ぐりとぐらのカステラを食べた。

 
 
静岡市美術館の『絵本原画の世界』展との連動メニュー、マリアサンクのカステラ。ぐりとぐら風。
午後に静岡の街に行く。自転車が気持ちの良い季節になった。
おやつは「マリアサンク」で食べる。すぐ近くの静岡市美術館で始まった「はじめての美術 絵本原画の世界2013」にちなんだ「ぐりとぐらのカステラ」を注文。
絵本のようにフライパンを使った玉子いっぱいのカステラ。スポンジケーキではなくてカステラ味。スペイン菓子にこういうものがあった。
フルーツと生クリームがたっぷり添えられているところがマリアサンク流かもしれない。上に乗ったクリとドングリのクッキーも愛らしい。
本職のケーキ屋による「絵本スイーツ」は、味や香りといった要素まで絵本から出てきたような、特別なものだった。凝っているなあ、と感心しつつ食した。
周りの席から「これは好きな人にはたまらないだろうね」と評する声が聞こえる。こういう事を言うのは(理由はわからないが)男の人ばかり。
しかし評論家風の彼らこそ「絵本のお菓子が好き」なのだと思う。しかし一言評論したくなる気分もわかる。僕だって心のなかではつぶやいた。その気持ちはわかるが、上手く説明できない心理ではある。
ちなみに美術館の半券を出せば、1割引になる。僕は近いうちに再訪する予定。


帰省した友人と合流し、浅間通りの「bikini」に行く。
僕も彼も馴染みのお店。アイスクリームサンドクッキーを食べながら、色々な話をする。コーヒーも飲んだ。



先ほど、久しぶりにmixiにメッセージが届いた。誕生日の際に友人同士で使うだけの機能。全く知らない人からだった。
きちんと礼儀正しい文章だが(発言小町的な敬語表現だった)、内容はややこしい。僕はTwitterのつぶやきをmixiに連動させているので、それを読んだのだろう。
箇条書きにしてみる。

  • 君は私を知らないが、私は君を知っている。
  • そして毎日mixiで見ている。
  • 原発事故・放射能に関する話題について、君は政府・学者側の人間だと認識した。その理由を平易な言葉で説明せよ。
  • このメッセージを含め、お互いにやりとりを公開する事はかまわない。
  • 子育て等でストレスの溜まる毎日である。これ以上の負担は避けたいから、言葉を選んで答えて欲しい。

スパムメールの類かと思って送信者のページを覗いてみたところ、きちんと活動しているようだ。
活動というのは、つまり「今日はカトウという人に質問メッセージを送った。昨日の〇〇氏からは以下のような返答が来た」といった日記をつけている。
日記にはそれなりに閲覧者もいて、コメントもついている。正直なところ公正な議論とは思えなかったが、イタズラの類では無いと判断した。
mixiというサービスに対する勝手なイメージ(芝生の木陰でプチ女子会)が崩れたのは誰が悪いでもない(たぶん僕が悪い)。しかし正直なところ、面倒ではある。



複雑な物事を複雑に伝えることは容易い。複雑な物事を簡単に伝えるのは芸術的(アーティスティック)な技術が要る。それは僕の得意とするところではない。
特にややこしい問題に関してこそ「複雑な物事は複雑なままに」が大切だとさえ思っている。でも一応、考えてみる。



概ね、原発事故とそれに伴う放射性物質の飛散については、政府と多くの専門家が「前途多難だが、避難地域以外では普通の生活を送れるだろう」という見立てだと思う。
それに反対する人達は「放射線被曝に関してわからない事ばかりじゃないか。信用できない」と危機感を募らせる。四大公害病の時代を例に出す。
そして僕がなぜ「大丈夫」の側に立つのか、それを説明すれば良いのだと思う。
この困難な放射線被曝問題は、確かに未知数な部分がある。それは現代の科学ではわからないし、30年後に予想外の悪影響が生じる可能性もある。
少なくともまともな専門家は、その「わからない」部分も含めた未来予測をしている。わかることだけで予想をする学者はいない。常にエラーバーと誤差と未知数を考えに加える。
対して「危機感を抱く市民」は、「わからない」事を根拠にして声をあげる。遠くへ引っ越し、ゼロベクレルの食品を探し、東北の産品を排除する。
緊急避難の際は、とにかく危険から遠ざかる事は大切だ。リスクとベネフィットなんて考えている暇は無い。
しかし今は緊急時だろうか。健康は大切だが、なりふり構わない時期は過ぎたと僕は判断している。他にも大切な事は沢山ある。
「予測不能な点まで含めた想定」というのは詭弁に見えるが、科学というのはその為のツールでもある。神様の気まぐれを気にして生活する現代人は少ない。
科学に限らず、自分の得意な分野では各々が自然にそうしていると思う(でなければ部屋から出られない)。
物を知らない事を盾にして目についたデータだけ拾って騒ぐ人達のことまで言及するとさらに話は長くなるし、気持ちの良い話題では無いから止める。
そしてもう一つ、公害病の時代とは、この問題は少し違う気がするのだ。もうあの時代の熱気は無いし、データも世間の目も、それから皆の基礎知識もある。危惧はわかるが、同一視は逆に危うい。


というわけで「わからない事にこだわる人達よりも、わからない事とわかる事の両方を使って考えている人達のほうが信用できる」が、僕の今のところの考え方。
しかしこの1文で伝わるだろうか。全く自信が無い。しかし言葉を継ぎ足せば長くなるし、困ったことである。いつもポピュラー・サイエンスの本を読んでいるのに、こういう時に応用できない。





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