ウナギが絶滅しても、コンビニは無くならないじゃん

表題の言葉は、今日、お昼休みに聞いた。

菓道 蒲焼さん太郎 1枚×60袋


ウナギに関しては、県内に産地を抱えていることもあり、まるで無関心という人のほうが珍しい。僕のようにWebや書籍で状況を知っている人や、新聞を読んでいる人の多くは、「むやみに食べるのは止めておこう」というのが共通認識だろう。もちろん程度の差はあれど、今さら土用の丑だからといって、あるいは牛丼屋でも発売されたからといって飛びつくのは、あまり格好の良いものではない、くらいの気分でいる人が多いのではないか。
ちなみに僕は、1年に1回、お気に入りの専門店で食べられればいいや、と考えている。
小中学校そして高校と、親が留守の時の便利なストックおかずとして、スーパーマーケットの特売やウナギ販売店(というのが地元には沢山あるのです。白焼きや蒲焼きを小売りするカウンターのみのお店)で安く買えるウナギの蒲焼きを活用してきた事に、少なからず罪悪感も感じている。冷凍庫にあるウナギの蒲焼きを温めて、ご飯に乗せて、後は酢の物と汁物でも作れば夕食になるのだから、便利は便利だった。
お気に入りの専門店に関しても、「もう、ウナギはここだけでいいや」という、「あがり」の店に出会ってしまったので、「覚えていたら楽しむ、個人的な行事」としてウナギは完結している。ウナギ、秋冬のほうが美味しいそうです。

 

さて今日は、昼休みの話題に、そのウナギの話が挙がった。
同僚がこう言う。「先週は吉野屋で食べたし、明後日にはお母さんと食べに行く。コンビニにも予約したし、スーパーの売れ残りも狙っている。ウナギ大好き」と。
なるほどじゃあ他の季節にも食べるのか、と問うと、そうでもないという。テレビや広告で盛り上がる「うしの日」だからこそ楽しみたい、とのこと。
まあ明確に反論するのも雰囲気が悪かろうと、僕も含めそれぞれが、現在の「ウナギ」に関するスタンスを穏やかに語る(お母さん、という言い方については言及しない)。そして、「なにしろ絶滅危惧種だからね」と締めくくったところで、最初の言葉だ。

「ウナギが絶滅しても、コンビニは無くならないじゃん。困らないよ」

怒ったり呆れたりするよりも、なんだか感心してしまった。
様々な情報を得て、さらに「環境問題は国民共通の課題」くらいのぼんやりとした意識くらいは持っている筈の人間が、こういう結論に辿り着くのか、と。面白い。
コンビニエンスストアが消えることのほうが、肌身に感じる危機なのか。うんまあ、ウナギが絶滅しても好物のメニューリストが1行減るだけかもしれないが、確かにコンビニが消えたら不便だ。しかしウナギは復活しないが、コンビニはきっと蘇る。それに、コンビニは今のところ絶滅の兆しは無い。

 

この人は、というか世間にはそれなりの割合で存在する人々が、「雑談時には、わざと雑で荒っぽい事を言うべきだ」と考えている、ように思っている。「馬鹿話をしてこそ、"腹を割った間柄"だ」という人達。でも自己啓発本は大好き。

悪い人ではないけれど、でも僕とは根本からずれている人なので、こうしてブログのネタには事欠かない。「広島の平和祈念公園は、グロかったけどめっちゃ泣ける」みたいな事を言っていた。「言葉を選ぼう」と提案したら「本当にそう思ったのだから、自分の気持ちには嘘はつけないから」と言われてしまった。
というわけで、異文化交流っぽい楽しみかたが出来てしまう昼休み。向こうは「自分と違う意見を持つ=自分を尊重していない」と、不満そうなのだが。

しかしコンクリートジャングルで育った(暗い目で通勤電車に揺られる、大切な何かを失った)都会人ではなく、山と海と川と国道沿いのチェーン店に恵まれた田舎の人間が、ウナギの心配をしないというのは、かなり危うい。ウナギは誰を頼ればいいのか。ネットのインテリか。
ともあれ、企業に乗せられて環境破壊、なんて、「偽悪的に振る舞うのが格好良い」と思っていても、俯瞰して見ると、ややマヌケだと僕には思えるのだが、どうか。

 

 

うな丼の未来 ウナギの持続的利用は可能か

うな丼の未来 ウナギの持続的利用は可能か

 
魚を獲り尽くす日本人 Wedgeセレクション

魚を獲り尽くす日本人 Wedgeセレクション

 

 

t_ka:diaryは、Amazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイトプログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。