「身体の歪み」という言葉。

 
いよいよ母の腰痛がひどくなってきたので、整体院に行く。僕が車で送迎する。
送り届けたついでに、僕は買い物などを済ませる。所要時間を計算して迎えに行ったところ、まだまだ施術が終わらないという。


この整体院は、整体師の学校で校長をしていた老人が1人で営んでいる。基本的に紹介制。半ば趣味というか、ライフワークとして細々と(順次縮小しながら)治療をしている。
そういう老人なので、良くも悪くもガツガツしたところが無い。客の回転数などは考えずに、必要ならば施術時間は延長される。
だから今日のように付き添いが待たされる事もある。母は2時間以上もかかった。次の予約が無くて良かった。
それでも腕が良いと有名らしいし、妙な健康器具や本を買わせることもないから、良心的だと思う。
ただし説明は多い。iPadにインストールされた全身模型アプリや、骨格標本を使い、延々と(教師のように)語り続けるという。
整体師は解説が大好きな人が多いと思う。美容師が髪質を語るように、ナントカ筋が強張っているとか、どの関節が歪んでいるとか、そういう話術も治療法の一環なのだと思う。



待合室にいようか、出直そうかと迷っていると、お弟子さん風の人が声をかけてくれた。「30分程度のお試しコースをしませんか」と言う。
料金も安いし、弟子といっても独立して開業しているから、きちんとしていると思う。それに僕は、慢性の肩こりを患っている。
施術は順調に進行した。予想通り「肩の高さが違う。足の長さが違う。歪んでいる」と指摘され、その歪みを取るようにごきごきと体中を曲げていく。そして筋肉の名前や、生活習慣の話を聞く。
確かに肩こりは治まった。肩の高さも、足の長さも揃った。いずれまた近いうちに肩こりは再発する気配はあるが、とりあえず「歪みが歪みを呼ぶ」ような悪いサイクルは解消された。



こういう事は、整形外科ではやってくれない。相談しても、消炎鎮痛薬や弛緩剤を処方してくれるだけ。
肩の高さが違うことも、背骨が曲がっていることも、もちろん医者にはわかる。でもそれは、それだけでは今のところ医療の領分ではない。そして薬は、飲んでいる間は十分に効く。
健康保険が効く領域と、そうでない領域を、医師と整体師が分けあっているのだろう。




しかし実際に話を聞きながら施術を受けると、整体師の限界もまた、身に沁みて解ってくる。保険適用されない理由というか、医学との断絶を感じる。
どうやら彼らの使う「身体の歪み」や「体質」や「冷え」は、一般の(医科学の世界を含む)それとは、同じ文字列なのだが微妙に違うのだ。僕ですら、解説を聞きながら「それ変じゃないの」と思った。
そしてあくまで「術」であり、身体に外力を与えて何かを動かし効能を得られる事は判っていても、その時に何が体内で(例えば細胞レベルで)起きているのかまでは、それほど気にしていないように見えた。
数年間の専門教育でスタートラインに立てるのだから方法論は確立している筈だが、科学的に発展と応用が出来るタイプの理論化には、興味が無いのかもしれない。
少なくとも「有意で検証可能なデータと用語を積み重ねていって、健康保険の適用を目指そう」という気概はみられない。
実際に、今日の整体師さんも「保険適用されるようになったら、各人の工夫や技術が出来なくなる。弊害が大きい。職人技の世界なのです」と言っていた。つまり、閉じている。



どういうわけか、医師と整体師は仲が悪い。
「整体は、効果的で万人向けの医療行為ではない」と考えている整形外科医も多いようで、もっと強硬に「根拠の薄い民間療法」と言う人までいる。
対して整体師の側も、西洋医学に対するカウンター・カルチャー(文化では無いが)的な立ち位置の人が多々いる。処方薬や整形外科での各種療法を嫌がる人を何人も見てきた。
そして「頼りにならない(さらに言うと害悪ですらある)西洋医学と、より自然で本質的な血の通った治療法である整体術」という物語は、わりと一般受けする。実際に楽になるのだから、なおさら。
不幸なすれ違いだと思う。お互いに全ての面で排他ではない筈なのに、共通の言語を持たずにそれぞれが発展し、独自の世界を作っている。



患う側からしてみれば、両者が仲良く「整体メカニズム」を解明し、標準化し、3割負担で気軽に治療できれば嬉しい。それが現在最高峰の整体技術より劣っていたとしても、かまわない。
クオリティ・オブ・ライフが重視されてきた昨今は、整体の技術を医科学の分野に取り入れようという研究も増えているとも聞く。
かつての漢方薬と同じ様に、医学の一部に組み込まれる価値はある。なにしろ今日も、肩こりは消えたのだ。
整体師もまた、医学の知識を取り入れて、あるいは医療制度に踏み込んでいって欲しい。
現在の彼らの言う「内腹斜筋が硬くなっている」や「血の滞り」は、シャーマンが権威付けに語る大仰な言葉に近い。それも含めての「術」なのかもしれないが。
美容院や歯科検診のように、生活に組み込んでいけば、それなりの快適さは約束されるだろう。根治できなくても楽になれば良い。でもやはり、現段階では通う気にはならない。




そんな風に、僕がどちらかといえば整体師に不信感があるのは、三重県在住時に行った「予約でいっぱいの整体院」の影響が大きい。
紹介制で、確かに予約が取りづらく、おまけに変な本(医者の言う事は信じるな)まで買わされそうになった。待合室には「ヘルストロン」や「マイナスイオン発生器」まであった。
壁に「身体の歪みは脊椎の歪み、脊椎の歪みは精神の歪み、精神の歪みは人生の歪み」という、恐ろしい標語が掲げられていた。
ウィトルウィウス的人体図曼荼羅を組み合わせたポスターもある。
そういうハードコア仕様の整体院なので、もちろん「小林製薬のコリホグスを飲んでます」なんて言うと怒られる。
ほぼ全領域に「理不尽」が漂う整体院だが、その種のハードコアを好む人達(老人が多い)が優しくしてくれて、飴や栗饅頭やスギナ茶をくれた。
でも一応、ある程度の期間は肩こりが解消した。知人から貰った「チケット」3枚分を使ってからは、肩が凝っても行かなかった。
実のところ、整形外科もあてにしていない。「手術で肩こりを除去しましょう」と、力強く提案してくれたら嬉しいのだが。


あの酷い整体院兼ヨガ道場と、今日の整体院は比較にならないほど違う。
休憩室のトラの毛皮で全てが台無しになった感はあるが、それを差し引けば、少々の似非科学本や高い料金も気にならない。何より整体師さんが鷹揚なのが良い。変な町医者より好感が持てる。
それでもやはり「アンチ西洋医学」な主張は、言葉の端々から感じる。「生命の神秘に近いのは我々の側だ」という演出は最初から最後まで続いた。
そして母は、筋肉の名前や骨盤の歪み具合をしきりに家族に説明している。御託宣みたいに。








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