ドアの凹みと夜中の電話


昨晩、夜の10時頃に家の電話が鳴った。
夜の電話は、特に最近は不吉な連想を招く。両親の兄弟もずいぶん年寄りになった。個人的な連絡はそれぞれの携帯電話に来る。
そして今は、母が海外旅行に行っている。父は登山で数日間の山小屋生活。2人とも、旅行中に吉報を伝えるタイプでは無い。
だから恐る恐る受話器を取る。
しかしこの電話は「金とプラチナを高価買取中です」という営業の電話だった。
「いえ結構です」と言うと「いきなり断るわけ?そういうの失礼じゃないですか?」と怒られてしまった。
「俺は若いですが、それは別として腹を割って話しましょう。そのほうがいい」みたいな事を言われた。
「売るくらいの貴金属は有るはずだ。儲けたくてこんな時間に電話をかけた訳じゃない。儲けさせたくて特別に電話したその想いを汲んでほしい」と言う。
「あなたの家はそこそこ余裕があるでしょう。貧乏のふりはみっともない」とまで言う。ヒステリックで狂信的で気持ち悪いから、受話器から耳を離して考える。どうしたものかと一考する。
変な営業電話なんて珍しくもないけれど、そしてこの高圧的な内容もおそらくは契約成立の為のテクニックなのだろうが、しかし僕としては大変に緊張して電話を取ったのだ。
「営業電話に対して問答無用に受話器を置いてはいけない。彼らも仕事なのだ」と両親は言うけれど(2人とも営業職の経験がある)、今回はすっかり疲れてしまって、「じゃあ切ります」と一方的に通話を終えた。
電話の相手の事はどうでもいいが、こういう心臓に悪い出来事があると、想像以上に後に残る。しばらくの間、鼓動が高く、手も少し震えた。
子供の頃のほうがびっくりする事は多かったけれど、回復も早かったと思う。大人を脅かしてはいけない。身体に悪い。
お酒が好きな人なら、ウイスキーを1杯飲む状況かもしれない。喫煙者なら、煙草を1本吸うだろう。僕は甘いものが好きだが、この種の急性的ストレスにお菓子は効きづらい気がする。それに不健康だ。
どうしようか迷って、寝る前だというのにハーブティーを淹れた。カモミールしか無いからカモミールティー。お茶だけでは寂しいためバタークッキーを2枚食べた(不健康だ)。
そして寝た。









朝の通勤の時の出来事。
交差点で、車のドアに何かがぶつかった。
ちょうど停車中で、外に小さな作業所が見えた。おじいさんが1人で木工作業をしている。建具か雛道具か、とにかくそういう専門的な職人仕事。
赤信号の間、ぼうっと眺めていた。そして、何かが飛んだ!と思った直後に、木切れのようなその何かが車に当たる音がした。鋭く大きな音がした。
後で見たところ、後部ドアの真ん中に小さな凹みができていた。傷や塗装の剥離は無い。
飛び石のようなものだから気にしない。「あの作業所から飛んできた何かが原因かもしれないが証拠も無いし、たかが凹みではないか」僕はそう考えた。
しかし職場の人達に「通勤中の面白エピソード」として話したら、みんなずいぶん気にしている様だった。わざわざ駐車場まで観に行く人達までいた。
日本の田舎の人というのは、車の傷や凹みを気にし過ぎていると思う。特に年配の人は、車をぴかぴかに保とうとする気持ちが強い。
綺麗な車は素敵だが、しかし凹んだ程度で構造強度が下がる訳ではないし、特に今回の件は偶然の産物であり、経年劣化と同等と考える。
それに特別に高級な車でも無いのだ。ジャガーかベンツに大きな凹みがあったら注目されるかもしれないが、なにしろプリウスである。ペンキを塗った鉄板に木切れが当たれば凹む事だってある。
今日は色々な人に「修理しなさい。みっともない。可能ならば作業所に賠償を求めよ」と言われた。見積額を算定してくれる人までいた。
しかし正直なところ、すでに何処が凹んでいるかも実際に見なければ思い出せない。明日になればどちらの側面かも忘れているかもしれない。



職場のいちばん若い女性が、1980年代後半から2000年代の文化に興味がある人で、仕事の合間に色々な事を聞かれる。
ウォン・カーウァイの初期の映画や、魚喃キリコの漫画や、アメカジスタイルに詳しい。「AIBO」を飼うのが夢だそうだ。デッドストック品のCDプレイヤーを愛用している。
僕が10代から20代を過ごした時期を「カトウさんの時代」と表現する。「カトウさんの時代にはNIRVANA(あるいは灰羽連盟)をリアルタイムで楽しめたんですね。羨ましい」と、毎日のように言われる。
こういう若者は昔もいた。古い洋楽をたしなみ、少し前に流行した本(古典では無い)を読む。サブカルチャーの一種だろう。
その人に今日の「ドア凹み騒動」を話したところ「この場合、ドアを修理しない事が『カウンター・カルチャー』なんですね」と言われた。
カウンター・カルチャーは関係無い気がする。しかし上手く説明できない。「そんな大層なものじゃないですよ」とだけ答える。
ステイタスとしての自動車を珍重するヤンキー・カルチャー(おじさんおばさんを含む)へのアンチテーゼとしての「ドアを修理しない」行為、と言うと座りが良いかもしれない。
しかし、触ってみないと気づかない程度の凹みでアンチテーゼなんて言葉を持ち出す事もあるまい、と思う。単に凹みに興味が無いだけなのだ。座りが良いだけで実際はそんな風に思っていない。
仕事の合間の雑談で、正確に簡潔にニュアンスを伝えられたら格好良いだろうなあ、と思う。僕には教養が足りない。
この場合は「凹みに興味が無いのです」と言えば良かった。今になって気づく。








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