第六十四凶

先日の法多山詣で購入したお神籤。
いや、神籤は購入とは言わないのか。

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ともあれ僕は信心が無いので、一緒に行った人達と楽しんだだけで、だからどうこうする、というものではない。

本来は「厄除け」の寺なので、こうして酷いお神籤を引いてから(だから凶が多いそうだ)、その後にお祓いを受けるとか神聖なアイテムを購入するとか、そういうアクションをとるのがこの名刹での正しい振る舞い。そうやって「厄」を払って、めでたしめでたし、というストーリーが期待される。

そういう意味では、僕のような人は少数派なのだろう。
職場の人に見せたところ、寺で結ばなければダメなのではと注意された。
仮にも神様から賜ったスピリチュアル・メッセージ・ドキュメントを持ち帰らないなんてそれこそ不吉な気がするけれど、一般的にお神籤は結ぶ。同行者達も結んでいたし、法多山には専用の「お神籤結びバー:ステンレススチール製」が用意されていた。
しかしこの風習、どうせ「縁を結ぶ」とか、その程度の言葉遊びが、「紙切れ持ち帰ってもなあ、家に神棚も仏壇も無いし」というニーズと結びついたものではないか、と僕は考えている。

まさかお神籤をデジタル画像にしてインターネット上に公開したところで、仏の軍団が天罰を下しに静岡県に来襲することもあるまい、と考えている。

 

信心は無くとも、コミュニケーション・ツールとして、3年に1回くらいは、お神籤をひく。たまに昔買った文庫本から出てくるときもある。ちょっと懐かしい。

ちなみに朝のテレビ番組の「占い」は邪魔だと思う。
街で見かける(当たると有名な)占い師は、その芸名(?)が大仰なところが滑稽で、どうしても有り難みが感じられない。ベテルギウス水谷、みたいなやつのことです。手相は皺で、血液型占いは差別と紙一重だと考えている。

自分にとって、占い関係の認識の底にあるのは、大学時代にアルバイト先で出会った占い師だ。長期休みを利用した、ホテルマンのアルバイト。その寮で、占い師のおっさんと同室になったのだ。
「相手の望む言葉を探せば占いは成立する。10に2つも当たれば、相手は喜ぶ。なにしろお金を払った時点で、相手だって楽しむためには努力をする。それに応えるだけだ」
なるほどなあ、と無垢な大学生であった自分は感心した。
ひねくれた戯れ言ではなくて、職業人としての誠意が込められていた。少なくともそういう雰囲気だった。

 

ところでこのお神籤、有効期限はいつまでなのか。365日か、今年の大晦日までか。どこにも書いてないことに気付いてしまった(裏も確認、白紙だった)。
こういう時はGoogleに聞く。Google経由でとある神社のサイトにたどり着いた。そこには「願掛けが成就するまでが期限」と書かれていた。
つまり運試しではなくて、何らかの願いありきのものである、ということらしい。なるほど勉強になる。確かに、TOEICの試験じゃあるまいし、現在の状況を調べる目的で神様にお伺いを立てるというのは、なにか変だ。しかも200円で。

 


Googleの検索では、「おみくじ」と入力したところで、「おみくじ 上書き」とか「おみくじやりなおし」といった語句がサジェストされていた。この辺りも気になる人が多いようだ。人が神を作ったのなら、運勢の上書きくらいは許してくれるのではないか。どうなのだろう。

 

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