紫蘇ゼリーのつくりかた

今日は散々な一日だった。
旅の疲れと睡眠不足、そして暑さと湿度が原因だと思う。常にぼんやりとした頭痛が続き、頭がぼうっとして仕事が進まない。すぐに身体が疲れるし、涼しい部屋では寒気らしきものを感じる。でも基本的に暑い、そんな状況だった。

帰宅前に友人夫婦の家に寄り、長野土産を渡してきた。
その際にいただいた手製の紫蘇ゼリーがとても美味しかった。今日の不調の何割かを吹き飛ばす、爽やかな味。あまりに喜び、褒め過ぎたせいか、帰りに1つ、包んで持たせてくれた。
君ならば作れるだろう、と作り方のメモも添えてあったたため、ここに公開する。

  1. 紫蘇ジュースを作る。酸味はクエン酸がおすすめ。砂糖は少なめ。
  2. 紫蘇ジュースで紫蘇ゼリーを作る。よく冷やす。
  3. 塩をふって食べる。

これのどこが作り方なのだ、と思うものの(でも言わない。紳士なので)、きちんと美味しいのだから凄い。
最後の塩が効いている。
たぶん紫蘇ジュースの製造時にも塩を加えているのではないか。

紫蘇ジュースにはミントも合う。
庭で野生化したような雑なミントをざくざく入れると美味しい。あれもたぶん、塩を入れると良さそうな感じがする。赤紫蘇とミントと炭酸水、なかなか美味しそうではないか。それでゼリーに仕立てたら、さらに美味しいかもしれない。

 

 

というわけで、自分用に紫蘇ジュースを仕込もうと考えている。
さすがに今日は作る元気がない。次の週末には作りたいところ。


先ほど本日2個目の紫蘇ゼリーを食べたところ。
夕食はゴーヤーチャンプルーで、これがたいそう苦く感じた(ご飯は一口だけにしておいた。そう、今日は弱めの吐き気もしていたのだった)。薬的な苦み。
野菜ジュースですら、我慢して口にする健康食品のような味だった。
美味しいのは紫蘇ゼリーと、冷やしたハーブティーだけ。今日はどうやら、味覚もおかしい。

しかしようやく、頭痛も、全身に溜まったような熱も、消えてくれた。シャワーも浴びて、気分がすっきりしている。
明日は会議と会合とミーティングと打ち合わせが続く、悪い冗談のようなスケジュール。身体は明日の昼間に休め、今から朝までは脳を休める。つまり、寝る。

 

 

さて日常へ

昨日まで遊び呆けていた。だから今日は、日常を取り戻すためにのんびり過ごす。旅先でものんびりしていたが、それとは別の弛緩が必要なのだ。

実際、今日はのんびり過ごした。
あまりに何もしなかったせいで、今になって旅の片付けや、ちょっとした工作をする羽目に。
本当は旅の記録をここに書いておきたかったけれど、でもそれは後日に回す。

今日は休日としての日常、つまり美味しいパスタを食べたり(ALLEE RESTAURANTでクレソンのアーリオオーリオを食べた)、MARIATHANKで素敵な桃のタルトを食べて過ごしたのだった。書店で本も買えたし、趣味の道具も少し揃えた。そういうことをしていると、部屋が片付かない。平日の日常に向けて今から種々の要素を片付けていく。そして、寝ます。

ぜんぶ観た!帰ってきた!楽しかった!:北アルプス国際芸術祭2017

旅が終わって、その日に行った場所のことを思い出すと、不思議な気持ちになる。
「今日の午前中はあんなところを歩いていたのに、今はもう家で、いつもの風景」という感慨のようなもの。
旅で知り合った人とも、もう完全に他人。今はFacebookInstagramでのフォローなどもあるけれども、じゃあ再会しましょうか、なんて風にはならないだろう。それでも旅での小さな会話や、相席や、手助けが無駄だとは思えない。
特に今回のような一泊二日の短期旅行では、その不思議な感覚が強い。たぶん明日の朝には、消えて無くなる感覚。

 

さて今日は、朝がやたらと早かった。
安い宿に泊まったのだけれど、どうやら登山趣味の人達のための宿でもあったようで(だから精算はチェックインと同時)、夜中の3時過ぎには人の動く気配がする。壁は厚いが、廊下の物音は聞こえてくるものだ。
そんなわけで僕も、早く寝て、そして早く起きてしまった。買いこんでいた“おやき”と野菜ジュースで空腹に対応した後、二度寝したくらいに眠かった。

しかし信濃大町駅周辺、というか大町の中心街は、基本的に夜も朝も、食事が不便だ。
朝は本当に苦労した。選ばなければ喫茶店はあるし、駅の立ち食い蕎麦は有名らしいけれど、気の利いた旅先らしい素敵な食事を求めると、途端に“詰む”ことになる。なにしろ芸術祭の展示は10時からの開始であり、それまでは何処かで時間をつぶす必要がある。
ちなみに気の利いた食事、例えば地元の果物を使ったパンケーキとか焼きたてのパンとコーヒーとスープ、みたいなものは、Googleに聞いたところ「白馬高原か松本市へ行け」とのこと。つまり、若い人ががんばっている小洒落たお店が極端に少ない土地柄のようだ。

僕は車で黒部温泉郷に行き、そこのケーキ屋さんでコーヒーとケーキ(ルバーブのティラミス)を食べた。早朝におやきを食べていたからこれで十分。
この店はスープやお店で焼いたドイツパンもメニューにあったから、ずいぶん多くの人が「助かった」ようだった。


素泊まりで朝食は外で済ませるつもりの、小綺麗な女の子達やカップルの「朝食難民」が、駅前やバスターミナルに散見されたから、彼らのためにも次は配慮願いたい。ちなみに昨日は、ランチ難民も見かけた。店を選ばなければ何とかなるが…という残念な状況だった。


もし僕が、次の北アルプス国際芸術祭に参加するとしたら、宿はどこかの温泉郷にする。駅前と中心街が芸術祭の中心とはいえ展示の数はそれほどでもないし、拠点にするには街は過ごしづらい。ならば、温泉旅館やホテルでのんびりして、ゆっくり芸術祭も楽しむ、というスタンスが良いと思う。

 

 

そう、展示の数自体がそれほど多い訳でもないのだった。
瀬戸内国際芸術祭の時は、宿の立地にしろ、移動・食事の時間配分にしろ、「観たい展示(と船の時刻表)」を中心に考える必要があった。
今回の芸術祭の規模で、しかも自家用車があるのならば、1泊すれば時間が余るくらいなのだ。他の観光と組み合わせて丁度良いくらい。
僕はところどころで自転車を引っ張り出して、田舎道の散策もして、ついでにスーパーマーケットで地元のパンやお菓子を買って、とのんびり過ごしたのに、正午には展示全てを(もちろん現時点で参加できるものに限るが)観てしまった。何も計画せず、結局はガイドブックも「読み物」としてのみ活用し、ほぼ無計画で、そんな感じ。
それでも物足りなくは感じていないのだから、良い作品揃いだったのだろう。いや、中には「はるばる山奥まで歩かせて、これかよ」と思ったものもあったのだが、もう忘れた。

 

そんなわけで、帰りはあちこちに寄り道をして、それでも遅めの夕食は自宅で摂ることができた。夕食は途中で買った「峠の釜めし」。
長野県、以外と近い。元気があったら、松本も寄れたかもしれない。

というわけで、実に楽しい芸術祭と、そして旅でした。
写真や詳細は後日。今日はしっかり寝る。

 

美術は地域をひらく: 大地の芸術祭10の思想  Echigo-Tsumari Art Triennale Concept Book

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直島から瀬戸内国際芸術祭へ─美術が地域を変えた

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瀬戸内国際芸術祭2016 公式記録集

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  • 作者: 瀬戸内国際芸術祭実行委員会,北川フラム
  • 出版社/メーカー: 現代企画室
  • 発売日: 2017/07/19
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長野、北アルプス、信濃大町駅近く。

予定通り、午前中には長野県に到着し、北アルプス国際芸術祭に参加。あの瀬戸内国際芸術祭と比べるのは酷だが(でもしばらくは比較します)、なにしろ規模が小さいから、想定よりペースを落として、つまり裏道を自転車で探検したり書店に寄ったりして会場を巡った。瀬戸内でいえば、小豆島の半分くらいの島だけが会場だと言えばぴったりかもしれない。本気で計画して挑めば、1日で楽々回れそう。

今回が最初のイベントだから、慣れていない部分は目に付く。しかしそれでも、今日はもう完璧に楽しめたから、不満は言わない。というか詳細は後日、書く。

 


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今は宿で、甘いものを食べたりお茶を飲んだりして過ごしている。信濃大町駅近くに宿をとったが、駅前の街が夜は完全に静まっている。街の規模からか、普通の田舎っぽいチェーン店が無い(行かないけど)。それから、若い人向け、かつ、お酒を飲まない人のための店も見つからない。商店街から一つ裏道に行くと、スナックがやたらと存在するのだが。

この町は本当にスナックが目立つ。そして、個人病院とそれに併設された医師宅が立派。みんな古くて重厚、文化財みたいなお屋敷も普通。不思議な町だ。

そんな感じで、夜は何もする事が無く、とりあえず車でショッピングモール(スーパー、ドラッグストア、ホームセンター、そして大きな百均)に行き地元菓子などを買っただけ。星が綺麗かな、と山に寄ったが曇り空でそれほどでも無い。

スーパーで安く売っているパック詰めの串団子にすら「くるみ味」がある。さすが長野県。

それから、赤飯に金時豆が乗っていた。赤飯饅頭が売られていたから思わず購入。好物なのです。

https://www.instagram.com/p/BWjZzS6n0J3/

 

https://www.instagram.com/p/BWjcJlUnMZj/

 

https://www.instagram.com/p/BWjqBafHVLA/

 

https://www.instagram.com/p/BWj2X9BHUiY/

 

そして旅の前の日

明日は朝早くに出発し、長野県を目指す。

http://shinano-omachi.jp/wp/wp-content/uploads/2016/12/101.jpg

以前から書いていた「北アルプス国際芸術祭2017」に行く。
どうやら晴れそうだ。
距離感は、頻繁に行く三重県北部とそれほど変わらない。つまり、長距離運転の時間は、三時間以上、四時間未満といったところか。上手くいけば、午前中から芸術祭を巡ることができる。

そのためには、まず早く寝なければならない。
もうお風呂は入った。髪もそろそろ乾く。

荷造りはとうに済んでいる。

https://www.instagram.com/p/BWhspmKH2eJ/

今回はKankenの小さなバックパックに全て収まった。山が隔てているとはいえ、隣県の、それも田舎ながらも駅前に宿泊するのだ。車だから荷物の制限はほぼ無いのだけれど、必要なものが思いつかない。

バックパックに装着した革のくしゃっとしたものが、先日完成したかばん。とりあえず外に取り付けて運用可能なことをテストする。旅先で展開して使うわけだ。

https://www.instagram.com/p/BWfHH8wH57h/

 

 

というわけで、寝ます。今日はそれなりに疲れた。きっと、ぐっすりと眠れるだろう。

 

北アルフ?ス国際芸術祭 公式ガイドブック  JAPAN ALPS ART FESTIVAL 2017 OFFICIAL GUIDEBOOK 信濃大町 食とアートの廻廊 2017.6.4-7.30

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  • 作者: 北川フラム,北アルフ?ス国際芸術祭実行委員会,岡澤浩太郎,中村志保(ブックインブック),原游,山本康平
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  • 発売日: 2017/04/10
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ARTcollectors'(アートコレクターズ) 2017年 7 月号

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冷や汁的なそうめん。そして新しい革かばん。

本で読んだりTV番組を参考にしたり、と人によって様々だが、僕は帰宅時の運転中に夕食の作り方を考える。
わりと長い時間、車を運転する必要があるため、その間に何を食べたいか、どこで買うか、目的のものが買えなかったらどうするか、帰宅してからどのように準備し、調理するのか、まで具体的に決めてしまう。そして、家に着く直前に、スーパーマーケットに寄る。

今日はおそろしく疲れていた。
外食で済ませちゃおう、とも考えたが、それも時間がかかる。コンビニでカロリーメイト的なものを買うのも良いが、なんとなく「きちんとした滋養」が欲しい気分でもあった。
こういう時は、とにかく早く帰宅したい、という想いが夕食のレシピにも反映される。ささっと必要なものだけ買って、家に到着した。
帰宅し、顔を洗ったあとに、以下の手順で夕食を作る。

  1. 鍋にお湯を沸かす。
  2. フライパンで粕漬けの白身魚を焼き始める。
  3. 卵焼き器にそぎ切りにした葱を並べ加熱。
  4. 葱が焦げそうになったらひっくり返しつつ、茗荷とキュウリを切っていく。
  5. 葱の脇に味噌をべたっと置き、火を通す。
  6. 鍋で素麺を茹でる。
  7. 茹で上がった素麺はよく洗い、丼へ移す。
  8. 粕漬けの魚はほぐして、丼に入れる。
  9. 味噌、葱、茗荷の半分を丼に。さらに豆乳と氷を加える。
  10. 鰹節をたっぷり、生姜を少し、なぜか練り胡麻も投入。
  11. めんつゆで味を整えて、残りの茗荷も加えて完成。

元より茗荷とキュウリをたくさん食べるつもりの料理を考えていて、実際は、茗荷とキュウリが主役過ぎるのではないか、という品になった。でも美味しい。
可哀想なくらいに安かった謎の粕漬け魚も、きちんと活躍している。鰺の開きよりもほぐすのが楽だし、量も増やせる。
この冷や汁的な素麺と、冷蔵庫にあったかぼちゃの煮物、そして酢漬けのタケノコで、夕餉とする。

 

帰宅途中に考える、といえば趣味の工作も、大半はこの帰宅時間にアイデアを具体化する。この場合、そのままホームセンターなどに寄り道してしまうのが難点かもしれない。
ちなみにパソコンで作るイラストや印刷物は、仕事中に考えることが多い。これも下絵から清書、レイヤー構造やアレンジまで決めてしまう。自分が関係無い会合などがあれば、具体的な作業順序まで決定する。少なくともAdobe illustratorでは、この「思考実験」的なものがとても有効。

 

そんな帰宅時の妄想が結実した、最新の成果がこれ。

https://www.instagram.com/p/BWfHH8wH57h/

薄い革でサコッシュを作ってみた。

サイズは(サコッシュとしては)やや大きめ。ぺらっとしたショルダーバッグ、というほうが近い。
畳んで収納、旅先で拡げて昼間の散策などに使う。
かなり軽くできた。
そして、これは革の性能のおかげなのだが、やたらと頑丈である。
端切れだったから、材料費だけならば千円以下。端切れだから、革の端を活かさざるを得ないデザインとなった。
ともあれ、週末の旅に間に合って良かった。

 

 

Kindle Paperwhiteが届いた。

Kindle Paperwhite 32GB、マンガモデル、Wi-Fi 、ホワイト

昨年購入したAmazon電子書籍リーダー「Kindle」がとても便利。先日のセール期間に、ついうっかり、Kindleの上位機種である「Kindle paperwhite」を買ってしまった。

 

Kindle Paperwhite 32GB、マンガモデル、Wi-Fi 、ホワイト

Kindle Paperwhite 32GB、マンガモデル、Wi-Fi 、ホワイト

 

 色は白。マンガモデルの、広告表示無し品。ちなみにWi-Fi専用。

価格はKindleの2倍くらいか。
良くなったところは、まず色合い。電子ペーパーが、その名の通りに、より白くなって、読みやすくなった。今までのKindleが明らかに灰色の、わら半紙的な色だったから、これはとても嬉しい。でもKindleの薄い灰色、あれはあれで目に優しいとは思う。

そして解像度。
Kindleでは、漫画やイラストは、ちょっと残念な品質だった。細い線やトーンはすぐに潰れてしまう。文章ならば気にはならないものの、画数の多い漢字については、やはり欠けや潰れが生じてしまう。

バックライトの有無については、今のところ優劣の判断ができない。暗いところで(例えばベッドサイドのライトだけで)読書をする習慣が無いため。だから今までも不便はしていなかったし、今後も不要ならば設定で切ってしまおうと考えている。とはいえ、選択肢が増えたことは有難い。

記憶容量も増えた。
今までは、読んだ本、特に容量が多い漫画本などは、こまめに端末から削除して、空き容量の確保に努めていた。PDFファイルなどを端末に送信できるのだけれど、それだけでも10数GBの空き容量はすぐに圧迫される。
今回は、「Kindle paperwhite マンガモデル」という、特別に記憶容量が多いモデルを選んだ。デジタル機器に関していえば、潤沢なものが“勝ち”であり、ある程度の潤沢さは使い途さえも変えていく。かつてのiPodではないけれど、ようやく安心して「とりあえず放り込む」運用が可能となった。

残念なところ。
まずサイズが大きく、重くなった。
画面の寸法は、たぶん同じ。上下の枠部分が目立つ。つまり、不要な部分が大きいわけで、1cm以下の違いとはいえ、気分の良いものではない。
重さも、明らかに違う。といっても、たぶん慣れるだろう。十分に軽く、というか予想以上に軽く感じたので、安心している。

厚みが減ったのは有難い。
扱いやすさ、という点では薄さはとても効いてくる。
画面と“ふち”の段差が少ないのも、ちょっと使っただけでその良さが実感できた。

もう一つ、残念なところがあった。
Kindleでは側面にあった筐体の接合部が、前面に移動した。それだけならば別にかまわない。しかしこのパーツの隙間が、ごく僅かだが一定ではないのだった。
よく見ればKindleの接合部だって、接合部はかっちりと一定ではないのだが、しかし側面にあるから気にならない。目に入る部分は、もう少し丁寧に仕上げて欲しかった。

 

Kindle (Newモデル) Wi-Fi、ブラック、電子書籍リーダー

Kindle (Newモデル) Wi-Fi、ブラック、電子書籍リーダー

 

 

ともあれ、購入してから3分で使用開始可能というのは、Amazonらしくて素晴らしい。充電だってきちんとされていて、今晩から使えてしまう。
さて、カバーはどうしよう、と考えている。
先ほど、とりあえずのカバーを自作してみた。タイベック・シートを切って、ぐるっと巻き込む形で貼り付けた。貼り付けにはいつもの「コマンドタブ」を活用。つまり、以前の「Kindle自作カバー」と同じ構造。
ぺらっとした素材だから、本当に防塵・防擦程度のカバー。白いタイベックは、ほとんど和紙の見た目。早急にきちんとしたカバーを作らねば、という気持ちになっているけれど、週末の旅にはこれで間に合わせる。

 

こういうデジタル機器を触り始めると、夜がどんどん更けていく。それは睡眠時間確保の敵であるから、もうKindleは放り出して、寝ることにします。おやすみなさい。

 

Kindle for PC (Windows) [ダウンロード]

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Kindle for Mac [ダウンロード]

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異世界の人と出会う

仕事の後に、知人と待ち合わせをして夕食を食べることになった。
僕が先にお店に到着して、席が空くまで少し入り口で待つことに。なんだか休日のファミレスみたいだな、と思いながらも携帯電話を眺めつつ待つ。

しばらくしたら、知らない人達が店に入ってきた。
そして、第一駐車場が満車であることを店に告げ、第二駐車場(少し離れたところにある)の存在を教えられる。そういえば僕が第一駐車場に入った時点で、空きが無かったのだった。

その知らない人達、年配の夫婦とその息子夫婦、といった人のうち、家長らしきおじさんが声をかけてくる。

「お前は1人で来ているだろ?だから、第一駐車場から第二駐車場に移ってくれ」そして「また全員を車に乗せ、第二駐車場を探して停めて、歩くのは嫌だ」と言うのだ。

まあ、正直な要求だとは思う。
しかしどうして、1人だと駐車場を譲らなければならないのか。
隣で聞いていた店員さんが「当店では、お先に停めたかた優先とさせていただいておりますので」と言ってくれる。本来はそんなルールは無いだろう。しかしルールブックに載っていなくとも、譲る理屈は存在しない。

ちょっと怖かったのが、その時に後ろにいた彼ら家族全員が、「そうだ。パパァの言うことがもっともだ」「このまま路駐していたらみんなが迷惑する」「外は暑い」と、まるで僕が譲るのが最適解かのように振る舞っていたこと。
何がパパァだよ、路駐しているのか無茶苦茶だな、とも思ったのだけれど、相手はイヌのイラストが刺繍されたスウェット・シャツを着ているような人達だったから、怖くて言えない。奥さんは「Excellent Days!」とプリントされたTシャツを着ていた。息子夫婦は「海人」とか「熊出没注意」のTシャツ。お子様はディズニー柄の魚河岸シャツ。なんといいますか、静岡県における田舎のヤンキーの典型みたいな人達。
しかし真に怖いのは、こういう世間ズレを、家族全員で共有している事だった。はっきり言って、その風体よりも、何倍も怖い。

さあどうしよう、もめ事になったら嫌だなあ、と考えながら「悪いけれど、車を動かすつもりはない」と伝えたあたりで、店主さんが登場して、彼らには退店してもらうことに。

なにしろ車を店の前の道路に停めたままで平気な人達である(交通量が多く狭い道だったため、自主的な交互通行が発生していた)。店側としてもトラブルの臭いを感じ、嫌がったのだと推測する。
店主さんは同時にコックさんでもあるため、手に大きな二股のフォークを持っていた。もしかしたら、あれは武器だったのかもしれない。

 

友人と食事中に、彼らの話をした。
おそらくは異世界から転送されてきた異世界人だったのではないか、ということで結論。その世界では、大人数の客がそうでない人にわがままを言うのが当たり前なのだ、きっと。

 

食事は普通に美味しいハンバーグでした。
オーソドックスな洋食屋のハンバーグ、なのに黒胡椒が効いていて珍しい。ちなみに写真は撮り忘れた。

この写真は、スマホのマクロ機能を試したもの。
なるほど汚い。

 

 

「そんなんじゃ回らない」のならば、止めるか、あるいは“そんなん”を変えるしか無いのでは。

今日は、ちょっとつまらない話を。

 

仲間内で、なあなあで済ませる、というのは組織や社会の欠かせない機能だと、心から思う。僕もそういう領域をできるだけ増やそうと思っているくらいだ。

でも、それは絶対の正義ではない。
きちんとルールを守る人、守ろうと願う人がいたのなら、その人を非難してはならない。

制限速度の2割増しで走るのが“常識”の道路で、制限速度以下で安全運転をしている車がいても、クラクションを鳴らしてはいけないし、嫌がらせをしてはならない。例え遅いほうが危険だとしても。

相容れない自由意志が衝突する、もっと簡単に言うと「常識が異なる他者」が集まって何かをする、という時にこそルールは力を発揮する。それは普段の大多数が得るものよりも少ないかもしれないけれど、でもより多くの人間が“自由”を達成するための力だ。

先ほどの制限速度の話は、いささか理想主義的かもしれない。しかし不満があるのならば、その苛つきは制限速度を変える方向に動くべきであり、たくさんの人の当たり前で、そうでない人(例えば他県ナンバーの余所者)を押さえ込むのは、正しいか否か、という観点では正しくない。
少なくとも、コンプライアンス云々、と普段から唱えている集団だとしたら、嘘つきになる。

 

 

 

具体的に書くと問題があるから書けないのだけれど、だからぼやけた例え話でしか書けないのだが、概ね上に書いたようなことを上司との面談で話してきた。
ほんのちょっと具体的に書くと、労働法の遵守を、もう少ししっかりして欲しい、せめて「これくらいうちでは当たり前」で意見要望を却下しないで欲しい、と伝えたのだ。そういう指摘をする新人を悪く言わないで欲しい、という話が発端だったか。
「君は堅いな。休憩したければすればいいし、残業だってきっちりつければいい、たった数分のことじゃないか。任意参加のイベントは休んでもいいんだよ」と上司は言う。「そりゃあ変わり者扱いされるかもしれないし、仕事の効率だって落ちるから、みんな嫌がるかもしれないけれどね」とも。
しかしまあ、変わり者と言われても構わないけれども、それぞれ1日に数分から数十分のそれを(あるいは定時後の“親睦を深める”イベントを)、堂々と社会のルールと自分の希望通りにやっていくのは、なかなかに胆力が要るものなのだ。
そんな力を使うくらいならば、同調圧力に逆らわず、正しさよりも組織の常識に従う、それが会社組織の下位に居るものの弱さであり、だからこその意見具申だとわかって欲しかったのだ。
法律違反の指摘や改善案を「これくらいは社会人として常識」で却下する人達の前で我を通せるほどに、僕は彼らを信用していない。
どうしてより大きなルールを守るのに、胆力を要求されるのか、という想いもある。

 

どうして今の時代、マイノリティの権利や考え方を“普通の人達”がわざわざ知ろうとするのか。それはこの、弱い側、少ない側の人間に寄り添いたい、せめて想像力だけでも身につけたい、と考えるからだと僕は捉えている。そして、その為の規範は、おそらく自分達自身をも守る。
僕達だって、場所や状況によっては、簡単にマイノリティになる。転職や転勤をしていると、それがよくわかる。もっと言うと、転勤ひとつで、そういう想像ができるようになるのだけれど、残念ながら僕の今の勤め先は、ほとんど転勤というものが無いのだ。

今すぐ、という訳ではない。
ただし近いうちに転職をしようと考えている。
いや、前からそれは延々と悩んでいたわけだが、こりゃあ具体的に動かないと身が持たないぞ、と思えた夜だったのでした。

 

 

 

 

ブラック部活動 子どもと先生の苦しみに向き合う

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