知人に頼まれてアルバム(フォトブック)の注文作業を行った。
写真の選定や順番付けはしてあるけれど、必ずしも1ページに画像1枚の配置ではないから、レイアウトに迷う。
知人が家族や親戚と行った旅行のアルバムで、当然ながら僕は参加していない。なのでどうしても、写真の重要度、トリミングの是非等に迷いが生じる。
しかし作業自体は簡単だ。Mac用にも使いやすいレイアウト調整用のアプリが配布されていて、ほとんどマウスだけで数十ページのアルバムが完成する。しかも安い。
おまけに数日で納品される。速い。
作業前にいくつかのサービスを比べてみた。大抵はWebサイト上で作成から注文までできるし、今日のようにパソコン用の専用アプリ、もちろんスマホやタブレット用のアプリもある。
だから知人も僕に任せずに自分でやってしまえば、できない事は無いと思う。LINEで文字と画像をやりとりできる人間ならばアルバムが作れるようになっている。しかし面倒な作業ではある。
たとえ家族と、それから叔父叔母や祖父母との旅行写真であっても、色々と考える作業を進めるのは疲れそう。なので、今回のように、全くの赤の他人(僕)に最終工程を任せたのは英断だったといえる。
おそらく写真の選定だけで疲れ果てたのではないか。
ちなみに作業のギャラは「(千円札で支払った時の)お釣りでいいよー」と言ってある。そしてその条件だと、220円の儲けが発生する事が注文時に判明した。
作業時間は2時間と少し。操作より上記の如くレイアウトの試行錯誤に時間がかかってしまった。時給は110円以下だ。
たぶんケーキでも奢ってもらえると予想している。住んでいる土地が遠く離れ、数年に1回しか実際に会わないのだけれど。
年配の人達が撮った画像がおしなべて使いづらかった事も時間がかかった理由の1つだ。おそろしく画質が悪い。15年前の感覚でカメラの画質設定をしているか、15年前のコンパクトカメラを使っているのだろう。
老人の多くは、デジタル関連の物事に対して、とりあえず“低い水準”を選ぶ傾向がある。
パソコンの性能は「メールとインターネットができればいい」とする。スマートフォンは「わからない、LINEができればいい」、そしてカメラは「画質は最低でいい。どうせ撮っても見ないから」と言う。
そして8割くらいの状況で、大して問題も無く過ごせてしまう。でも残りの2割で、他人を巻き込んだ大事になる。
これは節約指向というより「自分の知らない物事に対して、言われるままに水準を上げるのはみっともない」と考えているように僕には思える。
だから家電量販店で2GBのSDカードを買って*1、でも容量不足になるのは嫌だから、おそろしく低い画質で保存するように設定する。
そして今日、僕が1ページB5サイズくらいのアルバムを作る時に、その画質が問題になってくる。
現実の世界では「とりあえず多め」は大抵が悪だが、デジタル機器の世界においては大したコストにもならない。というか、潤沢である事を良しとするために技術を発達させてきた分野なのだ。
画質は後では上げられない。そして「普段は小さな画面で見るだけだから」と低画質にしても、必ずそうでない局面はやって来る。
“情報的に潤沢であること”に抵抗を持たなくなった世代こそ“次の年寄り”ではないだろうか、と思う時がある。あと20年くらいでじわっと切り替わりがあるような予感がしている。
午後は自転車を整備したり、読書をして過ごした。
夕方に、アルバム制作で疲れた自分を労うために外出したが、お目当ての店が全て閉まっていた。どうして喫茶店やカフェが16時に閉店するのだ。
夜には近所の稲荷宮で開かれているお祭りに行ってきた。
どの土地でも小さなお祭りには特色がある。
子供の頃には見たこともなかった、または本で読んだことがあるけれど実際に見るのは初めての夜店に出会うには、生まれた町を出なければならない。例えば僕は「あんず飴」は大学生になってから初めて食べた。静岡県に住んでいた時には見たことがなかった。
今日はそういう「香川っぽい夜店」を期待して行った*2。
しかし残念ながら、あまりに小さなお祭りで、地域の特色もなにも無かった。
神社自体は古くて立派だが、祭は自治体と子供達のイベントであり、そもそも現金が使える屋台自体がほとんど存在しない。子供達は予め配られた引換券で、金魚すくいや綿菓子を手に入れていた。
大人は焼きそばやヤキトリを食べていたけれど、あれだって顔見知りの「屋台係」から貰ったものだ。
そんなわけで、自分は何も買わず、ただ参道を少し歩いて帰ってきてしまった。
なんとなく夕食がソース味になったのは仕方がない。
ソース味の焼きそばなんて久しぶりに作った。
どういうわけか、付け合わせの赤タマネギのアチャール(作って冷蔵庫に放置していた)が猛烈に合う。カレーより合うかもしれない。
あらゆる作業や外出が目論見通りに行かなかった日曜日。
しかし大きな失敗もなく、平和ではあった。
そろそろ寝ようと思う。おやすみなさい。