カメラそしてトルコライス

ソニー SONY デジタルカメラ DSC-HX90V 光学30倍ズーム 1820万画素 ブラックCyber-shot  DSC-HX90V BC

カメラが修理から戻ってきた。
最近のカメラらしくインターネットへの接続による機能の追加や、スマートフォンへの写真転送ができる。それはまあ便利といえば便利なのだが(機能追加はほとんど放置されている)、その設定がとても面倒だ。メイン基盤を交換したので、設定は初期状態となっている。

ネットワークの設定だから、パスワードやSSIDといった基本的なものばかり。でも面倒なのは、入力が小さな画面の小さなキーボードで行わなければならないから。しかも、タッチパネルではなくて、ボタン(もちろん小さい)をぽちぽちと押す必要がある。
さらにその画面上のキーボードが、入力項目よってケータイ入力式か、QWERTY配列か、よくわからないルールで違う。自分では変えられない。
こういう作業のつまらなさは、それこそファミコンスーパーファミコンの時代のゲームで経験がある。どうしてこんな操作性にして出荷してしまったのか、と思えてくる細部の雑さ。
これが無線LANへの接続程度なら、まだ我慢できる。
ソニーのなんちゃらネットワークへのログインが必要、とか言ってくるのだ。ソニーのカメラにソニー提供のアプリをインストールして設定するのに、メールアドレスやユーザー名やパスワードをわざわざ入れる煩わしさよ。
ソニーのサービスやインターフェイスは、当たり外れが大きい気がする。自分にとっては7割が当り、1割が我慢できる(外れだが納得できる)、そして残りは大外れである。
カメラ自体はとても気に入っている。それこそRX100や、前に使っていたミラーレス一眼よりも、使い勝手が良い。旅用カメラとしては十分過ぎる性能。日常使いとしては、スマートフォンとの使い分けが、自分のスタイルに合っている。

ともあれ旅先で壊れたカメラが無料で直ったのだから、とりあえず寿ぎたい。

 

ところで、この作業を通じて、我が家の無線LANルーターへのログインが、つまりユーザー名とパスワードが何処にも記録していない事が判明した。
なんとなく、自分のプロフィールや定番の文字列ではない強力無比なパスワードを編み出したことは覚えているのだが。こういうものは、どこかに何かの形で記録されている筈だが、それがどこにあるのか忘れてしまった。
友人知人の家の各種設定やアカウント管理や子供向け機能制限設定を何件か請け負っていて、それらは耐火金庫に整理してあるが、肝心の自分のことができていない。パスワード管理ソフトやブラウザの自動保存に頼り切りになっていた。

 

 

さて今日は、お昼に「トルコライス」を食べてきた。
ファミリーレストランのクーポンを知人から貰ってあったのだ。

トルコライス、聞いたことはあるが、食べたのは初めて。
不味くは無いが、これ、旅先だからこそ、の味だと思う。少なくともファミレスのこぢんまりとした盛り付けでは、ファミレスの定番食材の順列組み合わせ的なプレートでは、特に嬉しくなるものではない。
九州に旅して、駅前の食堂で注文して、うひゃあこんなにたくさん、胃がもたれちゃうなあ、とか思いながら、ピラフとエビフライとトンカツとスパゲティの皿を食べる、それこそが醍醐味だろう。
そもそもファミレスのメニューによると、スパゲティではなくてパスタとあった。アルデンテにしては柔らかいがとにかくアルデンテ的なものにトマトソースがまぶしてある、なんてものはトルコライス的ではないように僕は思う。やはりここはナポリタン、しかも具に乏しいものがふさわしいのではないだろうか。
ちなみに写真は無い。
ただ、同じ店の「ご当地メニューフェア」にあった「沖縄風そば」の写真をInstagramにアップロードした。「沖縄“風”そば」というのが、大人の事情を想像させる。

 

【のぼり+ポール白+ポール台16L】21201 トルコライス のぼり

【のぼり+ポール白+ポール台16L】21201 トルコライス のぼり

 

 

こんな風に、あまりぱっとしない日曜日ではあった。
雨で、しかも寒い。ただしのんびりと昼寝もできたし、今から部屋の片付けも終わらせてしまうつもり。読書も進んだ。
まあまあの休日だったと思う。

 

 

 

映画「たかが世界の終わり」と「羽海野チカの世界展」と、MARIATHANKの「イチゴとダックワーズのケーキ」。


映画「たかが世界の終わり」を鑑賞。

予告編からの想像を超えた、胸に突き刺さる映画。
いずれ喪われるとしても、もう元には戻せないとしても価値のあるものとは何なのだろう、と今も考えてしまう。
教養が無くて悪趣味で、意地悪で貧乏で想像力に欠けている人達が何人も登場して、世に溢れる「欧米の中流以下ファミリー・中途半端な田舎の苛立ち映画」らしさはばっちり。でもそれだけではない、お涙頂戴の余地すらない真剣な作品だった。
構図と光の計算、そして音楽が素晴らしかったことも印象的。
いずれきちんと感想はまとめようと思う。
静岡市の「シネギャラリー」では来週金曜日までの上映予定。映画館で観るほうが集中できると思う。おすすめです。

 

 

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BSDVQGBjmOe/

映画館からほど近い百貨店「松坂屋」で、「羽海野チカの世界展」が開催されている。

まあ実写映画のプロモーションも兼ねた巡回展だろう、と軽い気持ちで入ってみたが、これがもう心を揺さぶられるなんてものではなくて、あと少し突かれたら泣いてしまうような“威力”があって、驚いている。

確かに「ハチミツとクローバー」も「3月のライオン」も、大好きな漫画だ。短編集だって買ったし、Twitterもフォローしている。
漫画の原画展といえば、いつも技術に感心して、自分の好きな部分があれば嬉しくて、そこでしか手に入らないグッズを眺めて(たいてい買わない)、という楽しみ方が基本。
でもこの作品展では、表紙の原画やその解説、下書きを眺めているだけで、感情が揺さぶられてたまらないのだ。自分の過去とリンクしている(簡単に言うと若い頃の一時期に「ハチミツとクローバー」に出会ったのだ)という事情があるにしろ、どうしてこんなにざわざわするのだ。不快ではなくて、ただ説明がつかないだけ。
漫画を読んでいる時と同じ感動が、ばらばらのページで、手書きの跡が残る展示品で、より強く生じてくる。
陳腐な言い方になるが、これが生原稿の力なのだろうか。
こちらは全国巡回するのだと思う。

しかしなあ松坂屋、催事場の周辺だけでもBGMを抑え気味にしてくれないだろうか。ビートルズとフレンチポップスの繰り返しは、どうにも作品の、そして展示の雰囲気に合わなかった。
こちらもおすすめです。

 

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BSDYEIFDtFC/

 

そしておやつは、MARIATHANKで。松坂屋からは徒歩数分。
ダックワーズの台にバニラのババロアがてろんと乗っていて、イチゴがたっぷり、そんなケーキを食べた。
しっかり甘くアーモンドが香ばしいダックワーズがベース。ババロアは優しく、イチゴの酸味が良いバランスとなっている。
ベース部分が甘いケーキは珍しいかもしれない。イチゴは案外、味が強いから、こういう組み合わせが美味しい。果物として食べる時は何も付けない派だが、ケーキとなると話は別だ。僕はイチゴのショートケーキより、このリッチな新作のほうが好きかもしれない。

 

 

さて、では寝ます。
明日は家のこと、工作や家事を進めたい。見たい映画もあるけれど、自重する予定。本当は「パッセンジャー」を観たいところだが、まあメジャーな作品だから急がなくても大丈夫だろう。

 

 これはメッセンジャー

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こちらです。

 

 

車を隠し撮りする人達

友人の家、いや家というか小屋に行ってきた。
元は町工場の倉庫だった場所。売るに売れない事情があるらしく、親戚から引き継いだ友人が、趣味の小屋として使っている。電気は引いてあるし、トイレもいちおう生きている。でも水栓を締めているから、隣のショッピングモールを借用することが多い。
友人と周囲の人達(僕も含む)が電気工具やガラクタを置いていき、いつしか共用の工作室となってしまった。出入りするメンバーの何人かが片付けや棚作りを楽しむタイプであり(僕もそうかもしれない)それなりに整理整頓が行き届いている。
倉庫とはいえ完全に無人だとあっという間に荒れるから、バイクのレストアでもサーフボードのメンテナンスでも、とにかく誰かが活用するだけでも喜ばれている、とのこと。だから今のところ家賃は無し。電気代の足しにと、飲み物や食べ物を差し入れする程度の、雑な共用状態で数年間使わせてもらっている。

その敷地に、近くの工場の人達がカメラを据えることになった。
一部上場企業の製造部門だから、きちんと土地への出入りから目的まで書面付きの説明があった様子。
曰く、朝夕の通勤時に、マナーの悪い従業員が目立つ。安全活動の一環として、各所で隠し撮りをして、当社のマナー違反者をピックアップしたい。つきましてはこの一時停止線が見える敷地に、夕方だけ入らせてもらえないだろうか、とその事業所の安全衛生管理部門担当者から。

なるほど確かに、こう言ってはなんだけれど、ガラの悪い「現場のおにいちゃん」達が、駐車場からがんがん飛ばして交差点に突っ込んでくる。たぶんこの隠し撮り活動を言い渡されているのだろう、急ブレーキで止まるか、あるいは曖昧に減速して、またスピードを出して去っていく。

抑止力、という狙いは理解する。でも共感しない。
なにしろ隠し撮りである。公道を、つまり従業員以外の車や歩行者も撮るのだ。その辺りの配慮とか考慮はしたのだろうか。

僕が昔勤めていたところでも、この種の「交通安全のための隠し撮り」が企画されたことがある。
そもそも通勤時間は勤務時間ではないこと、つまり労災保険が適用されるのは、労働に必ず付随する時間帯だからであり、私的時間への干渉は交通安全の取り組みとして正しいのか否か、はずいぶん話し合った記憶がある。周辺住民の理解も必要、撮れた画像と本人との紐付けが正確にできるのか、といった問題もあった。

何よりも大きな問題として、一時停止違反の車を撮影できたとして、それは警察に報告すべき事柄なのか、それとも社内の問題として扱うに留めるべきか、まで考えて、どうにも判断ができなくなってしまったのだった。法務部に相談するよりも、他の案を考えたほうが賢明である、という判断になったのだった(そして、朝から旗を持って歩道に並んだ。無意味だ)。

で、今日はその「隠し撮り班」の人達と話す機会があったため、その「もし一時停止違反の同僚がいたら、警察に連絡するのか」を聞いてみた。
そんな事は考えた事が無かった、とか、いやこれは社内の取り組みだから、とぼんやり否定する言葉しか聞けなかった。
警察への協力は市民の義務だが、会社の交通安全活動はその例外らしい。

会社にしろ役所にしろ、こういう「とりくみ」に関しては、ずいぶん考えが足りないなあ、と思えるものが多い。企画段階で、既定路線が引かれているのだと推測する。手段が目的になっている。

生真面目な事を言わせてもらうと、この「隠し撮り班」的な考えの浅さは、要は安全に対する真剣さが足りないのだと思う。誰も、正当に成果を挙げる、なんて風には考えないのだろう。リソースの無駄遣いが直接は怪我や事故に繋がらないからこその、緩さである。じゃあ止めておこう、と提言するよりも楽なのだ、無駄遣いや思考停止のほうが。

僕の個人的見解としては、ひとりひとりが経営者視点なんてものを身につける前に、安全活動の本質や労働安全衛生法の意義を考えたほうが、仕事の無駄は減るんじゃないか、と思っているのだが、どうだろう。

 

 

ラ・マシン カルネ・デ・クロッキー 写真とデザイン画集

ああそうだ、まるで関係無いのだが、この写真集・画集が欲しくてたまらない。

ラ・マシン カルネ・デ・クロッキー 写真とデザイン画集

ラ・マシン カルネ・デ・クロッキー 写真とデザイン画集

 

ちと高いが、買う価値がある。買わねば。
 こういうの大好き。


Les Machines de L'ile, Nantes, France


Les machines de l'Ile @ Nantes : Le réveil de Kumo

 

 

 

好景気かも、と思ったこと。

久しぶりに、もしかして景気が上向いているのかもしれない、と実感する出来事があった。
今日、隣の部署で2人の契約社員が退職届を出したのだ。先々週は別の部署で2人辞めた。それぞれ10人に満たない部署、かつチームで長期間のプロジェクトを進行中、噂になるような酷い人間関係も聞かない、でも辞めてしまう。理由は給料の安さ、と本人が語っていたという。

待遇の向上を求めて転職をする、というのは景気が良くならなければ怖くてできない。
求人情報を眺めても「あーどこも同じだ。我慢するか…」と考えるか、「あれ、これなら少し頑張って就職活動をしようか」となるかは、やはり給与・手当欄の数字だと思うのだ。

でももちろん、残されて仕事が増え、そして転職も失業も経験をした事のない人達にとっては、これは理解の埒外である。
つまり「最近の人はすぐに辞める。待遇が悪いからって、頑張ろうとしない」と言う。
ここに大きなミスマッチがある。誰だって今と先を見据えて、ついでに毎月の明細も見据えて仕事をしているのだから、そんなに「あっ、給料安いや。仕事大変だ。辞めよう!」とは考えない。それくらいの大雑把な価値観は、一緒に働いていればわかるだろうに。
それに、頑張っても待遇に反映されなければ、見限られても当然。「お前のやる気は、いつも見ているよ」だけでは、誠実な関係とはいえない。
もっと言うと、そうやって迷惑顔をしている人達もまた、「最近の人」なのだ。当事者としての想像力は惜しまないで欲しい。

 

この会社では、非正規雇用の人間が期間満了前に辞める際には、ひとつの仁義がある。それは「不満点を人事担当者や上司に伝える際に、とりあえず待遇面も語る」ということ。メインテーマが人間関係であっても転居であっても、待遇に“も”不満があった、と言い残す。その積み重ねで、残された同胞(?)に、僅かでも待遇向上の可能性という種を蒔いていこう、と伝えられ続けている。

で、その半分冗談の伝統も、最近では偉い人達に悪用されている。
「あの連中の“待遇が悪い”は、本気ではないのだ」とベテランや地位の高い人達が話しているのを何度か聞いた。
「いやいや、さすがに面談の場で、自分の金銭的な状況が苦しいなんて話を、冗談だけで言う社会人はそれほどいないだろう」と僕などは思ってしまうのだけれど、どうなのだろう。本当につまらない言い伝えならば、とっくに廃れている。
会社の会計報告などを聞いても、下々の苦しみなど想像できない程に皆が潤っている、とは思えないのだが。

 

ともあれ待遇に不満があるのは僕も同じである。
ワークライフバランス結構、残業が減ったのは有難い。でも、仕事の量が減らせないのならば、仕事の密度だけが上がって、つまり仕事あたりの給与が減ってしまっているのはマルクスじゃなくてもわかるし、日々感じている。
そういうのは、特に時給日給で働いている“層”のほうが敏感なのだと思うが、しかし職場の人達のほとんどは「ワークライフバランスの向上を、効率アップで達成しよう」というスローガンに何の疑問も持っていないように感じる。仕事と生活の関係は、拘束時間だけではなくて、もちろん給与その他の待遇も含まれている。
言っても詮なきこと、だとしても、大切な建前である。建前はきちんと立てておくのが大人であるのだから、今日はそのことを「期末の面談」で上司に言ってきた。「真面目だねえ」って言われたが、まあ、とりあえず自分にプラスになる可能性に関しては真面目に関わる所存であります。

 

 

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

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希望の国のエクソダス (文春文庫)

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命の結晶を食す

うずら卵 水煮(輸入) 430g

仕事帰りに立ち寄ったショッピングモールで、細々とした買い物をしてきた。なんだか疲れていて、日用品の買い物ですら効率が悪い。でも、少し遅いが深夜ではない時間帯だと、そうやってぼーっと歩いている買い物客が多い。これが深夜営業のスーパーだと、逆に元気な人達と、あるいは幽鬼じみた人とに二極化する。

 

それはそうと、そのショッピングモールに入っていたオーガニック食材のお店で、ウズラのたまごを売っていた。大きく「生命の卵」と書かれている。ウズラのたまごは孵化させやすい事で知られていて、だから「生命力に溢れている=生命の結晶である=身体に良い」らしい。
僕にはなんだかグロテスクな発想に思えるのだけれど、なるほどねーと納得しながら購入する人が何人かいたので、「孵化の可能性」というのは摂取に値するナチュラルヒーリングパワーなのかもしれない。

しかし医学的な根拠は一切無いだろう。
最近は下火になったけれど、以前はよく「有精卵」が珍重された。我が家でも、有精卵かつ「自由に鶏舎を歩かせた雌鳥が、地面に産み落としたたまご」を定期購入していた。
あれもまるで根拠に欠ける信仰だった。有精卵ならばある程度の細胞分裂が進んでいて、栄養の割合は変わっているのかもしれないが、それでもわざわざ選ぶ程の違いも無いと思う。せいぜい精子ひとつ分の栄養が追加されているだけだ。玄米と発芽玄米ほどの差異も無い。
それに、ほぼ固定されたように並んだ鶏からたまごを回収するのも、鶏舎で産んだたまごを拾うのも、生き物と人との関係から見ると、ほぼ誤差の範囲で同じ行為だと考えるのだ。どこが自由なのだ、とさえ思えてしまう。
黄身の色とか盛り上がりも、要は鮮度や餌の色だったとカラクリが判ってからは、あえて高いたまごを買う人はさすがに減ってきた。
今となってはよくわからないもの、それが自然食材界隈には多い。

 

しかしやはり、この「命の結晶」を喜んで買い、何らかの功徳なり効能を期待して口にする、という発想には、独特の凄味がある。戦で勝った側が相手の肉や臓器を食べてその力を我が物にする、そんな風習が人食い文化の根底にあると読んだが、それを異種の、しかも卵に適用するのだ。
健康に魂を売った人間、という表現が頭に浮かんだ。勝てる気がしない。

 

 

【豊橋産】うずらの卵 『生命の卵』 30個入り
 

 

暮しの手帖別冊 徒歩旅行

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キンメダイの湯煮を作る

家族は石垣島に行ってしまった。
元気な人達だ。そして、羨ましい。

というわけでしばらくは自炊の日々。
今日は「湯煮」を作ってみた。

耳慣れない料理名だが、要は魚を沸騰しない程度のお湯で加熱する、というもの。湯を煮込む訳ではない。今回は生の「キンキ」を使った。キンキというのは、一般に言うところの金目鯛の事で、地元では妙に安い時がある。

 

「湯煮」ってナニ?/魚の理想的な調理法 - | 日刊水産経済新聞

 

 

作り方の詳細は上記のリンクを参照。
書き出すと、こんな感じ。

  1. 魚の切身全体に薄く塩を当てる
  2. 鍋かフライパンで沸かした湯に、少量の酒を入れる
  3. 魚を入れ、沸騰しない火加減で3〜5分加熱し、取り上げる

確かに失敗する要素がほとんどない。酒は塩をした後に振りかけたほうが少なくて済むだろう。
魚に塩振る、お湯沸かす、酒振る、火を止める、魚入れる、蓋してしばらく置く、取り出す、おしまい、そんな手順。ソースやタレの類を作る時間と手間のほうがかかっている。

あくまで加熱するためのお湯だから、“上手にできた湯煮ほど、ゆで汁には何の味もない”と書かれている通り(なかなか凄い表現だ)、湯は出汁にもならない。
テフロン加工のフライパンは一般に少し深めだから、あれが一番やりやすいと思う。

今日は冷蔵庫にあった「食べる辣油」みたいなもので、刻んだネギと桜エビを炒めたものを添えた。
煮魚とは違った味で、しかもアレンジもしやすい。後片付けが楽なのが、何より嬉しい。

 

塩がきつかった塩鮭を煮ることがある。お弁当屋などでも、焼き魚のかたちをしているのに実際は煮て加熱しているところもあるという。加熱が目的なのだから、確かに合理的なのだろう。
しかし沸騰させない、という工夫でここまで格別に美味しくなるのならば、ホイル焼き程度の普及をしてもおかしくないと思う。味付けのアレンジも、最初はホイル焼きの要領で広げられると思う。

 

あ、動画があった。


結構しっかり煮ている。湯の量も多い。これはカニでいうところのボイルか。僕が作ったものとは違う。

 

 

 

 

映画「ひるね姫」

今日はまるでぱっとしない1日だった。
無理に外出することは無い、家で趣味工作家事その他を進めよう、とのんびりしていたら、いつの間にか夕方に。こりゃあ休日が勿体ないと外に出たものの、そして喫茶店でコーヒーなど飲んでみたものの、その店が本当に酷くて、全体に反省モードである。
しかし僕は思うのだ。昭和っぽい喫茶店は、「昭和レトロなお店です」と貼り紙等で店側が主張しては“台無し”である。「懐かしのプリン」とか、そういうのはチェーン店の企画課の仕事だと思うのだ。



それはそうと、一昨日に観た「ひるね姫」の感想を。
映画館を出た時の周囲の雰囲気や、その後のネットのレビューからは、「思っていたのとは違う」とか「なんだかよくわからなかった」という感想が多い様子。
たぶん予告編や、冒頭のシーンから、ミスリードというか誤解をして、つまり「これは、こういう映画なのだろう」と思いこんだ事で、終盤に至ってそうではない類の作品だった事を上手く消化できていないのだと推測する。

冒頭の「夢」のお話からは、なんだか「心を蔑ろにした、機械と科学に支配された悪い世界」と、それに対抗する天真爛漫で自由闊達な「魔法のお姫様」のストーリーが想像できる。よくある陳腐な話だ。僕はこのまま「フクシマ」とか「放射能」を象徴する何かが出てきたら嫌だなあ、なんて思ったものだ。

でもこの映画は違う。
魔法というのはソフトウェア技術であり、「王国」のハード屋との対立や協調が、物語の大きな柱になっている。
主人公の女の子(とてもよく動く、元気で魅力的なキャラクターだった)が寝るたびに訪れる、現実世界とリンクしているような「王国」のストーリーもまた、ファンタジックな要素が実はほとんど無い。
これが「おおかみこどもの雨と雪」の監督だったら、きっと後半は現実が侵食されて、少女の想いが奇跡を起こすだろう。
そうではなくて、どこまでも技術と行動で、現実に生きる人間が現実的に問題解決に当たる、要はエンジニアがエンジニアリングを頑張るという、「プロジェクトX」みたいなお話と、企業内紛争に伴う軽犯罪と、少女が御都合主義的に掘り下げる父母の過去、それが1本のストーリーとなっている。

奇跡・ミラクルの類は、僕が認識できたのは1つだけ、でももちろんここには書かない。
きちんと感動するし、瀬戸内海の風景はとても美しい。メカニック描写も格好良いし、「夢」パートの楽しさも特筆できる。
でも、どこか理知的なのだ。エモーショナルかつロジカル。
なるほど「Stand Alone Complex」の監督だ。

 

そういえば、ひとつ面白かったのが、この映画では「反省して心を入れ替える」人がいない。僕が覚えている限り、だれひとりとして安易な変化をしない。
各人がその少しずつ代わり、でも今までの生き方も否定しない。映画の明るい雰囲気には合っていた、と思うが、同行者はそれほど気にしていない様だった。

夢から始まり日常と現実を描き、未来へ到達する。今の時期だからこそ楽しめる、自動化モビリティと人間のお話。
この作品に限っては、不思議は本題ではなかったのだ。そこは歪というか、この種の「爽やかな劇場アニメ映画」の定石から外れている。なんで外れたのかは、よくわからないけれど。

 

ひるね姫~知らないワタシの物語~ (1) (角川コミックス・エース)

ひるね姫~知らないワタシの物語~ (1) (角川コミックス・エース)

 
神山健治Walker ウォーカームック

神山健治Walker ウォーカームック

 

 

 

映画「この世界の片隅に」片淵監督舞台挨拶とサイン会





昨年に観て大感動した映画「この世界の片隅に」が、お気に入りの映画館「静岡シネギャラリー」で始まった。もう1回、観ておきたいと思っていたところ、なんと監督の舞台挨拶があるという。

整理券の配布は朝の9:30。たぶん、思いっきり混むであろう、という友人のアドバイスに従い早めに列に並ぶ。40番台の整理券を入手できた。

映画は14:25から。一旦帰宅し、昼食後に出直す。
余裕を持って家を出たのに、事故渋滞その他の事情でぎりぎりの時間に到着となった。途中で目についたコインパーキングに車を置き、自転車で急ぐ。こういう時、折り畳み自転車の機動力は本当に便利。ただし駐車場代が想定より高くついてしまった。

 

のん、呉へ。 2泊3日の旅

のん、呉へ。 2泊3日の旅

 

 

映画は、もちろん素晴らしかった。
たぶん僕の友人知人ならば、ほとんどの人が気に入ってくれるのではないか。別に宣伝をする訳ではないが、このブログを楽しんでいる人にも、何かしら波長が合う部分がある、と思っている。でも上手く説明できない。

 

しかしこの感動は何なのだろう。
話の筋は把握しているし、どういう名場面、見どころがあるのかも、今はインターネットを介して色々と知ることができる。でも引き込まれてしまうのだから、やはり大した映画だ。
今回は1階の大ホールでの上映で、ここはスクリーンの品質はそこそこだけれど、音響はなかなか良い。笑い、泣き、最後には盛大な拍手。この辺りは、さすがに舞台挨拶に来るだけの(つまり朝から並ぶだけの)人達ならではの一体感だった。

監督の挨拶とスピーチも本当に楽しかった。
それほど長い時間ではない。
静岡といえばちびまる子ちゃんの制作で繋がりがある、といった思い出話から、映画のエピソードと現実との繋がりを調べ、そしてそれを実感するために、例えば原作にある「戦時中なので、野草を摘んで食事にした。塩の配給が滞っているため、塩抜きの料理になった」という状況を、きちんと試したのだという。その不味さ、味気なさが映画を作るにあたって大切なのだと。

誠実さ以外は本当に普通の人にしか見えない監督の、木訥な語りを聞けただけでも、今日は静岡市まで行った甲斐があったというもの。
おまけにサインまでいただいてしまったし、少し会話もできた。
作品のファンになっても、作り手に会いたいなんて普段は思わないのだけれど、この映画に関しては例外だ。

短い、質疑応答もトークショーも無い舞台挨拶。でも、まるで親友の(良い雰囲気だった)結婚式の後みたいに、知らない人とでも「良かったねえ」と言い合えてしまう、不思議な親密さがあった。

前にも書いたが、この映画に出会えて本当に良かったと思う。
漫画が原作のアニメーションでも、世界の片隅を切り取ったものなのだと監督は行っていた。つまり映画と現実は繋がっているのだ。今日はそのことをずっと考えている。たぶん寝るまで考えるだろう。

良い1日でした。
映画が好きで、良かった。

 

 

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

 

 

映画&ケーキ(日常)



映画を観た(ひるね姫)。

車の定期点検もした。

昼食に入ったピザ屋(新静岡セノバの隣の、ペガサート1階)は、それはそれは酷かった。もう行かない。ピザはそれほどでもないけれど、接客その他の印象があれほど悪い飲食店も少ないのではないだろうか。

それから、夕方からは親戚の家でちびっ子達と楽しく過ごした。

そんな、書くべきことはたくさんある1日だったのだが、いつの間にかこんな時間。明日は早いため、もう寝る。それに、今日は本をどっさり購入したから、目を通しておきたい。



 

 

https://www.instagram.com/p/BRxdCxWDPNM/

とりあえずケーキについてだけ書く。

お気に入りの「笠井珈琲店」へ、映画の後に行ってきた。セノバのシネコンの後はこの店が個人的定番。おやつには遅いが、夕暮れには早い時間帯だった。
今日は店主さんから声をかけてきた。
「ハーフ、でいいですか?」
これはつまり、「いつも注文する、1/2サイズのアイスコーヒーと、温かいブレンドコーヒー、クリーム無し、のセットですよね」という意味だ。いつの間にか顔を覚えられていた。他のお客さんが、ちょっと驚いていたようだ。
このアイスコーヒーは、少し甘くて、濃い。クリームが上に注がれていて、どうやら混ぜずに飲むのが作法らしい。
ブレンドコーヒーは、わりとたっぷりの量。クリーム無し、を指定するとさらに増量される。ブラックで飲むのならば、まず選択しておきたいオプションである。

そして、僕がケーキを迷っている間に、少し薄めに、でも普通に満足できるサイズの綺麗なケーキが皿に載ってやってくる。これはサービスというか試作品のお試しということらしく「ラズベリーのバタークリーム・ケーキ」だと説明される。ここでまた他のお客さんの会話が止まる。
なるほど有難い。でも自分はきちんと注文もしたい。だから、お礼とともに、自身の選択も伝える。「フルーツのパウンドケーキをお願いします」と。
するともちろん、フルーツのパウンドケーキも供される。

なかなか壮観な眺めとなる。
小さめのグラスに入ったアイスコーヒーと、大きなカップ入りの温かいコーヒー(途中で注ぎ足してくれた)。
そして、鮮やかなピンク色のバタークリーム・ケーキに、しっとりして量感のあるパウンドケーキが並ぶ。
甘みが上品で、コーヒーも飲みやすい味だから、これが全てすんなり入ってしまう。バタークリームといってもラズベリーの酸味が効いていて、爽やかささえ感じる。
もっと食べ応えのある、例えば「ガトーバスク」だったら、ちょっと大変だったかもしれない。

でもやはり、バタークリームのケーキとパウンドケーキだから、夕食前にあまりお腹が空かなくて困ってしまった。ちびっ子達の食欲が旺盛、そして大皿から銘々に取り分ける料理ばかりだったから良かったものの、やや贅沢に過ぎる気がしている。
しかし美味しいケーキだった。コーヒーもそうだが、今日のおやつこそ、「存分に楽しむ」ことの体現だったと思う。

 

では寝ます。
映画については後日。普通に美味しい、という表現があるが、そんな作品でした。

 

神山健治Walker ウォーカームック

神山健治Walker ウォーカームック

 

 

 

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