かけない日”とした。

とはいえ、ずっと家にいるのもつまらない。
少し自転車でお出かけ。まだ雨の心配もあるから、古い町の裏通りを散策するに留める。

お昼にはラーメン屋さんで、チャーシュー麺を食べた。
これは読んでいた小説に影響されたもの。
最近、外食でラーメン専門店に行く機会がまるで無いけれど、たまに行くと確かに美味しい。ナントカ系とかほにゃらら風といった、わざわざ筆文字フォントで系譜を表すような店ではなかったところも評価できる。
藤枝市の山のほうにある「あきん亭」という店。
素人っぽいWordかExcelで作ったメニューも素晴らしい。
ラーメンは、商店街の普通のラーメン屋さんの味を全体に底上げしたような感じ。脂とか旨味をひたすら増量したような、あるいは濃さで勝負するようなものより、よほど食べやすいし美味しいと思う。

チャーシュー麺は、チャーシューの多さは嬉しいけれど、他の具が寂しい。周りのお客さんはネギ増量を当然のように注文していたから、あるいはそれが基本なのかもしれない。

 

She See Sea

She See Sea

 

 

お昼ごはんの後は、文房具を買ったり、書店に行ったり(今日は何も買わなかった)、それから鯛焼きを食べたりして午後を過ごす。

うっかりして、現在の所持金が900円。
これでは遊ぶつもりでも、かなり心細い。鯛焼きを買った時点で、自動的・強制的に“外出しない日”になってしまった。

 

どういうわけか、それで家で大人しくしていたのに、今になっても部屋の片付けは終わっていないし、パソコンで作るつもりだった印刷物も中途半端。おまけに眠い。

とりあえずお風呂に入ろう。それから、今夜の過ごし方を考えよう。レイトショーを観に行くつもりだったけれども、やはり自重したい。なにしろ現金がまるで無い。映画館はカードが使えるけれど、何かあったら大変だ。

 

 

静岡百景

静岡百景

 

 

謹賀新年度 プリンと映画とフルーツ・サンドイッチ

静岡県においては、新年度の元旦である4月1日は、1年で最も重要な祝日となっている。僕が子供の頃は静かに家で過ごし、あるいは近所に挨拶に回る程度の穏やかな休日といった風情だったが、近年はお店も普通に営業をしているし、映画館なんて割引(1800円→1000円)でとても混雑する。
静岡市中心街においては「静岡まつり」が開催されるが、これは昔から変わらず、中の下レベルの盛り上がりを維持している。伝統というのはこうでなくてはならない。特に今日は中途半端に雨が降り、寂しさと切なさと心強さが入り交じった雰囲気が、まさに静岡まつり、だった。

 

紅茶をめぐる静岡さんぽ (momo book)

紅茶をめぐる静岡さんぽ (momo book)

 

 

 



さてそんな今日は、僕も映画を観てきた。
キングコング 髑髏島の巨神」を鑑賞。
素晴らしい作品だった。ハリウッド映画はこうでなくては、という要素が惜しみないカネと技術で実現されている。過去作、というよりも日本の怪獣映画へのオマージュがたっぷりなのも楽しい。
誰でも知っているが、きちんと映画館で、あるいはDVDや動画配信で、「キングコング」を観た人はどれだけいるだろうか。昔の特撮アメリカ映画の今から、というといささか辛いかもしれないけれど、この作品ならば十中八九楽しめる。
なるほどでかいゴリラは驚異である。荒唐無稽なパニックとアクションの、いかにも娯楽映画を堪能できた。

この映画については後日感想を書こうと思う。

 

キングコング:髑髏島の巨神 メイキングブック

キングコング:髑髏島の巨神 メイキングブック

 
キングコング 髑髏島の巨神 (竹書房文庫)

キングコング 髑髏島の巨神 (竹書房文庫)

 

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BSVH4jKDLt1/

新静岡駅のビルにあるシネコンで映画を観たら、駐車場の無料サービス時間の残りを活用し、買い物をするか、少し近所を歩くことにしている。大抵は、駅から徒歩2分の「笠井珈琲店」で、美味しいケーキとコーヒーと、映画の余韻を楽しむ。

今日はカスタードプリンを注文した。
どの店でも、基本的にプリンは注文しない。ケーキがあればケーキのほうを食べたい。これも貧乏性の一種だと思う。どうせ食べるのなら、価格が高くて手がかかっているものを選択したくなる。
でもこの店のプリンは本当に美味しかった。
レアチーズケーキくらいのサイズ。スプーンが大きいからわかりづらいが、かなり大きい。
プリンとしては「かため」だと思う。クラシックなカスタードプリンだ。甘さは控えめ。カラメルソースの甘さと苦みはとても上品。
そして、「かため」なのに、完全に滑らかなのだ。絹ごし豆腐みたいな均一さ。“す”がまるで見つからない。
実に食べ応えがある。
この店の個人的定番である飲み物のオーダー、「1/2アイスコーヒー&温かいブレンドコーヒー(クリーム抜き)」と組み合わせるに十分な質と量。
季節のフルーツを使ったケーキにも心惹かれるが、プリンもきちんと笠井珈琲店の、つまりかつての「ブーケ」の味だった。
つまり、満足した。

 

 

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しかし昼食を(遅めとはいえ)プリンとコーヒーで済ませるのは健康に悪い。不摂生が高くつく年齢になってしまった。

そこで、清水区の海が見えるパンとカフェのお店、「プティ パレ ア ラ メール」まで車を飛ばす。正確には車を走らせる。
からりと晴れた日はもちろん、今日のような曇天でも、この店の風景は特別。苺のビニールハウスが連なる向こうに海、遠くに伊豆半島が見える。
今日はフルーツサンドを注文した。

フルーツサンド、どこのものを食べても間違い無く美味しい。ただし所詮は食パン、だといつも感じていた。
この「プティ パレ ア ラ メール(綴りは忘れてしまった)」のそれも、まあフルーツサンドだからなー、と思っていた。
でも、さすがにパン屋兼カフェ、とびきり美味しかった。パンが美味しいのだと思うが、生クリームも良かった。果物の量も良いバランス。
ケーキとは違う食べ物として、これは良いものだ。
予想以上に素敵な食べ物だった。

そんな土曜日。
桜はところどころ咲いている。
さきほどまで居眠りしていて、そして今も眠い。だから寝ます。

みなさんにとって、良い年度になりますように。
本年度もよろしくお願いします。

 

知ったかぶりの人

職場でたまに話す女性社員さんが、とにかく「知らない」とは言えない質で、それに気付いてからはなんだか彼女の“嘘”ばかり記憶に残ってしまって、雑談の内容がうっすらとしか覚えられない。

例えば今日は「ラプサンスーチョン」というお茶について話した。僕はあの臭いお茶が大好きで、でも安いものではないし、どこにでも売っている訳ではないから…という話題。そういえばカルディにも無いねー、田舎ではまずカルディだよねえ、なんて会話になったのだが、その際に「えー、百均にあるよ。ダイソーに売ってる」と彼女が言うのだ。

まさかまた口から出任せだろう、と疑ってみたものの、万が一ということもあり、今日は仕事帰りにダイソーに寄ってみたのだった。
ダイソーに売るようなものならば、香り、風味ともに薄く、がぶがぶ飲むのには適しているのではないか、という目論見もあった。

さんざん探したが、売っていませんでした。
無駄足だったし、思わず針金とか麩菓子といった、特に必要ではないものを購入してしまったため、知ったかぶりの罪は重い。きな粉味の花林糖、というよくわからない甘いお菓子まで買ってしまった。

 

 

この人はただ知識不足を反射的に隠そうとするだけで、悪気は無いように見える。僕からしたら、ラプサンスーチョンなんて知らなくても恥ずかしくは無いと思うのだが、たぶん恥ずかしさとは別に、自動的に言葉が生まれるのだろう。

反射的に、というと、何であれ「違う」と反対意見から会話を繋げようとする人がいる。「ちがっ」くらいの、その後の言葉がほとんど反論にもなっていない、でもとにかく否定しないと会話に繋げられない人達。あれもたぶん、癖の一種だろう。「いや、それはね…」とか。

 

そういえば上に書いた「しったかぶり」さんは、加えて「まず自分の事を伝える」さん、でもある。
つまり、紅茶についての会話が始まったとしたら、まず自身が言うべきは「私は紅茶を飲まない」である。犬の多頭飼いの話題ならば、「犬より猫派であるが、チワワは可愛い」だ。
最初は、「なんでこの人は他人の会話に、自己紹介で参入するのだろう。オムレツのバリエーションの話に、この人の卵アレルギーがどう関わるのだろうか」と面食らったものだけれど、今はもう慣れてしまった。それに、その後の会話にほとんど影響しないし。

これも反射行動的なものだとは思う。しかし冷たい言い方をすると、僕はこの「癖」に対しては、“育ちの悪さ”を感じる。

この唐突な「自分語り」は、話の内容にほとんど繋がっていない。だたのアピールである。それも、他人にとってはどうでもいいアピールだ。「そうなんだー」と言ってもらいたい類の話、と言い換えることもできる。まあ、幼い自己顕示とも言える。
意識的なものか、無意識でしているのかはわからないけれど、自身を飾るために幼さ弱さを活用するのは、大人としてはどうにもつまらない。褒めて認めることがまず求められる人間関係は、対等とは言えないだろう。習慣となってしまっているのは、昔からの積み重ねだ。自己顕示欲や承認欲求が透けてみえる話し方をたしなめる大人はいなかったのか。
会話は自分自身と、話し相手、そして周囲の人間のためにするものなのだから。

 

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

 

 

 

と、小難しく文章を綴ると怖い感じになってしまうが、この種の「ちょっと引っかかる知人」は、日常生活の支障にはならない。
素敵な個性、とは言い難いけれども、人によっては魅力とさえ感じるかもしれない。

日常生活に支障がある個性、といえば今の上司がそれで、この人はどんな話題でも目が笑わない。
生まれ故郷である京都のバスについて悪口を言う時は、笑いながら目だけが真剣、という怖さである。
ちょっとした面談や仕事の相談の際にも、基本的に笑顔だが目だけがいつも同じ、なのだ。これは怖い。どこまで話して良いか判断できないし、言っている内容の底の裏まで勘ぐってしまう。
結果として、仕事に僅かながらの悪影響が出ていると思う。職場全体のパフォーマンスを下げているのではないだろうか。
この人については色々と書きたいことがあるけれど、もう寝る時間だから止める。
明日は映画の日。そして年度元旦。年度元旦、という表現は前述の上司が教えてくれたが、何しろ目だけが真剣だから、冗談ではない可能性を考えてしまう。困ったものだ。

 

 

フランス人はお菓子づくりを失敗しない。

帰宅前に書店に寄り道。本を数冊購入。
とりあえず今読んでいるのが、「地元菓子」という本。

地元菓子 (とんぼの本)

どこか知っている雰囲気、と著者略歴を調べたみたら、あの「暮しの手帖別冊 徒歩旅行」の人だった。
この人の文章は、こういうほんわかした読み物のなかでは、かなり珍しい感じがする。地方に訪れてその土地の風物やお菓子を楽しむのだけれど、その土地の人や物には一定の距離を置く。共感や感情移入や配慮をせず、あくまで都会の人間としてこう感じたのだ、ということを隠さない。普通の旅行者よりも、その辺りの線引きがはっきりしている。こういう“素朴な暮らしと旅”が好きな普通の人達なら、いつの間にか「寄り添う姿勢」になってしまうし、それが良いことだと思い込んでしまうだろう。
人によっては、冷たいと感じるかもしれない。
僕はひとつの魅力だと思っている。余所者であること、もまた旅の楽しみであり、旅人はどうしたって余所者なのだから。

 

 

暮しの手帖別冊 徒歩旅行

暮しの手帖別冊 徒歩旅行

 

 

地元菓子 (とんぼの本)

地元菓子 (とんぼの本)

 
地元パン手帖

地元パン手帖

 

 

 

 

 

フランス人はお菓子づくりを失敗しない。

買った本の他に、なんだか気になるタイトルの新刊を発見した。
「フランス人はお菓子づくりを失敗しない」
びっくりした。
主語の大きさが絶妙、かつ、お菓子作りの本として珍しい。

たぶん「フランス人は余分な服を持たず、理想的な自我と生活を保つ術を身につけていて、さらに年収が少なくても幸せになる知恵に溢れている」みたいな一連の書籍・情報が氾濫した頃に企画したのではないだろうか。

あるいは、そういう「フランス人神話」を好む層に絞ったタイトル付けなのかも。

 

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質

フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~

 
フランス人は10着しか服を持たない2

フランス人は10着しか服を持たない2

 
フランス人は10着しか服を持たない コミック版 ファッション&ビューティ 編

フランス人は10着しか服を持たない コミック版 ファッション&ビューティ 編

  • 作者: 村田順子,ジェニファー・L・スコット
  • 出版社/メーカー: ハーパーコリンズ・ ジャパン
  • 発売日: 2017/04/13
  • メディア: コミック
  • この商品を含むブログを見る
 

 

ぱらぱらっと見本を眺めた限りでは、失敗のしづらいレシピが載った写真付きの料理本、だった。読んでも楽しめるし、レシピも使える、みたいな本。
コラムや街の写真も多くて、好きな人が買えば楽しめそう。
逆にフランス人の(完璧で理想的な)ライフスタイルを学びたい人、そして日本のダメなところを指差呼称したい人には物足りない気がする。

 

フランス人はお菓子づくりを失敗しない。

フランス人はお菓子づくりを失敗しない。

 

 

しかし「フランス人はお菓子づくりを失敗しない」である。僕は唐突に、西くんを思い出した。
学生時代の友人であった西くんは、決して挫折をしない男であった。が、彼は挫折に対する感受性というか受容体が無い男だった。何があっても挫折と感じない人間に、挫折は訪れない。
フランス人も似ているのかもしれない。例えばビスキュイが生焼けでも、「今日のビスキュイは柔らかくてぺたぺたしているね、ムッシュー」と言うのだ。ミスではなく、そういうものとして受け取れば、お菓子作りに失敗は無い。「今日のデザートは、シンクから下水に流れる、という形で完成した」とか。
こういうのを哲学というのだろうか。静岡の言葉では、詭弁というのだが。

 

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 
四畳半神話大系 (角川文庫)

四畳半神話大系 (角川文庫)

 

 

鶏肉のカシューナッツ炒め

鶏肉のカシューナッツ炒めを食べたくなった。
1年に2回くらいは、そういう気分になる。材料さえ揃えればまず失敗の無い料理だが(本格的に作るには油通しが必要だが、そこまでしなくても美味しい)、今日は仕事も遅くなってしまったし、帰宅しても夕食の用意もないため、外食で済ませることにした。

 

 

職場で聞いた、美味しいと評判の中華料理店に行く。
地元の人達が薦めるだけあって、なかなか混んでいる。でも、近所のお年寄りが餃子や炒め物をつまみ代わりにビールを飲んでいるような雰囲気で、食べ物が美味しくて繁盛している、といった感じはしない。

とはいえ、きちんと鶏肉のカシューナッツ炒めもメニューにあって、定食屋のような見た目とは違いいかにも中華料理店。
その鶏肉のカシューナッツ炒めと、ごはんとスープとサラダのセットを注文しようとしたところ、同じ価格で鶏の唐揚げもつくセットを薦められたので、そちらに切り替える。なんだかよくわからないが、そういうことなのである。
スープを豚骨ラーメン(小)に変えることもできる。これは50円の追加料金となるが、この店ではそれが当たり前らしく、僕もその提案に乗ることにした。
たぶん食べ過ぎて残してしまうだろう、と予想して、ごはんは少なめにしてもらった。

 

https://www.instagram.com/p/BSN6jzkD9HR/

 

唐揚げに時間がかかるからこれを食べていてね、とまずは焼豚の切れ端と胡麻油で和えたネギの小皿がサービスされる。お酒も飲まないのに“つきだし”みたいな感じ。次にたくあんと揚げたワンタンの皮。ごめんね最初に置かせてねー、と杏仁豆腐も。どれが無料なのか、セットメニューに含まれているのか、だんだんわからなくなってくる。

鶏肉のカシューナッツ炒めは、きちんと美味しい。
ピーマンは苦手な野菜だけれど、この料理ではあまり気にならない。いや、無ければ嬉しいかもしれないが、毛嫌いするものでもない。
鶏肉のカシューナッツ炒め、とメニューにはあるけれど、正確には鶏肉とカシューナッツ炒め、だよなあ、なんてことを食べながら思った。

ごはんは、少なめにしては多い。でも食べてしまう。
途中で豚骨ラーメン(小)がやってくる。小サイズといっても、高級なお蕎麦屋さんのざるそば位の量はあると思う。
さらに鶏の唐揚げ。ファミリーマートのレジ横で売っていそうなサイズのものが3枚。メニュー写真には無かったロースハムが2枚、ぺろんと添えてある(唐揚げにハムか…としばし眺める)。ガラス瓶に入った「塩漬けのラッキョウ」という品も「どうぞ」と置かれる。

どれも味は良い。が、いささか満腹であり、後半はわりと頑張って食べる羽目になった。
職場で話題になった際には量の事が話題にはならなかった。でも、見ていると周囲の客も何かしらの増量や追加を受けていて、注文する際にそれを先読みしている可能性がある。お年寄り夫婦の席に「これも食べなー」と餃子が届けられていたし、それを普通に「ありがとう」と食べていたから、基本的に胃が丈夫な人向けのお店なのかもしれない。
この店の厨房で作られる品の2割くらいは、注文外のサービスだと推測する。

祖父母の家が中華料理店で、孫として訪れたみたいな気分になってくる。

 

そして「少なめに」と伝えたごはん、その減量分は、なんと、おにぎりになって会計の際に渡された。若いんだから朝は忙しくても食べなさいよ、と励まされてしまった。若くないし、朝はきちんと食べているのだが、もちろんありがたくいただく。

この前の金沢旅行の際にも学生と間違われて料理をたくさんいただいてしまったが、どこかそういう、食べ物を与えたくなる貧乏学生のオーラが漂っているのだろうか。今のところケーキ屋ではそういう状況に遭遇していないのだが、いずれ誰かが恵んでくれるかもしれない。見た目は栄養過多だと思うのだけれど。

 

店名は、忘れた。
職場で場所だけ聞いて、ああそういえばありますねえ、と車で寄ったから、店の名前が記憶に残っていない。
まずはたくさん食べさせる、というコンセプトが明確かつ徹底していて、気持ちが良い。味も良かったし、価格もずいぶん安い(そしてオマケが多い)。
また近いうちに行きたい、とは思わないけれど、なにか中華料理に対する飢餓感が生じたら、第一選択として挙がる店だと思う。

 

 

 

「かねはち」の人達

用事があって榛原郡に行く。
帰りにローカルチェーンのスーパーマーケット「かねはち」に立ち寄った。

自分の住む土地からそれほど離れていないけれど、スーパーマーケット・チェーンの違いというのは、そのまま商業圏や食文化の変化に関連する。
「かねはち」の品は、「静岡県西部地方」の色が強い。珍しい魚や加工食品があるわけでも、見たことのないお総菜が並んでいるわけでもない。でも、扱うメーカーが違う、季節を彩る和菓子がちょっと違う、そういうものが見ていて楽しいし、つい買ってしまいそうになる。

その「かねはち」は、店員さんがとても元気だった。
レジに詰めている2名の婦人が、とにかく喋る。今時、あれほどレジから動かず、終始雑談ができるパートさんも珍しい。
でもそれでいいんじゃないかな、という馴染みかたをしていて、面白い。人徳というのか店の雰囲気というのか、たぶんAEONでは許されない気がするが、「かねはち」ではこれが正義なのだ。
それにしても、まるでピクサーかディズニーアニメの吹き替え音声みたいに元気でハイテンションな人達だった。ファインディング・ドリーの主役級の魚達がレジを担当しているみたいなお店だった。

 

 

鉄道コレクション 鉄コレ 静岡鉄道1000形 (分散冷房車新塗装) 2両セットB

同じスーパーマーケットでも、僕がたまに使う「しずてつストア」は、本当に落ち着いている。
ルールに則っているけれど無理に明るくフレンドリーにはしない、という方針を貫く女性の店員さんがお気に入り。この人は本当に地味で、年齢不詳で、栄養が足りていない風に見える。
でも、腕には「関ジャニ∞のライブで手に入れたリボン(?)を編んだ輪っか」をいつもはめている。その他のコンサート・グッズを身につけている時もある。きっとそういう“ハレの日”に発散するのだろうな、と想像する。ストーリーを感じさせる。
映画でいうと、カンヌ映画祭の「ある視点:Un Certain Regard」にノミネートされそうな、そんなスーパーマーケット、それがしずてつストア。
その店では、誰もが何かを抱えながら、バーコードを読み取っているのだ。何かのために、あるいは誰かのために。

Nゲージ 静岡鉄道1000系 集中型クーラー車(2輌セット)

今日の夕食は、その「かねはち」で買ったシラスを卵とじにしてみた。ほとんど夾雑物を取り除いていない、だから安いと説明文にある。
夾雑物、といってもプランクトンだ。食べても平気だし、僕はわりとこの小さな生き物が好きなのだ。イカの幼体なんて、得をしたきぶんになる。

さて、そろそろお風呂に入る。そして、寝る。

春季限定 法多山のお団子事件

静岡県における神社仏閣関係の餅・団子菓子ベスト1に輝く「法多山のお団子」、その特別バージョンである「桜」を一箱いただいた。

餅の部分がうっすらピンク色。そして薄い桜風味がある。餡はたぶん普通のものと同じ。

もともとすっきりした甘みが持ち味の団子で、これに桜の香りがとても合う。
並んで買う類の限定版だと聞いた。そうなると、まず自分では買わない。法多山のお団子を買うために法多山に参拝するのは厭わないが、行列は嫌だ。

写真は、まだ撮っていない。
しかしこれは良い品である。以前、緑色の「緑茶」バージョンを食べたことがある。あれよりも好きかもしれない。

 

法多山縁起物語

法多山縁起物語

 

 

ところで今日は、やけに寒かった。
温度計の数字以上に寒い。冷たい、と言うべきか。
本来ならば部屋の多肉植物を外に出す時期だ。昨年の今頃は、カメラを持って駿府城公園の桜を撮っていたという。

さて寝よう。
昨日は久しぶりに早寝した。おかげで勤務中、ずいぶん身体の調子が良かった。身体というか心身というか。
こんなにも違うものなのか、と自分自身のことなのに驚いている。寝不足といっても、12時までには寝ているのに。
とにかくめっきり夜更かしに弱くなってしまった。対策は睡眠。昔は眠くならないお薬を売っていたよ、と教えてくれたのは死んだ祖父だったか。なにしろ幼稚園に通うくらいの歳だったから、「覚醒するクスリだね!」とは返せなかった。しかしそういうものが当たり前にあった時代からそれほど経っていないというのも不思議な気がする。

 

あ、この小説がとても面白かったです。
ネットロアと怪談と精神世界の素敵な混淆。
個々の状況はわけがわからないタイプの恐怖ばかり、なのにあくまで(全てが明かされないけれど)理の下で進むストーリー。読みやすさも抜群でした。続刊を希望する作品。

裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)

裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)

 

 

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